Keiko.

いつか、私の記憶が消えてしまったとしても。

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記憶を記録する

母の記憶の中に、今、私は存在しない。 誰よりも家族を愛し、どんな時も優しく笑っていた母。 家族が母の変化に気づいたのは母がまだ60代前半の頃。 それから少しずつ、でも確実に、母の記憶は消えていって。 数年後には娘である私のことも、宝物のように可愛がっていた孫のことも、最愛の夫である父のことも、全部、母の記憶から消えてしまった。 「人は2度死ぬ。1度目は肉体的な死、2度目は人の記憶から消えた時。」というけれど。母の中で少しずつ自分の存在が死んでいく感覚を、痛みや辛さを、私は今

    • 特別な写真。

      家の中に、写真を飾っている。 玄関と、洗面所と、ダイニングの壁に。 玄関には、自分で撮影した写真を3枚。 そして洗面所とダイニングには、プレゼントしてもらった写真をそれぞれ1枚ずつ。 私がとても好きだと伝えた写真を、彼がプリントしてサプライズで自宅へ送ってくれたものだ。 中でも、洗面所に飾っている写真は、どこに飾ろうか悩みに悩んでここを選んだ。 普通はあまり写真を飾る場所じゃないかもしれないけど、鏡の横の、目の高さの位置に。 毎朝、身支度をしながら。 毎晩、眠る前に。 毎

      • 太陽を失った日。

        母は、太陽のような人だった。 いつも明るく、温かく 家族を、私を、包み込んでくれていた。 今から60年近く前に、祖父から父との結婚を反対された母は、駆け落ち同然で家を出たそうだ。 その後、勤めていた会社を辞めた父と商売を始め、決して裕福とは呼べない暮らしだったはずなのに、私の記憶の中の母はいつも笑っていた。 そして、何よりも家族を愛してくれていた。 長男が0歳の時から夫は単身赴任で。私がひとりで仕事と家事と育児に追われていた時も、母がいつも助けてくれていた。 長男と二男が

        • 『言葉を交わす』ということ。

          2022年3月 今から2年と4か月程前に訪れた写真展で、私は1人の青年と出会った。 彼のInstagramのプロフィールにはこう書かれている。 Makoto Akita 『耳が聞こえません』 熊本で開催されたMakotoの写真展を訪れた時、私はろう者(耳の聞こえない人)と接するのも、手話を実際に目にするのも初めてで、Makotoとは筆談や手話通訳の人を交えて写真の話をした。 このとき『もっとMakotoと写真の話がしたい』 そう思ったことが、私が手話を学ぶきっかけになった。

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        記事

          これから先の人生をどう生きるか。

          人生は選択の連続だ。 どんな服を着て、何を食べて、どこに住むのか。 何時に起きて、どこへ行き、誰と過ごすのか。 何を学び、どんな職業に就くのか。 誰を、愛するのか。 これまでの人生、全てが自分で選択したこと。 『人は、自分が思うようにしか生きられないんだよ。』 10年以上前に、友人に言われた言葉が 私の心にずっと残っている。 当時、離婚に悩んでいた私が 『離婚したいのに、出来なくて辛い』 そんなことを友人に漏らした時だった。 『違うよ。出来ないんじゃなくて、しないんだよ。

          これから先の人生をどう生きるか。

          夏の終わりに。

          春に生活が一変して、もうすぐ半年になろうとしている。 この歳になると仕事でもプライベートでも、嫌なことやしんどいことたくさん経験してきたけど ちょっとこれまでとは違う辛さで。 少しずつ少しずつ、でも確実にダメージが蓄積されていく毎日。 そんな時に追い討ちをかけるように 息子が交通事故で入院したり、自分の体調不良が重なって。 8月に入ってからは、眠れなかったり 家に1人でいると訳もなく涙が溢れて止まらなくなったり 休みの日は電源が切れたように何も出来なかったり そんな状態が続

          夏の終わりに。

          第3の誕生日

          6月6日 今日は私の第3の誕生日。 毎年、ひとりでスイーツを買ってこっそりお祝いする日。 第1の誕生日は1969年12月5日 私がこの世に生まれた日。 両親に守られて、娘として生きた25年。 小さい頃から引っ込み思案で、人見知りで、友達も少なくて。 人に嫌われることが怖くて自分の気持ちが言えない、真面目で優等生の私。 第2の誕生日は1995年8月5日 結婚して姓が変わった日。 夫に守られて、妻として母として生きた21年。 長男が0歳の頃から結婚生活の半分は単身赴任で、

          第3の誕生日

          フィルムに綴るラブレター

          遠く離れた場所で暮らすあなたには 会いたくても、数か月に1度しか会えないから ふたりで過ごす時間はフィルムカメラを手に 『ファインダーの向こうにあなたがいる 私はただ、それだけで幸せなのです。』 そんな想いを、フィルムに綴っていく。

          フィルムに綴るラブレター

          会いたい気持ちを。

          2022年1月22日午前1時08分 緊急地震速報の音で、私は目を覚ました。 え?なに? 寝ぼけた頭で考える間もなく、大きく揺れた。 一瞬で熊本地震の記憶が蘇ってきて 思考も身体も硬直する。 ぶるぶる震える愛犬を抱きしめて 何もできずにただ 早く揺れがおさまることを願うことしかできなかった。 実際にどのくらいの時間揺れていたのかわからない。 だけどとても、とても長く感じた。 そして、ゆらゆらと揺れている間 『いつ、どーん!と大きい振動がくるのだろう』と怯えながら、心に浮かんだ

          会いたい気持ちを。

          ありがとう2021年

          2021年最終日 今年も1年をツイートで振り返ってみました。 ちょっと、カメラとレンズ買いすぎ。反省。 1月 2020年12月にたくさんのカメラやレンズを手放してSummicron 50mm F2を購入。 2月 RICOH オートハーフとCONTAX TvsとMartinのミニギター買ってました。 3月 二男20歳の誕生日。高級なお寿司屋さんに行きました。 4月 私の写真の原点、haco photoshopで展示を。そして、バースイヤーM4のためにバースイヤーSumm

          ありがとう2021年

          雨の朝にも、月の夜にも。

          2021年11月1日から28日まで南阿蘇鉄道「阿蘇白川駅」の駅舎で初めての個展「雨の朝にも、月の夜にも。」を開催させていただきました。 私がLeicaと出会った日。 この時は怖くて触れることもできなかった、haco店主平田克広氏のLeica M4。 私のLeicaへの憧れはこの日から始まったのかもしれない。 旅の最終日の朝。 ずっと一緒に過ごした、2台のLeica。 2020年4月、友人と開催した3人展を観に来てくれて以来、私の大切な友人になった人。いつも、ありがとう。

          雨の朝にも、月の夜にも。

          なつのはじまり早朝フォトウォーク

          2021.7.22海の日。 楽しみにしていた『なつのはじまり早朝フォトウォーク』 家を出たのはまだ夜明け前の午前4時​ Hasselblad 500c/m と Rollei35 2台のカメラをMINIに載せて。 日の出…運が良ければ雲海を撮ろうと大観峰へ向かいました。 大観峰は雲にすっぽり覆われて、日の出も雲海も観られなかったけど ほんの少しの間だけ朝焼けが観られました。 離れていてもみんな同じ空の下にいる感覚、好き。 次に向かったのは熊本県阿蘇郡小国町にある『はげの湯温

          なつのはじまり早朝フォトウォーク

          なつのはじまり早朝フォトウォークやります

          2021年7月22日、海の日に早朝フォトウォークを企画しました。 みんなで集まるのがダメでも、一緒に写真を撮って楽しもうよ。 そんな企画です。少しだけ早起きして、写真を撮って #なつのはじまり早朝フォトウォーク をつけてシェアするだけ。 どんな感じなのか、前回の早朝フォトウォークをまとめてみました。 2020年9月22日、秋分の日の早朝 #あきのはじまり早朝フォトウォーク は、あきらんさんのこんな呟きから始まりました。 この呟きに何故かみんながわらわらと集まってきて あ

          なつのはじまり早朝フォトウォークやります

          フィルム1本分のHasselblad Diary〜2021.5.30

          Junさんの「海とフィルム1本」を真似して、私もフィルム1本の記事を。 と思ったものの、36枚撮りきる自信も、Junさんみたいに36枚を素敵な写真で埋め尽くす自信もないのでブローニー(12枚)でチャレンジしてみました。 2021.5.30 日曜日 久しぶりにHasselblad500c/mを手にしてお気に入りのカフェへ フィルムはもちろんFUJIFILM PRO400H 生産終了が決まって、私の手元にはあと10本しか残っていない貴重なフィルム。 この日訪れたのは「Mets

          フィルム1本分のHasselblad Diary〜2021.5.30

          私にとって写真とは

          Twitterを眺めていたらこんなハッシュタグが目に止まった #私にとって写真とは 5年前、熊本地震が起きた2016年の6月6日。 私は離婚して新しい人生を歩き始めた。 離婚が成立するまでに何年もかかって、その間にたくさんの辛い出来事があって。 私はたくさんのものを失って、誰のことも信じられなくなってた。 眠れない日が続いて、心身ともにボロボロになって。 ようやく離婚が成立した日は、私にとって終わりの見えなかった長い長いトンネルをやっと抜け出せた日だった。 とてもとても好き

          私にとって写真とは

          YARD

          熊本市東区神水 江津湖の畔にある「YARD」 コンセプトは みずうみの家と庭 建築、服、食、おもてなし。 そのすべてがそろって生まれるゆたかさを照らす、伝えてゆく。 仲良しのスタッフの子とおしゃべりして笑顔になって 洋服やアクセサリー、器やキャンプ道具を購入して カフェで大切な人と過ごす。 私の「好き」が詰まった、特別な場所。 宝島染工、atelier an one、maillot … 大好きな服ばかり。 いつも身につけている indigo silver のアクセサリー