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アダルトチルドレン克服の分水嶺

こんにちは!

ケミオです。


アダルトチルドレンの克服は。

毒親の様相を理解しようとすることから始まり、理解して終わるんじゃないかと思いました。


ここで「様相」というお茶を濁したような言葉を入れたのは。

理解するのは、親の「気持ち」ではないからです。

毒親について理解できるのは、思考と行動の動機やメカニズムだけです。

気持ちの方は、そもそもまるで理解できるものではない。


例えば、親が強烈な劣等感をいつも抱えては、それを元にいつも行動していることはわかります。

でも劣等感そのものは、まるで理解できるものではなかったり。


言ってみれば、この場合の「様相」はもう、「ひどさ」の一言に置き換えられるかもしれません。

毒親のひどさ、です。

具体的には人それぞれだと思いますが、おそらくこれがよく理解できないと。

アダルトチルドレンの脱却は、為しえないと思っています。


それを困難にするのは、親と子という関係性だと思います。

詳しくを今回は書かないのですが、しかしこの困難をクリアできたかどうかの分水嶺はと言いますと。

私はたった今、書きました。

「親がひどい」と堂々と言えるかどうか、だと思います。


私の場合は、心の中で考えていることをそのまま書き出してしまいますと。

「まるでお話にならなかったんだな。親としても、大人としても」です。

家の中での思考と行動の、幼稚極まりないところにおいて。

この人が人を育てるなんて、まず無理だよ、と。


その幼稚極まりなさを、もう変わってほしいとかは思いません。

というよりそんなこと、想像できなければ期待できるはずもない。

しかしだからこそ、ただ「ひどい」と思うしかないことになります。

全然、お話にならないじゃないか、と。


これが客観的に正しいとか、間違っているとかは問題ではありません。

というよりそんなこと、他の誰かが判定できるものではないでしょう。

ひどいのは、自分と親との関係性において、で全然構わない。


そもそも、他者同士だからこそ生まれる関係性というのが消えてなくなってしまっているからこそ。

「親がひどい」ともちゃんと思えなければ、堂々と言えなかったりするのだと思います。

これがアダルトチルドレン、ならびにその原因となる親と子という関係性問題の、根深さだとも思っています。


と、ごちゃごちゃ書きましたが、つまるところ。

「他人になる」ということでしょう。

親とです。

家族という立場を離れて親を見ることを、強調してもいいかもしれません。


それができると、アダルトチルドレンの克服へ向けて一目散。

あとちょっと。

そんなところかもしれません。


読んでいただいてありがとうございます!

今日も残り、良い一日をお過ごしください!

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