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『「介護時間」の光景』(87)「駅のビルの中の和食屋」。12.12.

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護の理解の一助になれば、と考えています。

 今回も昔の話で、申し訳ないのですが、前半は、20年前の2001年12月12日の話です。(後半に、2021年12月12日のことを書いています)。

2001年の頃

 2001年当時は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする毎日でした。ただ、それだけを続けていました。

 自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていたのが2001年の頃でした。

 その病院に来る前に、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。

 そういう気持ちは、1年経った頃も、それほど変わらず、まだ、うつむき加減で、母のいる病院に通い続けていました。周囲は、あまり見えていませんでした。

 それでも、毎日のように記録をつけていました。

 ただ、この日は、母の病院に行かなかった日なのに、自分としては、かなり詳細な記録が残っていました。

2001年12月12日

駅ビルの中の和食屋

『妻と義母と3人で出かける用事があって、前から1度、3人で入りたいと思っていた駅のビルの中の和食屋に行った。横浜でクラス会をやって、その時も同じお店のチェーン店で、その時に幹事をやって、お店の人と話す度に、「先生のご紹介ですから」…だから、サービスする、と言われ続けた。

 でも、おいしかったのと、このビルにはエスカレーターもあって、車イスでも来やすいので、入りたいと思っていた。今日は義母の誕生日でもあるし。

 店の奥の方の席に案内され、イスを一つどかしてもらって、そこに車イスを止める。隣の机には、60は越えている女性が一人でいるが、黙っていても元気そうなのは分かるような人。

 妻と二人で、前掛けをかけたり、義母が食べる前の準備をしていると、唐突に、その女性に声をかけられた。
「えらいわねー」。
 ちょっと笑って、何となく返事をする。全然、黙っているのも変だけど、それほど話したくもないので、少し会話をして、何となく途切れる。

 それから、私はトイレに行って、帰ってきたら、その間に妻はいろいろと聞かれていた。
 お子さんは?
 どちらのお母さん?

 ほんの3分で、そこまで話は進んでいた。

 食事はおいしかった。義母もよく食べた。
 隣の女性も、ちょっと早いタイミングで食事を終えていて、背を伸ばして店員を呼ぶと、小声だけどハッキリと聞こえる声で「まっちゃソフト」と頼んでいる。

 食事のあと、何となく話をして、それから、唐突に86歳の義母に近づいてきた。 
めまいは?」
 耳が聞こえないと、さっき言ったのに話しかけるので、それをボードに書いて義母に伝える。
「ないです」
 と義母は首を横に振る。

 その女性は、急に「私は77です」と言うと、妻は「えー、見えませんね」と答える。確かに若く見えた。

 そのまま手を伸ばすと、今度は義母の手首をつかんだ。私は秘かに、すぐに動けるように身構える。
血圧が上がっている」。
 少し深刻そうな顔で言うので、「えー、さわって血圧が分かるの?」と気持ちの中で私が笑ったせいか、「脈が早くなっている」と言い直した。さらに「食事の後だからでしょう。心配ないと思います」と言葉をつないだ。

 その女性は立ち上がり、毛皮らしきコートを着ながら、こちらが聞いていないのに話を続けた。
「開業してませんけど、大学で医学の研究をしています。人を使って、診察をしています。だから、これだけ面倒をみる人はいないなー、って分かるんです」。
 妻が答えた。
「えー、でも、人それぞれ事情がありますから…」。
 妻がものすごく偉く見えた。

 そして、その女性は去っていった。
 本物だとしたら、いきなり手首を握ったりするのはやめてほしいし、偽物だとしたら(私は申しわけないけれど、この方が確率は高いと思っているのだけど)どうして、そういう振りをするのか?理由の細かいところを知りたいと思った。

 医者というものが、ただの職業というのではなく、今でも、人によっては「特別ななにか」なんだろうな、と思ったりした』。

                        (2001年12月12日)


 母のいる病院に通い、家に帰ってきて義母の介護をする生活は、2007年に母が病院で亡くなるまで続いた。その後は、妻と一緒に義母を介護する生活になった。その時間の中で、介護者への個別で心理的な支援が必要だと思い、分不相応なのは分かっていても、自分も専門家になろうとし、臨床心理学の勉強を始め、大学院に入学し、修了し、2014年には臨床心理士の資格を取得した。

 同じ年に、介護者相談の仕事も始めることができた。2018年には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得できた。


2021年12月12日

 最近、人の怖さみたいなもの。かなり無理のある嘘をついてでも、人を陥れる人がいるのを知った。

 そういう人に対して、あまりにも警戒しすぎると、それによって、自分が消耗することもわかった。

 それは、介護とはまったく関係ない話だけど、どこかで少しずつでも、怖くても、より正しいことへ向けて、踏みとどまることはしなくてはいけない、と改めて思った。

誕生日

 今日は、12月12日で、亡くなった義母の誕生日だった。
 数字の並びが、いったん覚えると忘れにくい数字だった。

 もし、今も生きていたら、106歳になるはずだったけど、亡くなったのが、3年前の12月で、命日が12月20日で、そのことも同時に思い出す。

 19年間の介護生活だったから、ずっと家で、妻と一緒にみてきていたので、亡くなって、いなくなった後も、しばらく家にいるような気持ちが続いていた。

 もうすぐ3年になろうとしているけれど、やっと、妻と二人の生活に慣れてきた。

19年間

 自分が選択したことだし、誰を責める気もないけれど、時々、19年という月日のことを思う。自分が介護を始め、仕事も辞めて、30代後半から、その生活に入ったから、40代は丸々介護をしていた。

 40代が終わる頃に学校へも行けたし、資格も取れて、仕事も細々とは始められたけれど、ずっと介護をしていたから、最もエネルギーを使うことになったのは、やはり介護だった。

 今もコロナ禍で、そんなに思い切って動けるわけもないし、ふと、この介護での19年間を振り返ると、タイムスリップしたような気持ちになることもある。

 何やっていたんだろう。

 30代から50代は、仕事や社会的な活動に最も力を注げる時間だったのに、とは思うが、妻に、チラッとそうしたことを言うと、ちゃんと介護をしていたんだから、それは、すごいと思うけど、とさりげなく言われる。

 それは、とてもありがたいけれど、それでも、これから、もっと様々なことがうまくいかなくなったら介護の19年のことは、後悔はしていないけれど、それだけ介護に力を注いだため、そこで、いろいろなことが終わっていて当然だから、その後、どれだけ努力しようが工夫しようが、意味はないと、無力感のようなものと共に、思うのかもしれない。

ケーキと花

 妻も、当然だけど、義母(妻にとっては母)の誕生日のことは覚えていて、だから、花とケーキを買ってきたいと相談され、当たり前だけど、賛成をする。

 花のこともあるから、買い物は妻に任せて、そして、しばらく経って、帰ってくる。

 義母の好きだったショートケーキを探したけれど、なかった。だから、好きだったモンブランにした。ケーキは、お義姉様(妻のお姉さん)からいただいたQUOカードを使って、買わせてもらった。

 それと、花屋は、一軒はしまっていたから、別のところへ行った。

 その後に、ご近所の人と道路で会って、少し世間話をして、帰ってきたらしい。

 妻がキレイに仏壇に花を活けてくれて、モンブランも供えてから、二人で線香に火を灯し、手を合わせた。妻は毎日そうしているが、私は久しぶりだった。

 それから、そのモンブランと、食べたことないスイーツを妻と一緒に食べた。

 お茶の時間に、録画していたドラマも見た。

 気がついたら夕方になって、外は暗くなっていた。





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