家族介護者の方へ⑩「介護体験を意味づけようとする微妙な葛藤期」
いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。そのおかげで、こうして記事を、書き続けることができています。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
(※いつも、このシリーズを読んでくださっている方は「三回忌」からですと、これまでとの内容の重複が避けられるかと思います)。
「家族介護者の方へ」
このnoteでは、これまで介護者だった私自身の経験や、心理職として見聞きしてきたこと、学んだ事なども統合して、できるだけ一般的な事として、伝えることができれば、と考えて書いてきました。
さらに、家族介護者の当事者というよりは、どちらかといえば、支援者や介護者の助けになりたいと考えている周囲の方々向けを意識してきました。
それは、実際に介護をされている方々は、とても大変な毎日を送っていらっしゃるのは間違いないので、こうしたnoteの記事を読んでいる時間や余裕がないかもしれない、と思っていたからでした。
ただ、実際にnoteを始めてみて、読んでくださるのは、当初に想定していた介護の専門家の方々もいらっしゃっるのですが、それと並んで、実際に今も介護をされている方々が読んでくださり、コメントをいただいたりすることに、気がつきました。とてもありがたいことでした。
家族介護者には、こうしたnoteの記事を読むような時間も余力もないのではないか、という私自身の想定が間違っていたのが分かりました。こんな言い訳のようなことを書いて、失礼で申し訳ないのですが、やはり、実際に家族介護者の方へ直接伝える意識を持った記事も必要だと思うようになりました。
これまでの内容と重複することも少なくないとは思うのですが、「介護の段階」によって、この「家族介護者の方へ」を、少しでも役に立つような記事として、書いていこうと思っています。
10回目は、「介護体験を意味づけようとする微妙な葛藤期」です。これは、基本的には、介護を終えて2年以上が経った方へ向けて、書きました。
よろしかったら、その時期だと思っていただける家族介護者の方に、読んでいただければ、幸いです。
三回忌
三回忌は、皆さんがおこなうわけではないので、全員に当てはまるわけではないのですが、介護をしていた家族が亡くなり、2回目の命日付近に行われる儀式には、やはり、意味があるのかもしれないと思うことがありました。
とても個人的な経験に過ぎませんが、実母を介護し、亡くなってから三回忌をおこなった時は、まだ義母の介護は続いていたのですが、臨床心理士になろうと思い、大学院の受験勉強もしていて、不思議と少し前向きになったように感じていました。
一周忌の頃は、まだ、母の介護に対して、後悔ばかりが強かったのですが、丸2年がたつころは、後悔は残りつつも、気持ちがやっと先に向くようになり、だから、二周忌というここまでの時間の単位ではなくて、三回忌、というのは、おそらくは3年目、に近い表現のように感じました。
だから、二周忌ではなく、三回忌になっているのか、と思いました。それは、仏教的な意味合いというよりは、丸2年が経って、やっと、先のことを考えられるようになる、というようなことを、示しているように思え、よくできた区切りのように感じました。
ですから、仏教的な儀式とは全く縁がなく、関心がない方でも、介護が終わってから、丸2年がたつ頃というのは、やっと本格的に先のことが考えられる時期なのだと思います。
特に、介護という24時間、365日の緊張状態で、ずっと介護を受けている家族(要介護者)に対して、気を配り続けているのですから、日常的なレベルよりも、さらに密度が高い人間関係を過ごした後に、亡くなっているので、その喪失感は、おそらくは、かなり深く、長く続くのではないでしょうか。
それでも、丸2年が経つと、少し気持ちが変化し、先に向かえるようになるのだと思います。
介護が終わって2年以上経つこと
例えば、介護が終わって、2年以上経った方々に対して、きちんとインタビューをおこなったことはまだありませんし、介護者支援に関わっていたとしても、そうした方々を多く知っているわけでもありません。
ですので、それ以上の年月が経った気持ちに関しては、今回は、自分の体験を中心に考えることになりますので、限界はありますが、ご了承ください。
その上で、話を進めます。
実母を介護し、亡くなった時は、義母の介護が続いていましたので、完全に介護がおわった、という感覚になったのは、義母が亡くなった2018年の年末からになると思います。
それでも、前回の記事でも触れたのですが、1年ほどは、介護が終わったというよりは、19年にわたって介護をしてきたせいか、介護が続いているような感覚でした。
介護をしていた義母がもういないことを、頭では分かっていたのですが、どうしても、特に夜中は、義母の部屋に足が向いてしまっていました。その習慣がなくなったのは、1年がすぎるころでした。
同時に、丸1年は、なるべく休養にあてると、妻とも相談をしたのは、介護後には何年も免疫機能が落ちている、という研究もあるのを知っていましたし、二人とも元々体も強くなく、妻は介護中に喘息が持病となり、私も心房細動になり完治はしませんので、より気をつけようと思いました。
1年の間に、初めてインフルエンザになって、こんなに苦しいのか、ということはありましたが、それ以外はなんとか無事に乗り切ったと思ったら、次は、コロナ禍になりました。
妻や自分の持病もあって、命に関わるので、介護後、丸2年が経った時は、次へ、という気持ちよりも、コロナ禍の時期でしたので、緊張感の毎日が終わった後に、微妙に違う種類の緊張感の日常になっていたので、感覚的には微妙に、「介護の終わり」がぼやけてしまったように思っていました。
そして、とにかく感染しないように、がテーマとなってしまい、そのことで、介護後から、その先への気持ちの変化に関しては、少し一般的ではなくなってしまったかもしれません。
それでも、介護が終わり、2年経ってからは、介護体験に関して、少し考えるようになりました。
19年の介護生活
介護を始めた時は、30代後半でした。仕事も辞めざるを得なくなり、介護に専念し、その間に、幸いにも、途中で学校で学ぶこともできて、臨床心理士と公認心理師の資格も取得して、介護者への支援も始めることができました。
心理学の勉強も続け、心理士(師)の仕事の質も上げるよう、最大の努力を続けましたが、それでも、介護が続く限りは、やはり、心身のエネルギーの多くを、介護に注がざるを得ませんでした。
午前5時過ぎに就寝する生活も続き、昼夜逆転の体質になっていましたから、同業者の方と比べると、その仕事量は少なく、だけど、この生活が続く限り、それ以上増やすと体力が持たない、という時期が5年続いて、19年の介護が終わったときは、50代後半になっていました。
その時は、ただ、突然終わった介護に対して、気持ちが追いついていませんでしたし、その後は、コロナ禍への対応にも気持ちが行っていましたので、介護が終わって、丸2年が経ってから、分かっていたはずなのに、自分が、もう60に近いことに改めて気がつき、そして、なんとも言えない思いになりました。
介護を始める前は、フリーのライターをしていました。2022年もサッカーのワールドカップが行われましたが、介護生活に入る前、ライターとしての目標の一つが、2002年に自国で開催されるワールドカップを取材することで、1990年代後半にはサッカーを取材して書くことも始められましたが、1999年に介護が始まり、自分も病気になり、仕事を諦めました。
しばらくサッカーを見るのが辛くて、テレビでも見られなかったのですが、その2002年のワールドカップは、母の病室で一緒にみて、楽しい記憶になっています。その後の2006、2010,2014、2018年のワールドカップは、介護を続けていた時期でしたが、昼夜逆転の生活をしていたので、夜中の中継は、介護の合間によく見ていました。
だから、今回のワールドカップは、個人的には介護後の初のW杯になり、そのことで、自分がこんなに年齢を重ねてしまったと改めて思いました。
介護経験の意味づけ
もしも、介護が終わった時に、それで時間ができたぶん、心理士(師)としての仕事を思うままに増やすことができ、その中でも、自身がテーマにもしている介護者の心理的支援の仕事が大幅に増えて、そのことで、生活もできるようになっていれば、おそらくは、介護の経験も、かなりプラスに捉えることができていたように思います。
もしくは、こうしてnoteに介護について書くことは続けているので、実際の介護者支援の仕事だけではなく、介護について書くことも仕事につながっていけば、以前の仕事との関連もあって、この19年の介護経験が生きた実感や、もしくは、一度は諦めたライターの仕事を少し取り戻した思いにもなり、その時には、19年間の介護経験をポジティブに意味づけられるように思います。
でも、現実は、自分の力不足もあり、心理士(師)の仕事は、同業者の方から見たら、とても少ない仕事量のままです。この10年、理解の促進も含めて、家族介護者への心理的支援の仕事については、いろいろと努力をしてきたつもりですが、自分自身の能力など、至らないことが多く、残念ながら、その相談窓口が増えている気配も少ないままです。
個人的にだけではなく、介護者支援に関して、全体的にも成果が上がっていないことが、より無力感を増します。
その上で、今も感染に気をつけることが自分にとっては重要になっていますので、勝手な限界ではあるのですが、さらに仕事を増やすことが難しくなっています。そして、そうしている間にも時間は経っていき、年齢を重ね、仕事で採用されるには、条件が難しくなっていきます。
これらは、恥ずかしながら、情けない愚痴に入るのだとは思うのですが、介護が終わって、2年ほどは余裕もなく、未来のことも考えられなかったのですが、こうして、今は介護が終わって、丸4年が経とうとしているのに、仕事の量は介護中とそれほど変わらない状況が続いていると、何か虚無感に近い思いにとらわれることもあります。
そうなると、介護に専念したことに全く後悔はありませんし、介護が終わった時に、介護中にこうしたことをしておけばよかった、特にもっと優しくできなかったのだろうか、といった具体的な後悔はありましたが、それに加えて、介護をしていた19年間が、自分のこれからにとって、ポジティブな意味だけで捉えられなくなっています。
微妙な葛藤
介護だけに、ほぼ専念した年月や、特に広がらない介護者支援の仕事や、社会的にも認知度が低いままの、家族介護者への心理的支援の必要性といったことを考えると、この10年、自分が仕事としてやってきたことの意味合いも含めて考えてしまいます。
介護終了後に、介護を始める以前のような生活に戻れた方にとっては、介護経験というのは、かなりポジティブに捉えられるとは思うのですが、私のように、思うに任せない「介護後」の生活をおくられている場合には、その介護経験の、自分の人生における位置付けは、後悔はないとしても、微妙な虚しさを感じるものになってしまっているのかもしれません。
介護を選択していたとしても、その時間の中で、もっと何かしていれば、介護後も違っていたのかもしれない。
そんな思っても仕方がない、実は存在しない後悔のようなものを抱える微妙な葛藤の中に、介護が終わって4年後の自分がいるように思います。
介護体験の意味
この10年の間に、ヤングケアラーの存在が社会的に認知され、その支援が真剣に検討されてきたのは、とても素晴らしいことだと思いますし、同様に、さらに人数としては多い、シニアの家族介護者にも、心理的支援が必要だと社会的に認められるようになれば、自分自身の仕事に直接影響がないかもしれませんが、自分の介護経験の意味は、かなりポジティブなものになるように思います。
こうして、改めて考えると、この約10年、介護者相談に来てくださる方々に対して、より質の高い相談を提供する努力はずっとしてきましたし、これからも続けることに加えて、その必要性を伝える作業を続けることが、改めて必要なのも再確認できました。
ただ、特に、家族介護者への心理的支援の必要性が、社会に広がらなかった、この10年のことを考えると、底知れない疲労感を覚えることも事実です。
もしかしたら、全く違う場所や、異なった業界の方でも、介護後に、介護体験の意味づけが、まだ定まらず、微妙な葛藤を抱えていらっしゃる方もいるかもしれません。
でも、それは、介護に全力を尽くしたからこそ生じる思いだと考えると、少し気持ちが変わってくることもあるのではないでしょうか。と、自分にも言い聞かせるように思っています。
今回は、以上です。
かなり曖昧で、個人的な話に終始してしまいましたが、同じように介護経験の意味づけについて、いろいろと考えている方が、いらっしゃいましたら、ご意見などをお聞かせ願えたら、幸いです。
そして、家族介護者の方へ、直接、伝えようと思い、続けてきた、この「家族介護者へ」のシリーズもいったん終了させていただきます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
(他にも、介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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