子供を授かると言うこと
子供を産むことで失ってしまうものは客観性だそうです。
どうしても自分の子供と言うフィルターをかけて物事を見てしまうようにホルモンの影響でなるそうです。
子供がいない人は母性と言うものを対等に向けることが出来るようです。
私は望む望まない以前に
子供が欲しいと言う思考にならず
恋愛関係が持続していく中で
家族を持つ家庭を持つと言う意識が先に向きました。
父に
「これだけテレビで子供のことばかり放送してると私も考えざるを得なくなる…」
「今はそういう時期だし、独身の人多いから…離婚する人も多いし…桜咲いてるから見て来れば?」
そんなことを考えている時に、近所の公園とスーパーに桜を見に行きました。よたよたおぼつかない足取りでいつものように歩いていると
「あなたに会いたかった、嬉しいわ、癒やされるかわいい」
いつもの美容師さんに言われ、ネットの中のイヤな奴の自分は本当の自分じゃないことに気付くのです。
重い荷物の持てない私は安い乾物をスーパーで買い
「やっぱり特に欲しいものないな…」
と満足してしまうのです。
そして救いの神?に会いました。
「◯◯ちゃ〜ん」
名前を思い出せず思わずお母さんの名前を言った後ですぐ思い出して言い換えると、自転車に乗って何処かへ出発しようとしてる近所の◯◯ちゃんが久しぶりにつかまりました。
「えっ、今年から大学生なの?」
ほんとに小さい頃から知っている彼女の顔をよくよく見ると、中学生の時に会ったきりだと思い出しました。
その時は消費税の計算の仕方を教えたような…
中学生の時とあまり変わってないあどけない顔を見て、世の中のお化粧を当たり前にしている高校生と違い凄い真面目な子なんだな…と
「あの骨折した時の…」
「あの時付けてくれたミサンガまだ持ってる…妹が欲しいって言っても絶対にあげないんだ」
凄くその時の事を大切にしてるのを聴いて、沢山お話してお別れしたあと、スーパーの帰り道に涙で震えそうで霞んだ太陽を見て
「何も見えないし聞こえないよ」
こんなボヤきをした直後の出来事だったのでなんとなく彼女が神がかって見えました。
若いって言うのはこんなにエネルギーが違うのか…
そういえばあの顔誰かに似てると思ったら、出会ったばかりの今の彼と重なりました。
幼いようなあどけない膨張したまん丸の顔…
18才から20才ぐらいってだいたいこんな顔なのかな
少し経つとシュッとして来るんだけど
子供でいる時期が如何に短いか
それよりも地域や近所の繋がりが如何に大切か…そして直接会った相手から見る私と言うものは特に変わってなかったことに気付くのです。
「みんなに優しくて…」
それだけでいいと思いました。
心と言うものは自分から伝えなくても、脈々と引き継いで育って成長していく
繋がりを絶たないこと
繋がろうと言う気持ち
そして
精神的な繋がりの大切さを思い出させてくれた出来事でした