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『究極の結果論』

「今幸せじゃなくてもいいんだ」と思える考え方を見つけました。
誰かの役に立てば嬉しいです。


◆◆◆


僕は最近、ひどい劣等感と自己肯定感の低さに苦しんでいます。
平日はなんとか仕事をがんばることで自分の価値を感じられるけど、休日にはやることも楽しみもなく、連絡をとりたい友人も彼女もいなく、家事は親にしてもらう恥ずかしい人生を送っています。
やる気も出なくて気づくと日曜の夜です。今夜も。

そんな日々を過ごし今日も鬱々としていましたが、頑張って夕方ランニングに出かけたときにふと一つの考えが浮かびました。
それが

『究極の結果論』

スポーツの世界では、試合に負けると「あのときこうすれば勝てたのに」とか、逆に勝ったときには「あのプレーが勝利を呼び込みましたね」とか言うことがある。

人生においてもそうだ。
受験に失敗すれば、実際めちゃくちゃ頑張ってたとしても「あのときもっと勉強しておけば良かった」と思うし、努力して入った会社でメンタルやられるほど働いて辞めたら「こんなに厳しい会社選ばなければ良かった」と思うかもしれない。

全部結果論だ。

第三希望の会社に入社してやる気なかったけどそこで今の奥さんに出会えたならそれは良かったと言えるかもしれない。
過去にいじめられて命を断とうとした経験が、その後出会った誰かの心に寄り添う力になっているのなら、辛い過去もその中で生き抜いた自分も肯定できるかもしれない。

今が良かったら、過去は肯定できる。

だから僕は、今の惨めで劣等感にまみれて誰とも心を通わせられない自分を肯定するような結果(未来)に向かうことにした。

どんな未来だったら、今の自分ですら肯定できるだろう。

自分の辛かった経験を話すことが誰かの勇気になったり、メンタルを安定させる方法を伝えることで誰かの幸せの一助になったりするだろうか。

人の役に立ちたい。
この自分だからできることで、人の役に立ちたい。


「この自分でいい」とは今は思えないけど、いつかたどり着く結果(未来)から見て、「あのときあの自分で良かった」と言えるときが来ると思ったら、それならやっぱり今の僕は「これでいい」のかもしれない。

むしろいつか人の心を支えるために、今この自分が必要なのかもしれない。

究極の結果に向かって今日も歩みを進める。
状況は昨日と何にも変わらないけど、この自分が今日ここで生きているから未来の自分が生きていられる。
そう思えば小さな行動を積み重ねる意味が生まれる。
ランニングして良かった。

感謝しろよ、未来の自分。
諦めずに生きてる今の自分が、必死に未来に繋いでるぞ。


僕の究極の結果はどんな未来だろう。
僕はどんな方法で人の役に立とう。

楽しみだな。

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