心の底からおめでとう と言うために
だから、この春
新しい自分をデビューさせる。
日経の記事を見てInspire された
今朝の日経「18プラス」の池上彰さんの記事を見て
勝手にInspireされたので、今思ったことを書いていく。
うつ病になってから
かなりの人との交流を絶った。
コロナで人との接触が出来ないこともあるけど、多分それ以上に、人の幸せを見るのがいやで
意図的にそいういう場面を避けてきた。
「ありがとう」っていう感謝の気持ちをもつと
幸せが引き寄せられる、的な文章や本がたくさんあるけど
科学的に検証されておらず、ちょっと自分でも上手く説明出来ないので
もう少し纏まったら「慈悲の瞑想」の一部として、考えようと思う。
だから今日は
「おめでとう」
について考えた事。
「おめでとう」という言葉
振返ってみると、
「おめでとう」
って言葉は人生の節目節目で使うけど、数としては
「ありがとう」より、少ない。
少なくとも自分の人生では。
誕生日、入学式、卒業式、成人式、就職、昇進、結婚式、出産、引っ越し。。。
ぐらいか。
人の幸せと自分の幸せ
人の幸せを見て
素直に「おめでとう」が言えない自分がいる。
多分それって、
自分の中に「嫉妬心」とか「羨望」みたい気持ちが混じっているからだと思う。
本気の「おめでとう」の中に
数パーセントの「嫉妬」が入ってしまう。
純度100パーセントの「おめでとう」がどうしても言えない。
いや、言いたいんだけど
どうしてもダースベイダーみたいな感情が湧上がる。
残念ながらライトセイバーは持っていない。
その後、自分を余計嫌いになる。
自己嫌悪。
抑うつ状態の時は、それが積もりに積もって
脳を障害状態まで追い込んでいく。
去年の夏、兄が家を建て
家族でお祝いする会にも、
うつで休職している自分がお祝い事するのは何か気が引けて
自分だけ参加しないで、一人家に引き籠もっていた。
結局それが引金で、その後、重度の抑うつ状態に陥ったので、若干後悔している。
(※うつ病だから「喜んじゃいけない」とか「めでたい気持ちになってはいけない」って事はない。これは100パーセント断言する。精神科医にもこれは言われた。)
「おめでとう」を心の底から言ってみる
「おめでとう」
を言う度に
周りより良い会社に入って
金を稼いで
「ふん!俺の方が幸せだし。」
って言いたい気持ちが増してくる。
マジで。
でも、結局そうならないことが多くて
段々理想の自分と現実の自分が離れて
また自分を追い込んで、自己嫌悪感がひどくなっていく。
どうしても人と比較して
自分を「不幸せ」だと思い込む癖がある。
「self-compassion」ではなく
ただの自己憐憫
瞑想している最中に
「そういえば、あいつ結婚したらしいなぁ」
「子供生まれたらしいなぁ」
とか考え事が浮かんでくる。
考え事が浮かんでくること自体良いとか悪いとかではない。
それが普通だから。
(出来れば考え事しないように、何かに集中するのが良いのだけれど。)
マインドフルネス瞑想の実践としては
「あ、今、考え事した。感情で言うと。。。嫉妬!」
みたいに言語化して、認知確定する「ラベリング」という方法がある。
こうすることで、連続する思考を一時停止して、
今この瞬間に意識を戻すことができて、その力が徐々に着いてくる。
(これは脳科学的にも正しいらしい。
「意識を戻す」、っていうトレーニングをすると、その力が段々強くなる。筋トレと一緒。
脳内の機能を結ぶ、ニューロンが強化される
→集中力が高まる。というプロセスらしい。)
そして、自分でマインドフルネス瞑想を実践するようになって気づき始めたけど、
「自分が人生で躓くこと」と「人の幸せ」は、
実は1ミリも関係がない。
びっくりした。
「人の幸せ」を喜んだり、願ったりしても
自分の幸福が削られる訳ではない。
むしろ、幸福度は増すらしい。
でも、そういう思考プロセスを変えていくのはなかなか難しい。
でも、変えていきたい。
これからは誰とも比較しないで
心の底からちゃんと伝えられるようになりたい。
この春
卒業をする人
入学する人
転職する人
入社する人
結婚する人
出産をする人
昇進する人
引っ越しする人
新しい人生をスタートする皆さんへ
「おめでとう」
だからこの春
新しい自分をデビューさせる。