自分を愛する難しさ
「あぁ、また夢みる夢子だ。現実逃避しようとしている。」
今朝、自分のいつもの無意識のつぶやきが聞こえて、ハッとした。
表面的には、「私はクリエイティブだ」と愛しているつもりでも、心の深いところで、自分の夢みがちな性格を全否定している自分がスパッと暴かれた。ということは、私は大半の人生、「ありのままの自分」を全く受け入れずに過ごしてきたのか?
私は、本当に想像・創造するのが好きな子供だった。
父母は忙しい人たちで、決して犬を飼ってくれなかった。自分では犬が欲しくて欲しくてしょうがなかった。毎晩眠りにつく前、布団の中で、犬を飼っている自分を鮮明に想像するのが楽しみだった。どんな犬種で、どんな犬小屋を建てて、どんな色の首輪で、どこへ散歩に行くのか、など。
動物百科辞典を見るのが大好きだった。インターネットのない時代、百科事典の中で静止しているアフリカの動物たちが絵と違う動きをしている姿を想像してワクワクした。
隣のあきらくんとは、紙で3階建ての大掛かりなドールハウスを作った。紙だから、何か足りない時、すぐに描いて切り抜いて、魔法のように創ることができた。
当時、行き場のない鮮明な想像力をこの現実に出すのは、絵を描いたり、ものを作ることだった。絵以外にも、流行っていたフェルト細工、紙粘土、木工版画、写真などなど、色々やっていたことを思い出す。
子供の頃、家族、友人や近所の人々から、この想像力・創造力を褒められた。なのに、中学、高校、大学と教育が進むにつれ、その才能はどんどん無視され、価値のないものとされていく。
自分が一番得意な力は無力化・無価値化され、無視される。そして、一番得意なもの以外の中から、「私の得意なもの」を探さなくてはいけなくなる。そうなると、自分の心の磁石はぐるぐる狂い始める。
占星術のチャートには、各人の魂が記されていると言われる。
水星・海王星・太陽が、第一ハウスにある私。大人になってから、ぐるぐるしている私の磁石を修正するために、何人もの占星術師が「クリエイティブを活かして生きていくと人生が開ける」と私のチャートを読んだ。そのアドバイスに従って、表面的にクリエイティブを装う。でも、社会で自分を殺して、決められたことをできない自分をダメ社会人だと思ってきた積み重ねは、無意識層に沈殿した。
自分の創造性を深い心で否定する自分に、半世紀以上経って、気づく。夢みる夢子も、現実逃避するのも私なのに。これも含めて全部自分なのに。私は私を受け入れてないじゃないか。
それからなんだろうな、自分を愛せるかどうかは。