蔦屋重三郎ドラマから田沼意次へ
地デジでドラマやバラエティ番組を観ることはないが、唯一の例外といってもいいのはNHK大河ドラマである。但し、観ているのはBS(日曜18:00)である。これはウチの夕食時間に放映されているという要素が大きい。地デジ(日曜20:00))なら多分観ていない。真面目に観たのは最近では「鎌倉殿の13人」と「光る君へ」位である。
その大河ドラマで「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」が新たに始まり、とりあえず初回を真面目に視聴した。今後ともそうするかは内容次第。とはいえ、田沼意次、平賀源内、喜多川歌麿、東洲斎写楽、山東京伝など魅力的な人物がでてくるだろうから多分観ることになりそう。意次と謎の人物写楽(葛飾北斎説もある)がどう描かれるか特に注目している。
<注>「べらぼう」のサイトのキャスト紹介で見る限り、歌麿、写楽、山東京伝は出ていないのでスルーされる可能性もある。
大河は「戦国時代でないと受けない」「幕末・維新ものは受けない」とよく言われる。幕末・維新物は暗い・陰湿で歪曲が多いので同感である。一方、「太平記」「鎌倉殿の13人」、「光る君へ」など楽しめるものもあるので、戦国時代でなくても脚本次第で受けるのだろう。
蔦重こと蔦屋重三郎が今の世の中でどこまで有名なのだろう。記憶が定かでないけれど、最初に知ったのは江戸時代を扱う時代小説だったと思う。今の日本史の高校教科書に出ているので、もしかして知っている人は存外多いのかも知れない。
(高校時代、日本史は必修だったものの大学受験で選択するつもりはなく、授業中は推理小説を読んだりしていたので記憶無し)。
「べらぼう」初回に田沼意次(と息子の意知)が出ていた。田沼意次は評価が分かれることで定評がある。私の田沼意次との最初の出会は「私の記憶が正しければ」NHKの「天下御免」という番組であった。このドラマは画期的な名作といわれる。残念乍ら、アーカイブすることがまだ確立されていない時代であったため録画したテープが上書きされたらしく最早観ることができない。主人公は博学多才の「早すぎた天才」平賀源内で、田沼は源内のパトロン的な存在として出ていたと記憶している。いつも着流し(同心風?)を着ており愛妾を連れていた(身分を隠し江戸市中を徘徊していた?)。この愛妾が有名な?「神田橋お部屋様」だったのかは不明。
ウキペディアの「天下御免」の紹介↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E5%BE%A1%E5%85%8D
上記番組では意次はいい人だった筈である。歴史学者・歴史家の評価はさておき、歴史小説では良い人物としても悪い人物としても描かれている。
<よい人物の例>
辻原登『花はさくら木』(大佛次郎賞受賞作品。女性天皇後桜町天皇の話。田沼は重商主義者になっている)
池波正太郎『剣客商売』(同氏のシリーズもの三部作(他は『鬼平犯科帳』『仕掛人・藤枝梅安』)の中で唯一完結した作品、他の二つは連載中に池波さん逝去)
<超悪人の例>
佐伯泰英『居眠り磐音』シリーズ(途中で読むのを止めた)
嘗ての歴史教科書でどう書かれていたか手許に本がないので分からないが、「田沼といえば賄賂政治」というのは小・中学生時代から知っており、これが世間でまかり通っていたはずである。一方、最新の山川書店の高校教科書(2023)『詳説日本史探究』で以下のように記されている。
(前段省略)意次の政策は、商人に力を利用しながら、幕府財政を思い切って改善しようとするものであり、これに刺激を受けて、民間の学問・文化・芸術が多様な発展を遂げた。一方で、幕府役人のあいだで賄賂や縁故による人事が横行するなど、武士本来の士風を退廃させたとする批判が強まった。
田沼自身が賄賂をとっていたかは不明。賄賂は田沼時代より前からあったということはあるにせよ、田沼の重商主義の中で有力商人が力をつけ、幕府の役人に便宜を図ってもらうべく賄賂、献金を渡していたのは間違いなさそうである。多数の良い施策を全く無視して悪し様に書かれたのは
○10代将軍になるチャンスを潰された松平定信の超田沼嫌い
○家禄の少ない家の出で小姓から老中にまで登りつめ権力を振るった(婚姻関係も最大限利用)田沼への譜代大名/既成エスタブリッシュメントからの
意趣返し
が主な要因とされている。田沼の不運は、印旛沼・手賀沼の干拓工事(新田開発)が完成間近に利根川の大洪水で水泡に帰したこと、天候不順、浅間山の爆発などによる「天明の大飢饉」にぶつかったことである。
田沼の政策の中の一部は、徳川吉宗が先鞭を付けたものの功を奏さず、田沼時代になって漸く花開いたものもある(例)朝鮮人参の栽培)。また、松平定信の「寛政の改革」は、吉宗の政治を範とするいいながら、田沼の政策を継承したものが多いようだ。
経済学者(経済史学者)は江戸時代を近世ではなく近代(プリ近代)と呼んでいる。これは主に田沼が推進した株仲間を主とする重商主義(経済構造・流通構造を指すものだと認識している(株仲間は決して寡占/カルテルではない)。極論すれば、あらゆる産物・商品に関する株仲間があった。三都(大阪・京都・江戸)のような都市型の地域(町方という)だけではなく、在方といわれる地方・農村部も同様である。
少し話は変わるが:
第12回日本歴史時代作家協会賞作品賞受賞。第13回本屋が選ぶ時代小説大賞受賞作の村木嵐『まいまいつぶろ』幻冬舎という本がある。吉宗の長男で生まれた時から不自由があり話す言葉が聞き取れなかったといわれる九代将軍徳川家重を中心とする作品。その家重の言葉を唯一人聞き取れた(歴史書にもそう書いてあるらしい)お陰で小姓から異例の出世をした大岡忠光という人物がいる。吉宗の側近、大岡忠相の遠縁に当たる人物である。田沼意次は家重・家治(十代将軍)の篤い信頼を得て活躍したのだが、大岡忠光の引きがあったことになっている(事実か不明)。史書では大岡忠光は忠義で清廉な人だったようだ。そもそも意次の父の田沼意行は紀州藩士で、吉宗が紀州藩主→将軍になる際、紀州藩スタッフを幕府に多数連れていった中の一人。大岡忠相と同様、吉宗が将軍にならなければ、あのような地位に就けることはなかった。
本の紹介↓
https://www.gentosha.co.jp/book/detail/9784344041165/
再び蔦重に戻ると、「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の「栄華乃夢」は蔦重のプロデュース作品の嚆矢もと言える恋川春町の黄表紙『金々先生栄花乃夢』から来ていると思う。恋川春町に限らず、黄表紙・洒落本・滑稽本は武士が書いているものが多いのが面白い(だから士風の乱れなのか?)。
オマケ:
日銀貨幣博物館にて常設展の一角で『江戸の商人展』をやっていた(撮影は不可)。その際、三井の越後屋の有名な「現金掛け値無し」は、大阪では「現銀掛け値無し」であったことを知った。大阪の銀使い、江戸の金使いが反映されたものだろう。
また、江戸の長者番付が展示されていた。Webで観ることができる。白木屋(後に日本橋東急百貨店)はもうないが、三越、大丸、松坂屋は今も健在。尚、行司として書いてある小津清左衛門というのは、映画監督・小津安二郎の出身地、松阪の豪商である。因みに松坂屋は、名古屋の「いとう呉服店」が上野にあった松坂屋を江戸時代に吸収合併して「いとう松坂屋」となり、最終的に松坂屋の名前が残った。尚、よく勘違いされるが三重は松阪(まつさか)、百貨店は松坂(まつざか)である。
https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/modal/index.html?d=5361
付録:田沼意次の政策例~山川書店(2023)『詳説日本史探究』より
①都市、農村の商人・職人の株仲間を広く公認し、運上、冥加などの営業税による増収 → この一環で銅座、真鍮座、朝鮮人参座の設立
○運上金・・一定の税率による営業税
○冥加金・・献金的(お礼的)性格の上納金
②初めて計数銀貨を鋳造(南鐐二朱銀)・・金、銀併用の金換算への統一
③印旛沼、手賀沼などの大規模干拓工事=新田開発
④ロシアとの交易の可能性の調査
⑤長崎貿易の転換。銅や俵物を輸出して貨幣鋳造のための金・銀を輸入
注:俵物
対清(中国)に輸出された海産物。俵に詰められて輸出されたことから
この名がある。煎海鼠、干鮑、鱶鰭3品目の乾物を「俵物三品」という。
今も中国料理向け輸出品であるのは周知のとおり。干しナマコ、フカヒレ、干あわびのこと。