バレンタインショコラは儚すぎるくらいがちょうど良い
日本のバレンタイン商戦は異常だ。
日本人の趣味・気質を面白いくらいに転がした百貨店の勝ち企画である。
毎年その規模と異常なまでの人々の執着は加速し、何かに追われ競うように催事会場に群がる。
そこにどんな価値があるのだろうか。
我が地元名古屋には、名古屋高島屋という高級百貨店が君臨し駅直結という好立地を武器に、圧倒的な集客を誇る。
特に名古屋の民は新しいものやトレンディに敏感で(というか群がりたがり気質なのかも)、長蛇の列ができれば「私も並んでみたい」なのかどうなのか、理由もよく分からずに驚くほどに列が伸びていく。それが名古屋の民で、名古屋はそういうところなのだ(語弊があっても受け付けません。あくまで主観なので)。
そんな名古屋族を心ゆくまで並ばせて、優越感で満たしてくれるイベントが「アムールデュショコラ」だ。
全国の高島屋で一斉に催されるイベントなのだが、近年ではもはや名古屋のために行っていると言っても過言ではないほどに、白熱のバレンタイン商戦場となっている。
それもそのはず売り上げは日本一番で、海外のショコラティエが集う「サロンデュショコラ」を抜く凄まじい台風の目なのだ。
ちなみに、平均客単価は3万円ほどに到達しているのだとかで、この物価高で消費の冷え込みがあるここ日本にそんなバブルのようなイベントが未だあることがとてもじゃないが信じられない。
なんだか名古屋を誇らしくさえ思うのだ(「名古屋といえば?」の質問の回答にそろそろアムールデュショコラがスタメン入りすることだろう)。
そんなアムールデュショコラで育った僕は、ショコラへの夢はもちろん大きい。
高級ショコラへの好奇心と特別感、手にした時の喜びは少ながらず優越感を含んでいることは否めない。
まあ、スイーツの商戦はそんな気持ちから来ているものだから。
ただ、近年のアムールデュショコラを経験していても、僕の憧れはどうしても「サロショ(サロンデュショコラ)」だった。
僕の食に向き合う根底には、ナラティブ(物語)が知りたい。だったり、作り手の想いを聞きたい。が大きなウェイトを占めている。それは端的に作り手へのリスペクトであり、そこに対価を払って全身で感じてみたい、という好奇心があるのだ。
アムールデュショコラの過激具合は正直しんどい。
残念だがどれを買ってもまんまと陥れられてしまったような、やるせなさがある。
そんな時に見たサロショは眩しかった。
そもそも、サロショはフランスで昔から伝統のある列記とした祭典である。
ショコラティエへのリスペクトが第一であり、作品一つ一つへの敬意がそこにはある。そしてショコラそのものがフランスの文化であることを残し続けるために、手を取り合って繋ぎ続けていきたいという覚悟まで感じるのだ。
サロショのムック本を美容院のkindlで読んでいた時、なんて重たいムック本だ、と心底感動したし勉強になることばかりだった。
そこから、僕の憧れはサロショになり、百貨店商戦でも勝ち切りたい何か大きな理由になっていったのだ。
そんな伝統の祭典が日本にもやってくる。それはぜひ見て聞いて感じて、そして買って食べてみたいものだと、今年こそはと確信した。
前置きは長くなってしまったが、これが今年のバレンタインへの僕なりの答えだった。
ムック本を読み漁り、さまざまな情報を調べ、インポートショコラを目指した。
その出会いは突然訪れた。
サロショへの参戦を逃した僕は、伊勢丹系列の三越を練り歩いた。
日本橋から銀座へと梯子すると、一目で恋した”CHRISTIAN CAMPRINI氏”の名作サブレが残っているではないか。
CHIRSTIAN CAMPRINIの魅惑
オンラインでも瞬殺で完売した名作が、まだ残っているとは夢の如しだ。
少しの躊躇もなく、並び、およそ7,000円もの高額なショコラをコンビニでお茶を買うかのような勢いであっという間にカードを切っていた(狙った獣を逃さない、まるでライオンのような肉食感だったろうに)。
ミーハーではない、が優越感はある。
僕の心はこれが真実。
CAMPRINI氏の名作、「サブレ キャラメル クール フルール ドゥ セル」は流石に完売していたが、新作「サブレ
ノワゼット ジャンドゥージャ」を捕まえた。
16枚入り6,804円とは、誰が聞いても高級ショコラだし、理解もできぬ価値観の世界かもしれない。僕だって3個も4個も買える訳はない。
ただ、理由はある。教科書というか、自伝を読むというか、ショコラを通じてそこまでの熱さ(厚さ)を手にできると思ったから、購入した。食というのはどうせ食べてなくなる儚いものだ。
だったら、思いっきり儚く済ませたい。その経験が食の経験値そのものだと思うから。
生意気でも良いから、そんな想いで飛び込むように買ってみた。初心者なりにだ。
「ザクッ」それは驚くほど砕けた。今まで一体だったのに、一口で粉々になるサブレはなんて心地よいのだ。
砕いたサブレをチョコレートでまとめたまさにサブレdeサブレな食感は、脳天に響く軽快な食感だ。はぁ、とため息が漏れる。
滑らかでコクのあるジャンドゥージャとそれをコーティグしたチョコレートのふんだんな香りと甘さが、それは丁寧でときめくご褒美の美味しさがある。
フランスで作られ、はるばる海を渡って僕の口に入る。そして歴史・技術・美味しさを心ゆくまで堪能している今。
これ以上の贅沢な経験はない。
ザクザクと軽快さは恐ろしいほどに手を止めさせてくれない。
買ってしまっては一緒。もったいないなんて言わせておけば良い。
清々しいほどにあっという間に食べ切った。ショコラティエはそれを望んでいるじゃないかとさえ思うから。
なんて儚いんだ。なんて贅沢なんだ。
そして、幸せすぎやしないか。
これがバレンタインの味わい方だ。
商戦には巻き込まれたくはない。自分の食への価値観は大切にしたい。
ただ、皆が目指すこの最高級の儚さと幸せのためには、来年もまた戦わなければ得られないこの感覚なのかと、その高価な品に値段以上の価値を感じたのだ。おいしくて重厚で濃厚で。
少しの後悔もないが、儚さはある。もっとお金があったらな〜も少しある。でもそのくらい儚い方が、年に一度のバレンタインに夢を見続けられるのだとも思う。
今年は幸せなショコラ体験ができたな~と、箱を開けた時の芳醇なカカオの香りを思い出し、遠いフランスのチョコレート工房とショコラティエの顔を思うのだった。
美味しいひとときに、ごちそうさまでした。
では、また次回。
*Instagramでは暮らしにある食をすきなだけ発信しています*
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