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目指すは自活

こんばんは!

ケミオです。


今日のEMDRが終わりました。


もう、だいぶいい感じまで来たようです。

時たま、過去の映像がリアルに浮かんでくることや、その日のことをよく覚えているようになったことなども先生に伝えましたが、それらはやはり、先生曰く良いことらしい。

今取り扱っているトラウマ処理も、次回でクリアしそうな感じです(こればかりはやってみなければわかりませんが)。


それはそうと、仕事が終わってつい先ほどです。

ふと、このようなことを思いました。

「なんで俺は、アダルトチルドレンの原因となった実家が心底嫌なのに、実家にいるような真似をしているのだろうか?」


しかし思ったところで、理由ははっきりしている。

やっぱり私は、自分の意思も希望も取り上げられた人間だからです。

結局のところはまだ、親の思うままになってしまっているんだと思います。


今日のEMDRではっきり見えましたが、私の母が家庭に求めているのは、まずもって自分の承認です。

今も昔も。


子どもの頃は、その承認相手を私がしていました。

それをずっと引きずって、ここに戻ってきてしまったのは間違いない。


私自身の意志ではありません。

感覚としては、得体のしれない何かに引っ張られて、結局実家にいるような。

ただ、それもそのはずで、やっぱり私は自分の意思も希望も取り上げられた状態を、ずっと引きずってしまっているが故だと思います。


一言で言えば、親の「思う壺」のわけです。

しかしそう考えると、自分としてはやっぱり嫌。

自活する必要があるし、またそれができてこそ、アダルトチルドレンを卒業したと言えそうです。


そこまで考えると、またそこから自活するためにはどうしたらいいか…となります。

すると今度は、仕事も含めて一から見直す必要がありそうだ、となってくる。


今、明確にこうしようという案があるわけではありません。

しかし、まず実家でリモートで仕事をしているのは、どうもよろしくなさそうではあります。


一方でこれに関連して一つ言えるのは、自分は自活したこと自体はあるということ。

得意でも好きでもありませんが、炊事も洗濯も掃除も全部自分でやって、一人暮らしをしていたことがありました。

なので、一応能力としてそれらができることは知っている。

必要なのは、環境だということになります。


ただ、特に職場選びという意味において、その環境選びが私は滅茶苦茶でした。

くり返しになりますが、ずっと自分の意思も希望もなかったんです。

noteには何度か書いていますが、自分の存在があいまいだったため、自分の長所も短所も能力も、まるでわかりませんでした。

結果、いつも自分が苦しむだけの環境に、身を置くことになっていました(そして実家に戻ってきた)。


そもそも、どこにいても苦しむだけになっていたようにも思いますが…。

一応無事に過ごせる環境にいたとしても、結局アダルトチルドレンを克服しない限りは生きることに辛さを抱えたままなのは、間違いないわけです。


環境についてはなんだか結論のない話になりましたが、とにかく自分を知るというのは、強調してもしすぎないくらい、大事なことかもしれません。

何事も出発点は、そこ。


じゃないと、自分の選択にも責任を持てない。

責任を持てなかったというのもまた、これまでの私の姿でした。


今日もお疲れさまでした!


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