自分と折り合いをつけていく
ガラスの器
と言うタイトルで書こうとしたら考えが纏まらないまま放置していました
「考えても考えても答えが出ないんだよう」
ではなくて
考えても考えてもどうしよもないこともあるし、それって考えても意味がなかったり、そのことについて答えが出てるのに断れない状況で、本人に答えが出てると言うこともある
ただ単に
「自分に自信がない」
だけかもしれない
しかし
春土用で眠くて眠くてしょうがないので、色々後まわしにしているのです
○部屋を綺麗にする
○勉強をする
○インスタアップをする
○ご飯を作る
1日12時間も寝てたら
「あれっ、もう寝る時間💦」
勉強したことを1つに綺麗に纏めるノートを書こうとしたら始まりから躓いているのです
「アイデアはどこ行った~」
自分が2人いればいいとは思わないが、2人いるぐらいのエネルギーが欲しいと思う時がたまにあるし、私が憧れる人は大抵エネルギー数値が高過ぎる人なので、到底及ばないのです。
自分の人生の方向性は
算命学では大運(10年ごとの切り替えの運)で大半会か納音に向かっているかである程度わかる
でもそれを知らなくてもだいたい自分が40才50才過ぎて、自分の人生はまだまだこれからでピークはまだであると考えている人と、自分の人生先細りと思っている人の違いなのです。
安定思考の人でも人生安定型の人でも何が起こるかわからないのが人生なのです
話は戻りますが
私が憧れている九星気学の先生のエネルギー数値を見たらビックリしました。
「340?!見たことない」
大運を見ると
人生後半が大半会ダブル
これは何かしらの功績を残す人なのか、やってることが散らばってしまうのか
自分の持っている器を考えると普通より少し小さくて薄く出来ている、ガラスの器のように思うのです
辛い経験を沢山して器を大きくしていく人もいるらしいが、この例えもよくわからない
ガラスの器にヒビが入ると、パーンと割れてしまう可能性もあるが、修復するためにゆっくり時間を費やすことも出来るのです
割れてしまったらおしまいなので、割れてしまう寸前にコップの中の水が溢れないか、溢れそうになったら他の器に移すか…
こういう選択肢もある
そして選択肢は3つぐらいが人はわかりやすいのです
そして長く生きていると自分の器が割れそうとか、水が溢れそうとかが寸前でわかるようになるものです
身の丈を知るとか
自分の分を知るとか
こんなキツい言葉ではなくて
自分自身に折り合いをつけて生きていくことは、自分の可能性を閉じてしまうことではなくて、生き辛さと言うものを特に感じていなければとても良い生き方だと思う
小さく丁寧に生きることは
自分自身を大切にしているので
自分に関わる人も大切に出来ていることなので、ちょうどいい程良い生き方なのです