
京都芸術大学 美術工芸学科 写真・映像コース 三年生の展覧会「旅と文学」@MEIDIA SHOP in 京都三条
「旅」と「文学」という文脈を取り込み、生成される名付けえぬ表現たち。
変容する写真・映像というメディア表現の形式に新たな意味や価値を作り出す若いアーティストたちの挑戦的な表現の数々が、現在京都三条のMEIDIA SHOPにて展示されている。
この展覧会は京都芸術大学 美術工芸学科 写真・映像コース 三年生32名の作品で、9月から12月まで毎週水木金曜日の28日間の午後の2コマ、計56コマを使った「旅と文学」という講義の成果展となっている。
この「旅と文学」は写真・映像コースの名物講義となっている。京都芸術大学の写真・映像コースは現代写真の視点から見て、とてもユニークな作品を作るアーティストが育つ土壌がある。卒業制作展では毎年驚かされるのだが、人によっては、この「旅と文学」の講義での経験がそのまま翌年の卒業制作へと活かされる形になって発展している。
写真・映像表現を拡張・変異させる講義設計
「旅と文学」では、それぞれに自身で選んだ長編の古典「文学」作品を読み、そこから得たインスピレーションと「旅」によって得た身体的な経験などを作品に活かし、作品製作を行うというのが課題の条件として設定されている。
この講義の建付は非常によくできていて、誰でも写真が撮れる時代において、ある写真が「芸術になる」「表現になる」という経験をするために重要な要素が自然と作品制作の中に組み込まれる設計がなされている。
どうしても自己表現の枠内に収まりがちになってしまう写真表現に「旅」と「文学」というものが構造的に組み込まれることで、それらは現代アートにおいて、重要な要素となるコンテクスト(文脈)として機能するようになっている。
とはいえ、この設定に対する自由度は高く、どのように「旅」や「文学」を口にし、自身の作品の血肉にするのかというこの設定に対する解釈そのものを問うところが作品制作の本質に関わる要素となっていく。
文学作品の世界観を描き出すこともあるが、物語や旅の経験を元に自分自身のコンテクストを作り上げて、独自の解釈によって単なる自己表現の枠組みを超えていくことも当然にある。
「旅と文学」という設定に囚われると作品解釈を見誤るような表現も現れるところがこの展覧会の面白さである。
毎年欠かさずというわけにはいかないが、実はこの展覧会は冬のたのしみではあって、何度か足を運んでいた。そこでの体験は現代美術館やコンテンポラリーアートのギャラリーで感じるような新鮮で、深く複雑な問いに満ちたものとよく似たものであることが多い。
写真をいわゆる写真のように説明書通り、枠の中に収めていたかもしれないアーティストたちは、この講義を通して、半ば強引に表現を拡張させられ、変異を促されているように思える。
筆者は博士課程の研究にて写真の拡張を「POST/PHOTOGRAPHY」として検討してきた。最終的に博士論文の中で、新たな写真術とともに生み出される写真表現を「写真変異株」という概念で表現した。
この講義は、まさにその「写真変異株」が生まれる場所なのだ。
2024年度の「旅と文学」

筆者撮影
会場はMEDIA SHOP 1Fのギャラリー、受付奥のスペース、螺旋階段上空、2Fのギャラリー、3Fの通路、4Fのギャラリーと建物全館に広がる展示となっている。
表現は簡単には説明できないほどに多様で、写真的なものから、映像作品、オブジェクティブなもの、写真や映像を使ったインスタレーション、スクリーンを使ったキネティックアート、プロジェクションマッピングの要素を含む作品、映画世界を再構築するインスタレーション、人の認知に関わる実験的な装置、空間に浮かぶ謎の物体などなど。
それぞれ「写真性」を持ったユニークな表現となっており、それらがもたらす体験は単純認知との「差異と落差」によって鑑賞者である筆者に現代の視覚文化がいかに複雑で豊かなものであるのかを示してくれた。

筆者撮影

筆者撮影
現代写真を研究する身としても、この展覧会に立ち会えたことはとても刺激になった。写真における新しい表現はやはり、若い世代から生まれる。それは、写真というものが装置というテクノロジーを通して生産される「テクノ画像」だからであろう。
「現代写真」という言葉がなくなる時を願う
筆者はいわゆる「現代写真」というものを研究している。人前に出る時には現代写真研究者とも名乗っている。
その一方で、「現代写真」という言葉がなくなればいいと思っている。「現代写真」とはいわゆる「写真」と言われてきたものと写真変異株を分離する表現である。
現在は、デジタル化によって、コダックが作り出したシステムが全てだと思い込んでいた写真の領域に百数十年ぶりに「発明」の可能性がもたらされている写真というメディアにとって画期的かつ重要な時代なのである。
一見するととても写真に見えないような表現も多く提示された今回の展覧会であるが、それらは彼らの時代における「写真」なのだ。「現代写真」というレッテルを貼ることなくそれらをアタリマエに「写真」として考えられる時を作るのが筆者の仕事だろうとあらためて思う展覧会であった。
現代写真、コンテンポラリーアートの写真を味わう展覧会という意味では、他ではめったに見れないレベルの展覧会であった。
「旅と文学」
美術工芸学科 写真映像コース三年
2024.12.11[水]→12.15[日]
開館時間|12:00-20:00(最終日は18:00まで)入場無料
MEDIA SHOP GALLERY
京都市中京区河原町三条下る大黒町44 VOXビル