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お布団からアフリカ縦断 〜生き様で語れる人を増やす〜

こんにちは!けいたです。

僕はうつ病&人生迷子から無一文日本縦断&アフリカ縦断を達成し、

現在は
・メンタル系YouTuber
・メンタリングセッション
・学生への講演

をしています。

正直まだまだ事業と呼べるほど形になっていませんが、
「なぜ僕がこの活動をしているのか」をまとめました。

5分だけ、あなたの時間をください。


僕の全てだったバスケットボール

幼き頃

僕は小学4年生から始めたバスケが大好きでした。

練習から帰ってからも、
近くの公園で日が暮れるまでダムダムしてました。

当時の僕は、バスケだけが生きがいと言っても過言ではないくらい、
バスケにのめり込んでいました。

高校生の時の引退試合に納得できず、「まだまだバスケがしたい」と思い、
バスケの強い大学を選んで、大学でもバスケを続けることに。

高校時代

思ったように試合には出れなかったですが、
チーム全員でいろいろ話し合いながら
切磋琢磨できる環境でバスケするのが最高に楽しかったです。

大学時代

しかし、大学3年の秋。

教育実習から戻ってきて一発目の練習で、
僕は膝を怪我して手術することに。

僕は最後の1年間、
プレイヤーではなく学生コーチとしてチームに貢献する道を選びました。

後悔はありません。学生コーチも最高に楽しかったです。

学生コーチ時代

僕は入院中、病院のベッドで真っ白な天井を見上げながら
こんなことを考えていました。

「進路どうしようかなぁ」

入院中の笑顔

これまでバスケしかしてこなかった僕は、
自分が何をしたいのか全くわかりませんでした。

教育学部だったものの、
自分は教員をやりたいわけじゃないなと思っていました。

かといって、企業で働いてる自分も想像できず就活も違うと思い、

ひたすら病院のベッドで考えていました。

ただ、僕には一つだけ確かな思いがありました。

「バスケくらい、いやバスケ以上に情熱を持ちながら夢中になって生きたい」

しかし、誰も口には出していませんでしたが、
進路選択という場面に、僕はある雰囲気を感じていました。

それは

「人生の青春はもう終わり。ここからは我慢して働くしかない」

というもの。

「いやいや、これからの人生の方が長いぞ?
だったらこれからこそ青春を生きたいよ」

僕は諦められませんでした。そして、

「自分が好きなトレーニングの道に進めば夢中になれるんじゃないか」

と思って、スポーツ選手のトレーニングコーチ(以下、SC)の道に
進むことを決めました。

自分の興味のある分野かつ、
周りとは違う道ということで、僕はワクワクしていました。

「大学卒業後も最高な毎日を過ごすぞ」と。

ここから数々の試練が待ってるなど、
これっぽっちも考えずに。


次の道を見つけるも、「頑張らなきゃ」でうつ病に

SC1年目

大学卒業後、サポートしてくださった方の存在もあり、
僕は無事にSCとしてのキャリアをスタートさせることができました。

自分の好きなトレーニングという分野で毎日新しい学びがあり、
楽しくてやりがいのある日々を過ごしていました。

そして半年ほど経った頃、僕は目標を立てました。

・20代半ばでアメリカでトレーニングを学ぶ
・20代後半でプロチームで仕事をする
・30歳で自分のジムを持つ

「自分のジムを持って、もっとお金も稼いで自由に生きるぞ!」

当時は副業ブームでもあり、もれなく僕もお金を稼ぐために
ブログやYouTubeを始めました。

そんな中、僕の人生の歯車が狂い始めます。

コロナです。

SCとして働き出して2年目の2020年、
5月から別のチームで仕事をする予定がコロナによって延期に。

対面が基本のスポーツ現場は、もろにコロナの打撃をくらいました。

とりあえずできることをやっておこうと、
トレーニングと英語の勉強、ブログやYouTubeやプログラミングなどを
朝から晩までやってました。

当然、結果がすぐに出るわけはないのですが、
だんだん焦りや不安が僕を襲うようになりました。

「これ、やってて意味あるの?」

実家で暮らしていたとはいえ、
コロナによって僕は仕事がなかったので収入はゼロ。

僕が選ばなかった教員やサラリーマンという道に進んだ友達は
変わらず給料をもらって働いています。

他人と比較して、

「自分は何をやってるんだろう」

と迷いながらも、

「自分で決めた道だから言い訳なんかしちゃいけない。
なんとかしないと。頑張るんだ」

と自分にムチを打って、続けました。

しかし、頭でいくら考えて前に進もうとしても
孤独感に襲われ始めた心はどんどん壊れていきました。

そして気づけば、夜になると次の日が来るのが怖くなり、

芸能人の自殺のニュースを見て羨ましく感じるようになり、

ある日突然、心と体の電池がプツンっと切れたように
布団から出られなくなりました。

「何もできない。何も考えられない」

うつ病でした。

正直、うつ病だと診断された時は半分ホッとしたことを覚えています。

「あ、休んでいいんだ」

休むのが苦手だった僕にとっては、休む正当な理由をもらえた気がしたんです。

しかしその反面、

「コロナで大変なのはみんな一緒なのに、
自分で勝手に悩んでうつ病になって情けない」

と、自分を責めました。

未来に希望もなく、とはいえ人生を終わらせる勇気もない。

昼夜逆転しながら、現実逃避のためにNetflixでアニメをひたすら見て、
布団の中だけで生活してました。

うつ病だった頃

しかし、それから半年ほど経った頃、
周りのサポートのおかげで、徐々に回復することができました。

「もう一度、夢中に生きれるように頑張ろう。
頑張ってここから幸せになろう」

そう思いながら、
僕はまたSCとして別のチームでキャリアを再スタートさせます。

うつ病の1年後、トレーニングを学びにアメリカへ
うつ病の2年後、ヨーロッパにてトレーニングの研修

しかし、本当の地獄はここからでした。

うつ病後に待っていた、暗闇のトンネル

新天地

新天地でも相変わらず、仕事はやりがいもあり楽しくできていました。

しかし、僕は何か違和感を感じていました。

楽しいしやりがいのあることをしてるのに、なぜか満たされない感じ。

自分が思い描いていた夢中な人生という理想と現実のギャップへの焦り。

「何かが違う。でも何が違うのか、どうしたらいいのかわからない」

そんなモヤモヤが僕の心に芽生え始めました。

「もっと全力になればいいのか?もっと頑張ればいいのか?
もしかして、もっとお金を稼いで自由に生きれたらいいんじゃないのか?」

そう思った僕は、

仕事以外の時間もトレーニングの勉強やセミナーに参加したり、
SNSでトレーニングの発信をしたり、
またもやブログを書いたりするようになりました。

それでも、満たされることはなく、
「もっと頑張らないと」と、うまくできない自分を責めていました。

新天地

さらに、これで終わりではありませんでした。

僕は仕事で学生ともよく関わっていたのですが、
彼らによくこんなことを言っていました。

「やりたいことやれよ。いろんな経験しろよ」

学生時代、僕はバスケしかしてこなかったので、

「目の前の学生には、部活を休んでもいいからいろんな経験をしてほしい」

そういう思いから出た言葉でした。

しかし、そんな言葉を言えば言うほど、

「そういう自分はどうなんだ?
やりたいことやってるのか?いろんな経験してるのか?
口だけの大人になってるんじゃないのか?」

と自問自答するようになりました。

そんな2つのモヤモヤが重なり、

「俺の人生このままでいいのか?」

と強い焦りを感じるようになりました。

でも、どうしていいかわからない。

そんな暗闇のトンネルを、ずっと彷徨っていました。

文字通り、人生迷子でした。

大学生のセッション


僕の人生を180度変えた、たった1つの出会い

そんなモヤモヤを抱えて悩んでいた時、
僕の人生を180度変える、ある転機が訪れます。

それは、メンターとの出会いでした。

正確には師弟関係でもなんでもないのですが、
僕が一方的にメンターと慕わせていただいています。

メンターと出会った当時、僕は

「SCとしてもっと成功したい、お金を稼ぎたい。
小中学生からトレーニングできる環境を作って、
怪我しない体づくりを提供したい」

とメンターに話していました。

ウソではなかったのですが、
僕はあまりワクワクしておらず、
それに向けた行動は何もしていませんでした。

それから僕はメンターとの対話を通して、
たくさんのことに気づいていきました。

・僕は「他人に羨ましいと思わされてるもの」を追いかけていたこと
・心の声にずっとフタをして、自分の欲求がわからなくなっていたこと
・幸せになるには努力が必要で、頑張ることが正義だと思い込んでいたこと
・お金を稼いだり自由な時間を手に入れることが幸せだと勘違いしてたこと
・自分のやりたいという本音より社会的に正しそうなことを優先してたこと

そして、僕は

「自分にとっての本当の幸せってなんだろう?
やらずに死んだら後悔することってなんだろう?」

と、毎日来る日も来る日も考え続けました。

しかし、すぐに答えが見つかることはありませんでした。

それでも、

自分の理想の生活は?
もし毎年1億円もらえるとしたら何したい?
もし1年間休みをもらえたら何したい?
もしあと1年で人生が終わるとしたら?

と、毎朝鏡を見て、自分に問い続けました。

そんな毎日を過ごし続けて、5ヶ月が経とうとしたある日のこと。

僕はいつものように、晩御飯を食べながらYouTubeを見ていました。

普段から見てたわけじゃなかったのですが、
その日はたまたま海外旅の動画がおすすめに出てきて、
興味本位で見てみたんです。

そしたら……

「これだ!!!!!!」

全身にものすごい電流が走り、
思わず握っていた箸を落としてしまいました。

「僕も海外旅に出たい!
もっと世界を見たい!
生きてるって感じたい!」

僕が何よりも心から一番やりたいと思っていたこと、
それは世界をもっと見るということでした。

これは大学4年の卒業旅行での話です。

僕は大学の卒業旅行で、
バスケ部のみんなとフィリピンに行きました。

フィリピンの宿についてたバスケットコート

正直、最初の2日間くらいはめちゃくちゃ帰りたいと思ってました。

日本に比べると小汚いし、シャワーも弱いし、
トイレットペーパーもない。

しかし、3日目。僕はあることに気づきました。

「あれ、現地の人たちはなんか楽しそうに生きてるぞ?」

「なんでだろう?」

そう考えていると、僕はハッと気づきました。

「僕が不便だと感じてたのは、
たまたま生まれ育った日本で培った常識という偏見を通してたからだ。
現地の人たちからしたら、これが当たり前なんだ」

僕は自分の世界の小ささを知ることや
自分の常識が壊される感覚にハマっていました。

「まだまだ自分の知らない世界があるかもしれない。
もっと自分の知らない世界を見てみたい」

僕は卒業旅行を通して、
もっと海外に行きたいと思っていたんです。

しかし僕は、

お金がない、時間がない、仕事が忙しい、
これからは遊ぶより働くことを優先しないといけない

という間違った思い込みに囚われ、

「自分が海外になんか行けるわけない」

と、自分の本音を見ないようにして、
心の声にフタをしていました。

SCとしてアメリカやヨーロッパに行ってたのは、
きっと心の声からのメッセージだったんだと思います。

メンターとの対話を通して僕の間違った思い込みは外れ、
ようやく自分の心の声に気づくことができて、
僕はアフリカ縦断に行くことを決めました。


心のフタを外して、待ち望んでいた旅へ

自分の本当にやりたいことに気づいた僕は2024年3月に仕事を辞め、
アフリカ縦断に出発するまでの間に、無一文で日本縦断をしました。

初めての一人旅で不安がなかったわけではないですが、
やらなかった方が後悔するという確信と、
必ず何かが待っているというワクワクが僕の背中を押してくれました。

仕事を辞めた2日後に北海道に飛び、
北海道の宗谷岬から鹿児島の佐多岬まで
無一文で日本縦断をスタートしました。

北海道に飛び立つ前の空港での1枚

野宿をしたり、ご飯を食べられない日があったり、
寂しくて心細くなった瞬間も多々ありました。

バックパックにつけてた段ボール

しかし、旅で出会ったたくさんの方々が

ご飯をご馳走してくれたり、
お金をくれたり、
家に泊めてくれたりして、

本当に多くの方の優しさに助けられ、
無事に無一文日本縦断を達成することができました。

無一文日本縦断達成。佐多岬にて

そして、それから約1ヶ月後の5月5日。

ついに待ちに待った、アフリカ縦断へ。

日本縦断以上にわからないことだらけで、
日本縦断以上に不安だらけでした。

それでも、

「きっと最高の旅になる」

そう確信していました。

ワクワクと不安を胸に日本を飛び立ち、
僕はアフリカ大陸へ向かいました。

一ヶ国目、エジプトでの1枚

楽しみにしていたアフリカ縦断は、想像以上に過酷でした。

貧乏旅だったので、10kgくらい痩せました。

1日にこのパン1枚とかで過ごしてました

夜行バスで立ち乗りを経験しました。

これは座れた時のバス

旅人が襲われると有名な都市があって怯えてました。

一番怯えてたエチオピアの都市、アディスアベバ

何度も体調不良になりました。

38度超えの高熱①
38度超えの高熱②

早く帰りたいと何度も思いました。

でもそれ以上に、

現地でたくさんの友達ができました。

エジプトの大学で知り合ったみんな
エジプトでめっちゃ親切にしてくれた美女
エジプトの宿で仲良くなった中国人
ケニアで仲良くなった
エチオピアの天使たち
エチオピアの天使②
さとこ国立公園「なぁぜなぁぜ?」
ケニアのスラム街を案内してくれた
ルワンダ行きのバスで仲良くなった
ルワンダの天使たち
ナミビアで飯奢ってくてたイケおじ
ナミビアで飯奢ってくれたセクシーお姉さん

お金のない僕にご飯を奢ってくれた人がいました。

「座って飯食えよ!俺が奢るよ!」と言ってくれたいいやつ

キリマンジャロ登山で、最高に辛くて最高に素晴らしい経験をしました。

頂上に着いた瞬間、涙が止まらなかった

家に泊めてくれた人たちがいました。

ケニア
ウガンダ
ザンビア
ナミビア
ナミビア

アフリカ縦断中に最高の仲間と出会いました。

旅の途中で出会った日本人の旅仲間

その仲間たちと大変なことも嬉しいことも
全部共有して一緒にゴールできました。

3人でゴールした

もう一度やるかと聞かれたら、もう二度としないと答えるけど、
本当にアフリカ縦断してよかったです。

心からやりたいことやるってこんなに楽しいんだと実感できたし、

意外とやってみると何でもできるんだという自信を得れました。

一生忘れられない、最高の旅でした。

疲れすぎて南アフリカの道で寝てた


アフリカ縦断後、メンターの方に言われました。

「経験のおかげかな。顔つきがすごく良くなりましたね」


帰国後に見えた本音

アフリカ縦断を終えて日本に帰国したあと、僕は考えていました。

「これからどうしようかなぁ」

もう一度、自分が心からやりたいことを考えてみました。

「次は、来年に東南アジア周遊と南米縦断に行こう。
そのためにリゾバでもして、お金貯めるか」

そう思ったものの、なぜかスイッチが入りませんでした。

「他にやりたいことがあるのかな?」

僕はひたすら自分と向き合いました。

すると、見えてきました。
僕が本当にやりたいことが。

それは、

「過去の僕のような人を減らし、
やりたいことに向かって幸せに生きている人を増やしたい」

ということでした。

「やりたいことをやって幸せに生きてる人を増やす仕事をして、
それでいただいたお金で旅できたら一番最高だ」

僕は自分が心からやりたいと思った
アフリカ縦断を達成することができました。

そして、これからもまだまだ僕の知らない世界を見に行きます。

でも、一人で満足しててもつまらない。

最高に人生を楽しんでる人が増えて一緒に遊べたら嬉しいし、

自分だけが満足するのではなく、

たくさんの人にも良い影響を与えられる人間でありたい。

だから、僕は冒頭で述べた

・メンタル系YouTuber
・メンタリングセッション
・学生への講演

という活動を通して、

過去の僕のように

・メンタルのことで悩んだり、不安で何も手につかない
・人生迷子になっている
・自分の幸せややりたいことがわからない
・海外に行ってみたいけど踏み出せない

という人たちにも人生を最高に楽しんでほしいし、
そんな人たちの人生のターニングポイントに携わりたい。

こんなことを考えて活動しています。


僕が目指しているセカイ

僕は教育学部にいたのもあってか、教育にも興味があります。

残念ながら僕は「教師」として
教育に携わることは諦めてしまいました。

しかし、僕は気づきました。

やりたいことやって、幸せに生きて、

生き様で語れる人を増やせば、

大人子ども関係なく、

それがみんなにとっての一番の教育になるのではないか、と。

僕はそんなセカイを見てみたいです。

大人も子どもも関係なく、自分が幸せだと思う生き方をして、

自分がやりたいことやったら周りにどんないいことがあるかを考えて、

やりたいことをどうやったらできるかをみんなで考えて、

世界中のみんなが自分の可能性にワクワクして楽しでいるセカイ。

あなたも一緒に、こんなセカイ見に行きませんか?

僕もまだまだ旅の途中です。

今は、事業を形にするために、ああでもないこうでもないと、
毎日奮闘しています。

心が折れそうなこともあるし、大変なこともありますが

自分がやりたいと思ったことに、
見たいと思ったセカイに突き進んでるので、

「最高に生きてる」って感じてます。

僕の奮闘する姿が、
少しでもあなたの背中を押すきっかけになったら嬉しいです。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

あなたが幸せで最高の人生を生きていることを祈っています。

けいた


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▶︎上記以外のお仕事依頼は keita.mentalacademy@gmail.com まで

▶︎旅のYouTube(まだ日本縦断編しかアップできてません🙇‍♂️)


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