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人生の節目(60代~現在75歳)

60代のスタートは、母の大腿骨骨折から始まりました。母は夜中にトイレに行ったときに転んで、大腿骨を骨折しました。

起き上がることも動くことも出来ず、救急車に来てもらい、病院に搬送してもらいました。そのまま入院して手術をしました。88歳でした。


再任用が始まる

私が退職する前の年に、再任用制度が始まりました。勤めていた市では、希望する先生はいなかったと思います。2年目は希望者が私を含めて2名でした。

再任用制度が出来て、私はラッキーと、思いました。教師をまだ続けられるという思いでした。

4年間の再任用の期間が終る時、いよいよこれで教職から離れるのかと、残念な気持ちになっていたら、その時の校長が「講師という道もあるよ。」と、声をかけて頂き、その次の年から、講師として勤めることが出来ました。1年生の主任と担任を任され、本当に嬉しかったです。

講師2年目の途中に左膝が痛み、歩くのも困難になったので、人工関節の手術を8月にしました。10月の初旬に学校に復帰することが出来ました。

次の年の5月家庭訪問が全て終わった次の日、手術した左膝が痛くて歩けなくて熱が出てきていました。夫がその異常に気付き救急車を呼んでくれました。膝に菌が入り即手術になり、その後110日入院することになり、入院中に退職しました。

退職して9月から自宅で療養していましたら、年度末に4月から非常勤で勤めませんか?と、校長からお話があり、喜んで復帰しました。1年生で担任していた子どもたちとまた関わることが出来るという喜びもありました。そして72歳まで勤めることが出来ました。幸せな年月でした。

授業時間が少なくなった分、長い間勤めさせてもらった教師生活を、徐々にクールダウンすることが出来て、学校ロスにならなくてよかったと思います。


母の死

私が非常勤講師をしている間、母はリハビリの期間中に脳梗塞を併発して入院、退院、施設への入所をくり返し、6回目の脳梗塞で意識が戻らなくて、しばらくして亡くなりました。8年5か月の闘病生活でした。母が95歳、私が68歳でした。

長い闘病生活でしたが、ほとんど毎日母に会いに行きました。母がいるのが当たり前で、いつも一緒だったので、心にぽっかり穴が空いたのを感じました。

元気な時の母は笑顔でいつも見守ってくれる存在でした。ご近所の赤ちゃんのお世話を喜んで引き受けたり、お子さんのお母さんたちからも慕われたりして、よく周りの人から「いつかこんなおばあちゃんになりたい。」と、言われていました。

母の座右の銘は「みんな仲良く。」でした。家事や孫の世話もよくしてくれて、家の中心的な存在でした。

余暇には山歩きや山菜採りや旅行に出かけて楽しんでいました。きっと家族の笑顔が、元気の源だったと思います。

人が好きで、施設暮らしになった晩年も、入居者や職員の方々と話をする時間を楽しんでいました。

私は仕事をしていたので、母の介護を直接できないのが心苦しく思っていたのですが、母は「私は70歳まで(働いたのは62歳までです。)働いたのだから、あんたも70歳まで頑張りなさい。私はここで楽しんでいるから。」と、言ってくれました。

私に「好きな仕事を、頑張りなさい。」と、言ってくれたと思っています。本当は、私とゆっくり過ごしたかったのだろうと思っています。

親というのは、子どもに対しては、心から慈しんで、励まし、認めてくれる存在だと思います。今になって特にそう思います。


noteを書き始めて

私は3年前に退職しました。その時長男から「長い間学校に勤めていたのだから、その経験を文章にして発信したらいいと思う。」と、勧められ書き始めました。

好きな仕事を毎日忙しく過ごしていたのを見ていたので、退職したら、お母さんはきっと学校ロスになると思ったのでこの提案をしてくれたのだと思います。

おかげで、自分の教師生活や人生を振り返ることが出来て、忘れていたことも思い出し、文章にすると、こんなことを考えていたんだと、自分を振り返る時間にもなっています。

今年の1月末から人生の節目について書いてきました。今回が節目についてシリーズで書くのは最後です。

今までの子育てや人生の節目、節目を振り返ってみると、本当にたくさんの人達と出会い、支えられ、助けてもらって、ここまでやってこられたと思います。感謝です。

この気持ちを大切にして、これからは無理をせず、自分の力で残りの人生をいい時間にしようと思いました。


母が植えた大きな桃も木が、亡くなった年に枯れました。 次の年に枯れた切り株の横から新芽が出てきました。 6年目の今年は、いっぱい花を咲かせました。


【編集担当より】
40代になり、アンチエイジングという言葉がよく目に入るようになってきました。周囲の友人もかなり気を使っている人と全く気を使っていない人に分かれます。(編集担当は、後者ですが)

学生の頃や20代では、かなり上に見られていました。40代になり、遺伝なのか、苦労をしていないのかわかりませんが、肌つやが年齢にしては良く、昔から毛量が多いためか、今度は若く見らることが増えました。見た目の印象というのは、よくわからないものですね。

若くいる秘訣とは何だろうと考えたときに、個人的には、いつも新しいことにチャレンジしていることかと思っています。これまでの過去のことや経験を語るのではなく、どんなことでも良いので、今日やりたいこと・明日達成したいことを持つことが、魂の若さにつながり、そのことが見た目のエネルギッシュさにつながるのかと思います。

また目標を持つことで、常に自分を向上させることになります。寄る年波には勝てないとつい言ってしまいますが、やれることは何でもやっていく、やりたいと思えることに向かって進む、そういった姿勢で毎日過ごすと、人生に張りがでることかと思います。

このnoteを始めた頃の母親もそうでしたが、やったことがないことにチャレンジするのは、なかなか億劫になるものです。それでも、とりあえず やってみる精神が大事かと思います。

「やってみなはれ、やらなわからしまへんで」というのは、本当に良い言葉だと思います。母も少し若返っているのではないかと思います。おそらく。

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