『「介護時間」の光景』(166)「ひぐらし」。7.26.
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。
(※いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、よろしければ、「2001年7月26日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年7月26日」のことです。終盤に、今日「2023年7月26日」のことを書いています。
(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。
2001年の頃
個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。
仕事もやめ、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。
入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。
それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。
ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。私自身は、2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。今度、無理すると死にますよ」と医師に言われていました。そのせいか、1年が経つころでも、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。
周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日の、身の回りの些細なことを、かなりマメにメモをしていました。
2001年7月26日
『午後4時15分頃に着く。
母の机の上のメモに「ひぐらしがなく」と書いてある。
さっき、一声鳴いたのよ。
そう言っていたのだけど、この時は、ひぐらしも、セミの声も聞こえなくて、一緒にプリンを食べた。
そのとき、母は、「きのう、うなぎを食べたのよ」と笑っていた。
それから、時間が過ぎて、1時間くらいで、トイレに2回くらい行っていたけれど、その回数は、母にしては、少し減ったのかもしれない。
午後7時、病院を出る時刻になった。
もう帰ることを伝えたときに、急に思い出したのか、「きのう、雷、すごかったのよ」と母は言い出していた。
そういえば、今日の日付を、母は「16日?」と言っていたのだけど、自分は自分で、夜になってから、随分と昔の後悔するようなことを思いだし、午前5時まで眠れなくなった』。
ひぐらし
病院での夕食のとき。
少し窓を開けた。
ひぐらしの声が、かなり聞こえる。
そのことが、あちこちで少し話題になっている。
(2001年7月26日)
それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。
だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2023年7月26日
たぶん、ここのところ、同じようなことばかりを書いているかもしれないけれど、気がついたら梅雨も明けて、とても暑く天気がいい。
洗濯
洗濯をすると、乾くのも早いからありがたいのだけど、汗っかきで寒がりだから、自分の汗で体が冷えてカゼをひきそうになるので、数多く着替えることになり、洗濯物も増える。
今日も、2回、洗濯をすることになった。
空がとても青くて、黒いアゲハが庭の花の蜜を吸っているようだった。毎年、見かける気がするので、もしかしたら、幼虫から、ここにいるのかもしれない、と思う。
外の太陽の光はとても強い。
郵送物
大学院を修了するときに、修士論文も書いて、提出した。
それは、指導教授の的確な指導もあって、完成もできて、幸いなことに学内でも評価をされた。
そして、修了式のあと、複数の教授から、私の修論に関して一般書での出版が話題になった。専門書ではないところが、自分が書いた論文の特徴だとも思ったが、自分自身でも広く伝えたい気持ちが強かったので、うれしかった。その後、さらに具体的に出版の話もあったのだけど、それは、途中で白紙に戻ってしまった。
全くの無名の人間で、何の実績もないから、出版は難しいと思っていたし、仕方がないと考えてもいた。それに、介護者の心理的な負担感をどうやわらげるか?については、当時でも臨床心理士が約3万人もいたし、もっと優秀な人がいるのも知っていたから、そういう人がなんとかしてくれるとも思っていた。
だから、自分が出来る範囲内で、心理関係の学会で発表したり、市民講座のような場所で話せる機会を得られた時は、「家族介護者の心理」については必ず話すようにしてきた。それに何より、家族介護者への心理的支援である「介護者相談」は続けてきた。
ただ、いつまで経っても、家族介護者の心理についての理解は進んでいない。それから10年近く経って、肌に染みるように感じることが多くなり、なんだかガッカリし、悲しくなった。
同時に、もっと広く伝える努力をしないと、いつまで経っても、このままではないか、と少し怖くなった。
それで、かなり時間が経ってしまったけれど、修士論文をベースに、学会での発表した内容や、約10年、家族介護者への心理的支援として「介護者相談」を続けてきたのだけど、そこで改めて学んだことも含めて、本にしたいと思うようになった。
知名度がお金になる。そのことは、年月が経つほど、そして今の時代では、よりその傾向が強まっていたから、無名の自分が出版社に企画書を送っても、ほぼ不可能だとは思っていた。だけど、なんのコネもなく、実績もなく、知名度もないから、そこから始めるしかなかった。
企画書の書き方については、検索をして調べて、書いて、送った。普段、本を読んで、この書籍は面白いと思ったら、あとがきなどで、担当編集者を調べて、その人向けに企画書を郵送した。
断りの返事をしてくれる会社は、まだありがたかった。なんの反応もないところも少なくなかった。一度は編集者が会ってくれた。そのあと、話が止まった。別の編集者から、会議にかけました、というメールが来たけれど、そのあとに、申し訳ないのですが、という文面も届いた。担当者不在、という文字と共に、封筒が未開封で返ってきたこともあった。
企画書は、受け付けていません。という言葉も何度も見た。だけど、どこかで「有名」にならないとチャンスがないとすれば、自分には一生無理ではないか、と思い、しばらく気持ちが暗くなった。
そういう気持ちの浮き沈みがあるせいか、企画書を、どんどんと送り続けることができず、まだ30通ほどしか郵送できていない。
それでも、今も、企画書の内容を再検討し、その枚数をかなり減らし、毎回、微妙に文面もかえて、今週も、また送ろうと準備はしている。
ただ、これは大学院を修了し、午後から数時間の仕事だけに絞って、履歴書を送り続けて、70社ほどダメだったときの無力感と似ているから、気持ちはただ重い。
プレゼント
若い友人に誕生日プレゼントを贈ろうと、私は洋菓子を購入し、妻は、その誕生日カードを作ってくれていた。
そのカードは、植物をモチーフとし、切り絵のような手法も使い、とても良くできているし、すごく素敵な仕上がりだと、宅配便で送る前に見て、改めて思った。
妻は、その贈る相手のことを考えると、すごく的確に美しさをわかってくれるから、その分、頑張って制作してしまう、という話をしてくれた。
それは、とても幸せなことだと思った。
そして、妻は宅配便を持って、コンビニに出しに行ってくれた。
9月下旬から、というのは、ずいぶん先だと思う。
夏を乗り切れるのだろうか。
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