「介護時間」の光景㉗「言葉」。9.24.
もう19年も前のことで、昔の話で申し訳ないのですが、前半は、2001年9月24日のことです。(後半は、2020年9月24日のことを書きました)。
母が突然、会話も意志の疎通も難しくなり、入院し、回復し、また症状が悪化し、病院へ行っての繰り返しが、1年以上続いたあと、(リンクあり)私も心臓の発作を起こし、次は療養型の病院に入院してから、さらに1年がたつころでした。仕事は辞めざるを得なくなり、介護だけをしていました(リンクあり)。
毎日のように病院に通っていて、それは「通い介護」(リンクあり)といっていい状態だったと思います。母が病院にずっといることにも、自分が不安とともに、病院に通うことにも、まだ慣れていない頃でした。
それでも、病院に通って、帰ってきて、義母の介護に関わる、という単調な日々の中で、周囲の小さな出来事に対しては、かなり敏感になっていたと思います。同時に、毎日の出来事を記録していました。これも、書かないといられない(リンクあり)に近い感覚だったようです。(多少の加筆・修正をしています)。
「2001年9月24日。
午後4時頃、病院に着く。
母のメモが机にある。
『夜622号。トイレ』。
夜になると、なぜか自分の病室のトイレが使えなくて、別のところへ行くけれど、なるべく他の人と当たらないように、という工夫らしい。ただ、書いてあることは、よく分からない。
夢、みないのよ。
そんな母の言葉を聞いて、もしかしたら、また記憶がなくなっている、ということかもしれない、とちょっと恐くなる。
それから2回トイレに行って、午後5時35分に食事になる。
抑制という言葉が何回か聞こえてくる。
母は、50分かけて、食事が終わる。
周囲の物音も多い。
ものすごく大きい咳払いの人。
「でんわ、でんわ」と繰り返す人。
病院なんだ、と思う。
食事が終わって、母はすぐトイレに行く。
それから、30分たたずに、またトイレに行く。
今日、夕方に母の病室に着いた時、薄暗い部屋で、一人で座っていた。
なんだかかわいそうになった。
いつまで続くんだろう。
もう、戻らない、ごく普通の日々。
結婚して、普通の生活は、たった3年だった。今振り返ると、幸せだったと思う。
午後7時に病院を出る。
半月が、きれいに空に浮いている」。
それからバスと電車を乗り継いで、自宅の最寄り駅までは、だいたい2時間かかりました。
言葉
夜の9時。自分の家のある駅で降りる。
いっしょに若いカップルも降りた。
改札へ向かいながら、その二人の会話の、あるところだけ、言葉が固まりになったように耳に飛び込んできた。
「思ってるわよ。
いつも、いつも、いつも、いつも」。
何の事か分からなかったけど、繰り返された同じ言葉のせいか、歌のように聞こえ、しばらく耳に残った。
(2001年9月24日)
2007年に、母は病院で亡くなり、2018年に義母が急死し、介護は突然終わりました。
2020年9月24日。
正午の頃、急にセミが鳴き始めました。
みーん、みーん、みーん、みーん。
月並みな感想ですが、ちょっとだけ夏が戻ってきたような気持ちがします。
しばらく鳴いていたので、気温上昇の合図かと思い、台風が近づいていて、今日は雨が降り続けるという天気予報だったのですが、洗濯物がたまっていたので、一度だけは洗濯することにしました。
正午の時報のように、しばらくセミは鳴いて、沈黙しました。
それからずっと、セミは黙ったままです。
洗濯を始めて、洗濯機が止まって、洗濯物を干し始めました。
雲は、濃いめの灰色で、今にも雨が降りそうだから、部屋干しにしようかと思うと、微妙に空気感が変わって、雨の気配が遠ざかったような気もしたので、一応は、外に干すことにしました。
勘違いかもしれませんが、雨が降るかどうかに、おびえているせいか、雨の気配にすごく敏感になっているように思いました。
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