森見登美彦「ペンギンハイウェイ」の考察。お姉さんは〇〇の象徴

最近、四畳半神話大系を観てから森見登美彦にハマっているので、小説版のペンギンハイウェイも読んでみました。

あれ?これ書いたの森見先生?

主人公像も文体も今までの作品とは大分違っていたのでびっくりしました。ちなみに、私の中の森見作品のイメージは「京都の捻くれた大学生と美女とのボーイミーツガールを、豊富な語彙とユーモア溢れる落語調の文体で語る」みたいな感じです。

ペンギンハイウェイは小学生の主人公だし、文体はシンプルかつ平易で面食いました。ですが、ちゃんと面白かったので、流石森見先生だなと。

作品に歯科衛生士の美人がよく出てくるのは先生の癖なのでしょう...

四畳半神話大系の羽貫さん(歯科衛生士)


さて、先程文体は簡単と言いましたが内容は非常に難解です。完全に理解出来なくても楽しめるのですが、やはり作中の謎は全て解き明かしたいものです。

という事でこれからは私なりのペンギンハイウェイの考察をしていきたいと思います。

ここから先ネタバレを含むのでお気をつけください⚠️


お姉さんは何者だったのか

考察しがいのある箇所は色々とありますが、まずはお姉さんについて。

ペンギンハイウェイの世界ではお姉さんが中心となって進んでいくので、お姉さんが分かれば自ずと物語全容が分かってきます。

では、そんなお姉さんの正体は何なのでしょうか?

それは「謎」の象徴です。

??となった人が殆どだと思います。

「お姉さんの正体は神様だ!」とか「宇宙人だ!」みたいな具体的な答えが欲しいと思いますが(私も欲しいです)、森見先生はあえてお姉さんの正体をぼかしたのだと思います。

なぜなら、お姉さんの存在は「謎」そのものであって、正体が分かったらそれは「謎」ではないからです。
今から詳しく解説していきます。

解説

作中で、お姉さんは「海」と連動していました。お姉さんが元気になれば「海」は大きくなり、「海」がいなくなればお姉さんもいなくなりましす。お姉さんは「海」から離れれば生きていけません。彼女らは一心同体といっても過言ではないでしょう。

なので、お姉さん=「海」 と考えて差し支えないと思います。

「海」

では、そんな「海」は何だったのかというと、作中の表現に頼れば「世界の果て」です。

森見先生は言及していませんが、「海」の特徴はブラックホールと酷似しています。ブラックホールは光を通さず、特異点という無限に時空をねじ曲げる場所を持っています。また、どちらも球体です。「海」に酷似していますね。

スズキくんのタイムスリップは恐らくこの時空のねじれの被害にあったのが原因だと思います。

撮影されたブラックホールの姿

そして、そんな世界の果てにあるブラックホール
は未だに謎が多いです。ブラックホールには何種類かあるらしく、中でも中間質量ブラックホールというのは存在しているのかすら分からないみたいです。他にもブラックホールは分からない事だらけです。

この事から考えて、ブラックホールないし「海」は「謎」のメタファーと考えられます。

よって今までの内容をまとめると、
お姉さん=「海」=ブラックホール=「謎」
となります。

このように考えると、どうしてあの結末になったかが分かります。

ラストの意味

最後、アオヤマ君は「海」ないしお姉さんの謎を解き明かしました。つまり「謎」は無くなったという事です。「謎」が無くなったのであれば、「海」もお姉さんも存在してはいけなくなり、お姉さんは「海」と共に消えてしまった。こう考えられます。

なんて残酷な話でしょう。

アオヤマ君がお姉さんについて、研究し、謎を解こうと思えば思う程、お姉さんは存在してはいけなくなっていく。このような状態を何て言うかというと、「ジレンマ」です。アオヤマ君が言っていましたね。

ペンギンハイウェイのテーマ

アオヤマ君とお父さんは最後こんな事を話しています。

「父さんは世界には解決しないほうがいい問題もあると言ったね。ぼくの取り組んでいるのがそういう問題だったら、ぼくは傷つくことになると」
「父さんはそう言った」
「それがぼくにはわかるような気がする。でも解決しないわけにはいかなかったよ」

「ペンギンハイウェイ」p345


アオヤマ君が言うように、この世界には解くと傷ついたり悲しくなったりする謎があります。皆さんも「知らない方が幸せだった」という経験があるのではないでしょうか。

好きなアイドルが実は結婚していたとか、ずっと飲みたかったビールが不味かったとか。

また、謎を解くという事は他の魅力的な可能性がなくなる事でもあり、それによってがっかりする事が多々あります。

作中で、アオヤマ君は「世界の果て」という謎を追いかけています。ですが、その謎を解く事も悲しい結末を迎えるかもしれません。

「世界の果てを見るのはかなしいことでもあるね」

「ペンギンハイウェイ」p346

しかし、アオヤマ君は「世界の果て」やお姉さんを追い求め続けます。その先に悲しい運命が待っていようとも、彼は謎を解き明かそうとするのです。なぜなら「科学の子」であるから。そんなアオヤマ君の姿に私達は心を打たれます。

私はペンギンハイウェイから「悲しい結末がまっていようとも、何かの研究者であるなら謎を追い求めよ」という森見先生のメッセージを見出しました。

森見先生はペンギンハイウェイのインタビューでこんな事を語っています。

子供の頃って、世界の成り立ちとか、死んだらどうなるのか?など、大人が日常の生活であまり考え込まないようにしていることを、考えるじゃないですか、そこにまともに向き合うというか。

子供の頃、私達は何かの研究者でした。どんな些細な事でも日常に謎を見出して生きていたのです。

しかし、大人になって謎を追い求める事を段々と辞めていきます。謎を追い求める事は疲れるし、悲しい結末になるかもしれないから。

ペンギンハイウェイにはハマモトさんの父親など研究者が多く出てきます。

彼らは大人になっても謎を追い求め続けているのです。

そして、アオヤマ君、ウチダ君、ハマモトさんの3人はどこか研究者気質な所があります(ウチダ君は恐らく哲学の道に進むのでしょう)。

彼らは大人になっても研究者でいられるでしょうか?変わらずに3人で研究を続けて欲しいと私は思います。

そして、私も彼らのような謎を追い求める精神を忘れたくないものです。

まとめ

という事でペンギンハイウェイの考察をしてみました。私は小説版しか読んでないので、映画版を見た人とは少し内容に齟齬があるかもしれません。

こんな感じで、これからも見た作品の考察やら感想を投稿していくので、いいねやフォローをして貰えると幸いです!


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