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解放された

こんにちは!

ケミオです。


「母が障がいを持っていた」というのは、完全に個人的な話でした。

ただ、続けて恐縮ですが、私はこの理解により、過去にないくらい解放された感じになっています。


私の問題から、母は完全に切り離されたからです。

実際は、もうだいぶ前から切り離したつもりでいたんですが、母を理解できないところはどうしても、心の引っ掛かりとして残っていたんです。


それを名実ともに、自分がどうこうしようと考えても仕方のないこととしてくれたのが「障がい」でした。

私が理解するべきところは、その一言で打ち止めになったというか。

打ち止めがない限り、母の理解できないところは自分の問題でもあるという意識が、どこまでも消えなかったはずです。


解放された感じがすると同時に、理解は衝撃的でもあります。

もう晴れて、自分のことだけを考えていればいい。

まだドキドキして落ち着きません。


なお、一応最後に注釈も加えて起きますが。

以上は全て、現実の母をどうするかといった問題の話ではなく。

今を生きる私の心と、それを苦しめてきた存在としての母の話です。

つまるところ、私の心の中の問題。


現実の母は、父に任せます。

私は子どもの頃にケアを頑張ったので、以後はできる人に任せるしかありません。


読んでいただいてありがとうございます!

今日も残り、良い一日をお過ごしください!

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