【本要約】「仕事ができる」とはどういうことか?
アウトライン
本書の結論です。
世の中には、ビジネス「スキル」に関する本はたくさんありますが、「センス」に向き合った本はあまりありません。センスの重要性はみんな薄々感じながらも、「それを言ってしまったらおしまい」感があるからです。
しかし、AIやテクノロジーの発達によりスキルの陳腐化が加速する中、いよいよこの「センス」というものに真剣に向き合う時代が迫ってきています。
本書は「センス」とは何かということを明言することはありません。センスとはその性質上、定義することができないからです。そのため、こうすればいいという画一的な方法論ではなく、主に日本の経営者を中心に、仕事ができる人の「センス」がある事例をたくさん紹介してくれます。本書ではセンスは先天性のものではなく、あくまで後天的に身につけられると言います。
本書を読んでいけば、自分なりに「センス」というものを感覚的に掴めて、磨いていくことのヒントになるのではないかと思います。
仕事ができるとは何か
本書の起点は、「みんな仕事ができるようになりたいと思っているのに、なぜ本当に仕事ができる人は少ないのだろう」という疑問から始まります。
この疑問に答えるべく、まず仕事というものは何か定義されます。
仕事とは「自分以外の誰かのためにやること」です。釣りは「趣味」漁師は「仕事」のように、自分のためではなく、誰かに価値を提供することが「仕事」というのが楠木先生の定義です。
「仕事ができる」とはどういうことか。
あっさり言うと「成果が出せる」ということです。そして、「この人じゃないとダメだ」と思わせてくれる人が「仕事のできる人」だと言います。
「この人でないとダメだ」と思わしてくれるような「仕事ができる人」はどういう能力を持っている人なのか。それは、あれができる、これができるといったスキルを超えた「センスを持っている人」です。
「スキル」そのものは、体系化され、定量化され、身につけることができます。例えば、英語なら「TOEIC」、ビジネススキルなら「MBA」のように、明確に教科書があり、育てることができます。しかし、英語ができても、MBAを持っていても、「成果が出せない人」はセンスがなく、仕事ができるとは言えません。
冒頭の疑問である「仕事ができる人はなぜ少ないのか」に戻ると、誰でも努力次第で身につけることができるスキルとは違い、センスは体系化できず、身につけることができない人は、いつまでも身につけることができないものだからというのが疑問に対する答えです。
センスは先天的なものか
「なんで、そんなにスポーツができるの?」
「うーん、センスかな」
スポーツのできる友達にこう言われて学生時代に絶望した方もいるのではないでしょうか。センスには「それを言ったらおしまいよ…」感があり、そのため、世の中のビジネス書ではほとんど取り扱われてきませんでした。
ここで気になるのが、センスは先天的なもの、生まれながらに決まってしまうものなのかということだと思いますが、結論、「センスは後天的に習得可能である」というのが本書の立場です。
センスは直接的に育てられないけども、育つ。他動詞ではなく、自動詞の「育つ」であり、自ら鍛錬するものであると言います。
なぜ今センスが必要なのか
では、なぜセンスが今必要なのかについて考えます。
この図は私のnoteでも何度か紹介してきた山口周氏が提唱した「役に立つ・意味がある」のマトリックスです。
重要なのは「役に立つ」より「意味がある」の方が価値が高いということです。モノが不足していた時代では「役に立つ」が大いに価値を持っていました。日本でも高度成長期では洗濯機やテレビが飛ぶように売れ、「役に立つ」を突き詰めていった「東芝」や「パナソニック」のような企業はナショナルブランドになりました。図では車メーカーが例でトヨタや日産が書かれていますが、日本は「役に立つ」の分野で世界を席巻しました。
しかし、モノが溢れ、成熟した社会では「役に立つ」の価値が次第に低くなり、「意味がある」ものが台頭していきます。車では移動手段としては一般車と特に変わりないBMWやベンツに高値がつきます。極めつけはフェラーリやランボルギーニなどの超高級車で、これらは一般車に比べ、燃費が悪く、図体の割に2人しか乗れないなど、「役に立つ」という点では劣ります。しかし、一般車の何十倍の値段がついており、世の中の多くの人がそれを求めます。
この図はそのまま「スキル=役に立つ」「意味がある=センス」という対応関係に当てはまると本書では指摘されています。つまり、スキルは価値を失い、センスの価値が高くなってきていると言います。
また、AIは定量化できる「スキル」であれば代替していきます。例えば、今後間違いなく同時通訳できるものが開発され、英語ができること自体には対して価値は無くなるかもしれません。しかし、英語を使って楽しく会話する、説得することができると言うのはAIでなかなか代替はできず、価値として残っていきます。
センスとは何か
それでは、センスとは何か。繰り返しになりますが「センスとは○○である」ということは、センスというものの性質上できません。しかし、本書で紹介されている点からセンスのある仕事をする人の特徴はいくつか類似点がありそうです。まとめると以下です。
例えば、陸上の為末大選手は、ある日自分が犬より早く走っていることに気がつき、「自分は足が早い」ということに気づきました。
しかし、100M走で世界を獲れるほどは早くないことを分かっていて、ハードルという競技を選び、見事世界でメダルを獲得する選手になっています。まさに、「自分の土俵が分かっている」ということだと思います。
また、マクドナルドを立て直した原田泳幸氏の例では、順序立てのうまさを解説されています。
やっていること単体は、QSCという飲食の基礎中の基礎の実践、単価の低いもので集客する、客単価を上げるため高単価の商品を出すというシンプルなものですが、組み合わせ方と順番に「センス」があり、結果に繋がった例として解説されています。
また、総括して、楠木氏は暫定的にセンスとは何かについて答えてくれています。それは「センスとは具体と抽象の往復運動である」ということです。
ビジネスは結局のところは具体的なものです。具体じゃないと指示・行動ができないし、結果は絶対に具体だからです。しかし、すごい人はそこから「要するにこういうことだよな」という抽象化ができ、そこから得られた論理を自分の引き出しとして取り出せると言います。
基本的にはビジネスは未知の現象が続くことになりますが、抽象化し、引き出しのある人にとっては「いつか来た道」として捉えることができ、素早い意思決定ができると言います。この「要するに」という力がセンスの正体ではないかというのが著者の意見です。
まとめ
今回は『「仕事ができる」とはどういうことか?』を要約・解説して参りました。
最後に、総括した感想と補足としては【結局センスを磨くためには何をすべきなのか】ということを挙げさせていただきます。
結局センスを磨くためには何をすべきなのか
ここまで読んで「センス」の重要性は理解頂けたと思います。
また、その正体についても暫定的ではありますが、輪郭は掴めたと思います。
では、結局センスを身につけるために何をすればいいのかということが気になると思います。大前提ですが、この考え方こそが「スキル」の考え方で、これをここまでやったから「センス」を身につけることができましたとはなりません。
センスとは「モテる」というような類のもので、何をどうすればモテるかどうかって定義することは難しいということです。
それでも、本書ではいくつかセンスを磨くためのヒントはあります。2つあげると、「修行」と「ディープラーニング」です。
両方ともに共通することは以下です。
「大量行動(データ)によって導かれる」
「やってみないと結果は分からない」
自分の土俵を見つける作業も然り、具体からの抽象化も然り、どちらもまずは量が必要になります。修行ではとにかく師匠を観察する、真似するということから始まります。このことはまさに大量データを学習するディープラーニングに似ています。
そこから特徴量(本質)を見つけていく点も、修行とディープラーニングの共通点です。そして、見つけた特徴量(本質)はモデル化されます。このモデルが先ほど説明した抽象化された引き出しに当てはまります。
このように、まずは大量行動により具体を生み出し、それらを抽象化するということがセンスを磨くということなのではないかと思いました。
本書は日本を代表するビジネスの論客であるお二方の仕事論について触れることができる良書です。ぜひ、本書で紹介している具体的な例に触れ、思考してみてください。
今回の記事は以上になります。
ご一読いただき、ありがとうございました。