親も子どもの頃も所与の一つにすぎない
こんにちは!
ケミオです。
これまではずっと、アダルトチルドレンとしての心の突っかかりを、そのまま出していたnoteでしたが。
今の私にとって、もはやそれは意味をなさない気がしてきました。
もう、突っかかりがまるでなくなった、ということでもなければ。
書くのをやめようということでも、ないんです。
ただ、突っかかりをほとんどそのまま書くという行為自体に。
自分を進化なり突き動かすなりをさせる効果を、もう見いだせなくなっているということです。
いきなり抽象的なことから書いてしまいましたが、突っかかりとは、つまりは子どもの頃や親のことです。
それらがひどかったという認識や、対して思うことについてはずっと変わっていません。
しかしそれはもう、それ以上でも以下でもないというか。
所与です。
もっと言えば、所与の一つにすぎない。
当然ながら私に与えられたものは、親や子どもの頃だけではありません。
身の回りのあらゆる人や物事、日本という国だってそうだと思います。
その中には、素晴らしいものもひどいものもありますが。
親なんてのは、私に回ってきたひどいそれの一つだと。
実際、以上の様なことを常に考えているわけではありませんが。
私に生まれては、グルグル回転しつつある思考を書き表すと、こんな感じでした。
そしてその上で、意識が向かい始めているのは。
自分のしていることや、してきたこと。
現実です。
そんなこんなで、これからはアダルトチルドレンの本筋とは関係のないことを、多分に書いていくことになるような…。
まだ決めていない、というか、決めるようなことなのかもわかりませんが。
関係ないことを書くことで、よりアダルトチルドレンの脱却に向かうように思うところです。
読んで頂いてありがとうございます!
今日も残り、良い一日をお過ごしください。