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『「介護時間」の光景』(86)「けむり」。12.7.

    いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2007年の頃」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(前半は、「2007年12月7日」のことを、後半に、今日、「2021年12月7日」のことを書いています)。

自己紹介

 元々、私は家族介護者でした。
 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 介護をしながら、学校へも通い、2014年には、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護者相談も続けることが出来ています。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 これは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

2007年の頃

 私は、1999年から介護生活に入りました。心臓の発作を起こしたこともあり、仕事もやめ、介護に専念するようになりました。

 2000年からは、毎日のように、母の入院する病院に通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていて、将来のことは、少し先のことさえ考えられなくなり、ただ、目の前のことだけを見るようになっていました。

 そして、2007年5月に、母は病院で亡くなりました。

 後悔や、脱力感や、自責の念はありました。病院に通わない日々に慣れるのにしばらくかかりました。その頃、義母の状態が明らかに下降線になってきていたので、妻だけではなく、私も今までと同様に、介護への専念を続けようと思いました。

 私にも、仕事などを再開したい気持ちはありましたが、介護に関わる時間が減ったら、妻が過労死してしまうのではないか、と思ったからです。ただ、同時に、介護を続けながらも、臨床心理士になるため、大学院受験の勉強も本格的に始めました。

 大きめの本屋に行き、何も分からずに、「すぐわかる」といった大きい文字が表紙にあるような参考書を買い、それが、あまり役に立たないことに気づき、どんな本を読めばいいのか、と試行錯誤をしているのが12月の頃でした。

 同時に、若い頃に通った大学は法学部だったので、心理学のことは分からず、日々の勉強に意味があるかも不明で、だけど、予備校的な場所に通うお金もないので、模擬試験だけは受けようと思いました。

 少し調べたら、心理系大学院のための模擬試験を行なっている予備校が、高円寺にあるのを知りました。

 もう少し勉強してから、2008年から模擬試験を受けようと決めました。

 この頃は、義母の介護は続けていましたが、母は亡くなったので、病院に通うことはなくなり、日々の記録をつける頻度は減りました。

 この日も、ただ、自分の目に映った「光景」のメモだけが残っていました。どういう経緯で、電車に乗ったのかも覚えていないくらいです。

けむり

 電車の窓から外を見る。
 40年前だったら、確実にプラスの要素ばかりに見えていただろう、工場の太い煙突からの煙。

 空には雲。
 似ているといえば、似ている。
 でも、その形は、すごく違いがあるようにも思った。

                    (2021年12月7日)


 介護をしながら勉強をして、2010年には大学院に入学した。3年かかって修了し、その年の臨床心理士試験には合格し、2014年には臨床心理士の資格を取得した。同年に、紹介によって「介護者相談」の仕事を、幸いにも始めることができた。

 介護をして、仕事を細々としていたが、2018年の年末に義母が103歳で急死し、19年間の介護生活が終わった。体調を整えるのに、思った以上に時間がかかり、整い始めた頃には、コロナ禍が始まっていた。


2021年12月7日

 気温が低くなってきた。

 もう寒いといっていい毎日になってきた。

 今日は、午後から雨が降るらしいこと、明日は雨模様の予報が出ていることを妻に教えてもらったので、すぐに洗濯を始めようとしたが、洗濯物が、かなり少ないので、ちょっと迷って、やめる。

 明日も洗濯ができないのかもしれないけれど、それでも、あさってに洗っても間に合うのではないか、と思ったからだ。

サッカー

 ここ1ヶ月くらい、コロナの感染状況は落ち着いていて、だから、人と会えるようになった。というよりも、おそらく今の時期しか会えないのではないか、という感覚があるせいか、集まる機会があった。

 年に一度、学生時代のサッカー部のOBが集まって、フットサルやソサイチをしてから、飲み会をする、という企画があり、去年は中止になったが、今年は、感染状況を見て、12月4日に開催された。

 私は、用事があって、飲み会からしか出席できなかったが、久しぶりに会う人も多く、話もして、楽しかった。

 その場所にいた、最も下の「後輩」だと10歳くらい年が離れていて、最初は、正直、この集まりで会った「知らない人」でもあったのだけど、基本的には同じ場所でサッカーをやっていた人間だし、もう年をとると、見た目では「先輩」も「後輩」も分からないし、上下関係はほとんど関係がなくなっていて、その方が心地よく、気持ちの距離感も自然に縮まっていった。

 こうして集まって、ボールを蹴る機会があることは、本当に幸運だし、企画してくれる後輩がいて、そして集まる人がいるというのは、とても嬉しいことだった。

被害者

 こちらの想像以上の嘘をついてまで、人を陥れる人がいて、それは介護のこととは一切関係がない話であるが、そうした「被害者」になると、とても怖いことが分かった。

 その上、助けてもらえる可能性がある人は、私から見た「加害者」と、「被害者」である私との、中間に立つことを決めているようで、その姿勢が、「被害者」の立場になると、どれだけ絶望的な気持ちになるかは分かった。妻には負担をかけて申し訳なかったのだけど、昨日はずっと話をすることで、気持ちの立て直しをしていた。

 それで、ふと気持ちが軽くなったのは、誰にも期待せず、誰にも頼らず、自衛のために気を抜かず、自分一人で淡々と、やるべきことをやればいいんだと思えたからだった。

 どうしようもない場合は、外部に助けを求めればいいのだけど、自分が支援する立場には慣れてきたが、支援を受ける側になることには慣れていないことに気がつく。

 これまで、心理士(師)として、相手の話を聞くときは、どんな場合でも、100%信じて聞くようにしてきたし、聞いてきたはずだった。その姿勢には、やはり意味があることも改めて分かったので、これからも、より意識したいと思った。

柿と鳥

 庭の柿の木の葉っぱは、ほぼ落葉し、柿の実だけがむき出しで残っている。
 渋柿なのだけど、最近になって、鳥がやってきて、ついばむようになった。
 もしかしたら、今は、少し甘くなっているのかも、などと思う。

 何日か前は、カラスが来ていた。
 今日は、小さい鳥が来ている。
 さらに、もう少し大きい鳥がきて、鳴きあって、何かの合図を送っているようにも思え、そのうちに複数の鳥が来る。

 ある種類の鳥が何羽か来ているときは、他の鳥はあまり来ないようにも見える。

 こうやって、鳥に食べられて、だんだん柿の実もなくなって、完全に枯れ木になると、冬になるのだと思う。


 柿をついばむ鳥を写真に撮ろうとしたが、動きは早いし、警戒心は強く敏感で、苦戦して、見出し写真くらいが限界でした。

 ご容赦くだされば、幸いです。




(他にも介護のことを、いろいろと買いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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