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書くことが日常

私にとって、”書く”という行為は切っても切り離せないものだ。

私にとって書くとは、伝えること、記録すること、文字の鍛錬、自分を律すること、だと思う。


私は人並み以上に書いた経験があると思う。

日記、手紙、勉強、バスケノート、読書ノート、手帳、おこづかい帳に。鉛筆、シャープペンシル、ボールペン、ラインマーカーで。


小学校に入学したころからだろうか、母と交換日記をはじめた。その日あった出来事、ちょっとしたクイズなどを書いた。小学生相応のきらきらぷくぷくしたシールと、カラフルなペンでデコレーションも忘れずに。

年次が上がると、母とはノート交換をせず、自分で日記を書くようになった。代わりに日記を交換していたのは友人だった。毎日会う友人の、話すだけでは分からない本音に出会えるのが楽しかった。笑えるイラスト、絵しりとりも添えて。”文字フェチ”になったのは、交換日記で他人の書いた文字に「かわいい」「大人」「やさしい」とか感想を抱くようになったからかもしれない。また、遠くなった友達や誕生日の友達には、手紙を書いていたような記憶。

中高になると、大半が部活で埋めつくされた生活で、日記の代わりにバスケノートを書いていた。同じことで注意されないようにするために先生の発言を記録したり、フォーメーションの図を書いたり。試合ごとにノートは提出で、見られることを意識してていねいに書いていた。そして先生からコメントをもらえると嬉しかった。

大学生になり、バスケノートも日記もやめていた。しかし、大1・2は読書ノートをつけていた。本のタイトル、作者、読了日、気になったフレーズと感想。読書ノートを振り返るだけでどんな考えに触れたのかがわかるようにまとめてた。

バイトノートも作ったっけな。明文化されたマニュアルがなかったから、自分で自分用のマニュアルを作る意気込みで、ショーケースやレジの並び順、注意すべき点を書いて、毎回の出勤前に確認してた。

コロナ禍に入り読む本を手に入れにくくなり、読書ノートはやめてしまった。だいたい大2から大3にあがるとき。大3になり再び日記、そしてバスケノートを書き始めた。

大3にもなると提出する相手もいないので、完全に自分のために書いていた。

バスケノートにはその日できたこと・できなかったこと、チームとしてよかったこと・改善したほうがいいことを。日記には主に就活と部活をやってて感じたことを。


私は文字を書くこと自体も好きだと思う。

再び幼少に戻るが、小学校で新しい漢字を習うごとに、きれいに書けるようになりたくて、漢字ドリルの枠外にもたくさん漢字を練習していた。高学年になると自学ノート(自分で好きな科目を好きな量勉強するノート)を毎日やったが、目標ラインよりも常に多く書いてたと思う。たぶん、勉強したかったというより、たくさん書いてる自分に酔ってた(笑)と思う。

大学受験の時も、裏紙にひたすら書いて偉人を覚えたり、計算をした。あえて鉛筆を選んで使ってたのは、鉛筆の背丈で努力量を計ろうとしたからだ。


書く相手は、母、ともだち、先生、そして自分に。

書く目的は、思いを伝える、その日の出来事を記録する、ていねいな文字や文章を書く、覚えるため。


現在は、卒業論文、そしてこのnoteを書くようになった。

卒業論文は、読んでくれる相手を想像するようにすると、やる気が出る気がする。

noteはまだまだ粗削りだけど、誰かに共感してもらったり、誰かのきっかけになりたくて、”誰”の部分は不明確だけれど書いている。


手段や目的は変わっても、私は誰かのために、一生書き続けるのだと思う。



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