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私はのび太だった

こんにちは!

ケミオです。


テレビで見たか、マンガ本で読んだか。

ジャイアンがのび太に、このように言っていたのを、私は覚えています。

「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のものだ!」


思えば私は、間違いなくのび太でした。

一方で、周りのみんながジャイアンです。

マンガではジャイアンは一人ですが、現実の私にとってはあらゆる場面のあらゆる人が、ジャイアンになってしまっていた。


ジャイアンの言うことを、「心」にしてみます。

「お前の心は俺の心、俺の心は俺の心だ!」

もちろん、周りの誰も彼もにそうされてしまったら、私の心はどこにもなくなります。

その場その時にいる人の心がすなわち、私の心になってしまっていました。


それでも楽しい心にある時はまだいいですが、どうも自分が心から楽しいと思っているようには感じません。

一方で怒りの心にあるような時は、ただただ絶望的になります。

自分の心に取って代わられた、ジャイアンの心。

これはまるでコントロールできなければ、いつまでも続くしかない気になっていたものでした。


もちろん現実には、周りの人は自らジャイアンになろうとはしていません。

書いてみると誠におかしい話ですが、私がどこにいても自ら進んで、のび太になっていたことになります。


ただ、そんな私もちょっと変わりつつあれば、これでいいのかなと思うことがありました。


とある中華料理店にいた時のことです。

ちょっと変なお客さんがいました。


たいそうアバウトな描写ですいませんが、店員さんが困るだろうというような人です。

私を含めたお客さんが直接迷惑を受けるわけではないですが、困るであろう店員さんとその人のやり取りは、普通に聞こえてきてしまう状況でした。


そんな時、かつての私であれば、勝手にイライラしてしょうもなくなっていたと思うんです。

店員さんだったり、あるいはその変なお客さんによって不愉快になった他の人に、私の心が取って代わられる形で(そこでそんなに不愉快になる人はまだ、のび太かもしれない)。


しかしその時の私も、「黙っておいてくれないかな」くらいは思いましたが。

自分のしていることや心への意識も絶えずあって、イライラしてどうしようもなくなるようなことはありませんでした。

むしろ、オーダーした中華丼。

これがすごく美味しくて、「美味しい中華丼を食べられると幸せだなぁ」くらいのことを思って、お店を後にしました。


顛末は以上ですが、まとめると。

心を中心とする自他の境界が、できてきたのかもしれません。

もちろん、私ものび太でなければ、ジャイアンもどこにもいない、と。


読んでいただいてありがとうございます!

今日も残り、良い一日をお過ごしください!

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