『恋する少女にささやく愛は、みそひともじだけあればいい』の短歌を「読む」


【!】 畑野ライ麦『恋する少女にささやく愛は、みそひともじだけあればいい』のネタバレがあります 【!】






・はじめに

 初めまして、ネットで細々と短歌を詠んでいるイシハラという者です。特に受賞歴などはありませんが、短歌について書いていきたいと思います。
 ここでは、短歌を映画やアニメ、音楽などとの比較を通じて読み取っていきたいと思います。短歌は、自らも実践していて、専門書も読んでいて、という人しか読めないものだという印象があるのではないでしょうか。しかし、私はそんなことはないと思っています。だから、このエッセイを通じて短歌というものが、皆様にとって親近感のある表現として楽しまれてもらえると嬉しいですね。



・本文

 先日、ある本を読みました。畑野ライ麦『恋する少女にささやく愛は、みそひともじだけあればいい』というライトノベルです。「恋もじ」と略されているみたいですね。以下でもその略称で呼びたいと思います。

 「恋もじ」は、第16回GA文庫大賞で金賞を受賞した作品を出版したもののようですね。タイトルから分かる通り、「みそひともじ」、短歌が話題の中心にある青春小説です。

 その内容については、感想を書き付けたnoteがあるので、引用しておきます。

 主人公の元高校野球少年、大谷三球(さんた)は、怪我で野球を辞めてから、一つ年下の短歌少女、涼風救(すずかぜ・すくい)に出会って短歌を始めました。歌を通じた師弟関係から、二人は惹かれていくわけですね。ざっくり言ってしまいましたが、詳しい過程は読んで胸をときめかせてほしいものです。

 さて、物語のクライマックスで、スクイとサンタは、歌の贈答によって互いの思いを通わせます。古典でも鉄板のやり取りです。

 その中で、この歌がすごく気になりました。

君がいる 分厚い雲の向こうには月がいつでも空にあるように

[畑野]

 この歌について解説する前に、背景について、「恋もじ」本編の内容にもう少し触れましょう。

 サンタは、自分の思いを勘違いして、スクイと一度すれ違いを起こしてしまいます。すれ違いによって、自分の本当の気持ちを理解する。ときめきですね。

 伝えられなかった思いを何とかして相手に明かしたい。そこでサンタが使うのが短歌です。

 その中で、スクイは、次のような歌を贈ります。
 「二十二時 夜毎に届く三十一文字七十日あまりつづく寝不足」。
 これは、スクイがチャットアプリでこの時間にサンタが書いた歌を添削していたことを歌っています。
 返事はこうでした。
 「人影のない月の夜の通知音一人の月見も独りではなし」。
 スクイが夜を話題に出したことを受け、月の話題へ転換します。一人であっても独りではないという言葉遊びを通して、チャットのやり取りによって、相手の存在を遠くから感じていることを歌います。

 そして、返事にされたのが、引用した歌でした。月の話題を続けつつ、相手の思いに対する返答へ昇華しています。

 この歌を読む上で引用したいのが、次の歌です。

忘るなよほどは雲ゐになりぬとも空ゆく月のめぐり逢ふまで

秋山虔 堀内秀晃校注『竹取物語 伊勢物語 新日本古典文学体系17』岩波書店

 伊勢物語に登場する歌で、元は恋の歌ですが、伊勢物語では友人同士の間柄で引用された歌です。

 伊勢物語の主人公、「をとこ」は、東国、つまり遠いところへ行くことになりました。まあ日本国内ではありますが、当時にしてはかなり遠いです。だから、友人たちとは離れ離れになってしまいます。そこで、彼が友人たちへ、この歌を引用して贈りました。

 歌を読み取っていきましょう。最初五音で、忘れないで、と話しかけます。それ以降では、文章構成自体を倒置して、次のように歌います。私たちの隔たりが、雲がやってくる遥か遠い場所ほどに離れてしまっても。ここまでが、前半部分です。

 そして、後半の七七では、雲の例えを引き合いに出して、さらに例え話を重ねます。空に月が出て、沈んで、また出てくるのと同じように、再び巡り合えるまでは、と結びます。

忘れないで。私たちの隔たりが、雲がやってくる遥か遠い場所ほどに離れてしまっても、空に月が出て、沈んで、また出てくるのと同じように、再び巡り合えるまでは。

片桐洋一ほか訳『竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語 日本古典文学全集 8』と『竹取物語 伊勢物語 新日本古典文学体系17』を参考にした

 間柄は遠く離れてしまっても、自分のことを忘れないでほしい……というより、頭の隅に置いておいてくれたら嬉しいという感じでしょうか。そういう親愛の思いを感じますね。

 元々の歌は、橘忠幹という駿河守が、同じように離れ離れになってしまう相手に贈った恋の歌でした。だから、切なる願いが感じられるんでしょうね。

 月は、毎夜空に昇ってきます。そういう絶対性が、古来から歌のネタとして詠み込まれてきたことを考えると、人々にとって信頼でき、また親しみやすいものだったのではないかなと思いますね。

 スクイの歌に話を戻しましょう。彼女の歌は、月が毎夜昇るように、相手の存在があると歌っています。

 分厚い雲が引き合いに出されたのは、隔たりを表現するためではないでしょうか。しかし、雲によって遮られ、相手を見失っても、月には、また毎夜昇るという絶対的な信頼があります。この世の規則に重ねて相手への気持ちを表現し、強い信頼を込めている歌なのではないかと私は読みましたね。みなさんはどうでしょう?

 古代の人々の息吹が現代に甦る感覚があって、また、彼女の美しい思いが伝わってきて、名歌なのではないかな、と思います。『恋する少女にささやく愛は、みそひともじだけあればいい』、おすすめです。


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