家族介護者の支援について、改めて考える①無力感のあとに
私は、1999年に家族の介護を始め、いろいろなことが重なり、仕事もやめることになり、介護に専念する年月の中で、家族介護者には心理的な支援が必要ではないか、といったことを思うようになりました。
そして、介護を続けながら、臨床心理士になることを目指し、2014年に資格を取り、幸いにも、家族介護者への心理的な支援のための相談の仕事も始めることができました。2019年には公認心理師の資格も取りました。
(私の経歴の詳細は、ここをクリックしていただけき、記事を読んでもらえたら、さらにご理解いただけるかと思います)。
理解してもらうために
振り返れば、2010年に臨床心理学を学ぶために大学院へ入学して以来、介護者支援のことを周囲に理解してもらうための努力は、微力ながら続けてきました。それだけ、例えば臨床心理士の世界では、そのことへ興味を持ってもらえる機会が少なかったのですが、修士論文も「家族介護者」の方々へインタビューをして、分析してまとめたり、修了後も、心理臨床学会の大会で、介護をテーマに研究をし、発表もしてきました。
10年間、とても小さい力ですが、家族介護者への心理的な、それも個別な相談の必要性について、理解を広げるための努力はしてきました。幸いなことに、仕事として、家族介護者への心理的な支援としての「介護者相談」は、某役所で始めて6年継続することができています。
それは、その役所のスタッフの方々の尽力があってこそですし、相談を利用していただいている介護者の方々がいらっしゃっるからなのですが、年数を重ねるほど、「介護者相談」の必要性を、現場で感じています。ただ、自分の力不足のため、それ以上、別の場所に「介護者相談」を広げることが出来ていません。
その場所では、時折、介護に関して住民の方々に話をする機会も与えていただいているので、介護者への理解が、今以上になかなか広がらないことも、自分の力不足ではあるのですが、10年続けてきて、例えば、東京都23区内で「家族介護者への個別の心理相談」が設置されている区は、知っている限りですが、全体の3割ほどだと思います。
(東京都北区では、比較的、早くから設置されているはずです↓)。
介護相談の必要性
例えば、子育て支援などでは、心理職が相談を受ける窓口があるように、介護者支援も、各行政地域ごとに必要だと思っています。ただ、ふと気がついたら、今、継続しているだけでもありがたいのですが、でも、必要性の程度を考えたら、もっと介護者の相談窓口が増えるはずと、10年前にも思っていたのですが、今も、ほとんど増えているように感じられないことがあります。
自分の努力や工夫の不足はあるにしても、年月が経つほど、状況がほとんど変わらないことに、ふと無力感を覚えることも少なくありませんでした。
関係者の方と、話をする機会に、家族介護者にこそ、心理的な、個別な支援が必要であることを話し、自分がそのような仕事をしていることを伝えると、ほぼ全員が、もしかしたら社交辞令的な部分もあるのかもしれませんが、その必要性を理解してもらい、その上で、これから増えるのではないでしょうか、と言ってくれていたのですが、10年たっても、そうした相談窓口が目立って増えている印象がありません(自分の無知のせいで間違っていたら、すみません)。
まだ、いろいろなことが足りないのだと思い、家族介護者への理解がすすめば、そのこと自体が、介護者の負担感を減らすことにも少しでもプラスになることは感じていたので、このままだと社会的には何も変わらないのではないか、といった焦りもおぼえるようになり、迷った上に、こうしてSNSを初めて利用して、noteで介護のこともお伝えすることを始めました。
それから、週に2度のペースで更新を続け、介護の専門家の方や、介護をしている当事者の方にも読んでいただき、思いがけず、感想や連絡もいただくこともあり、それは、とても嬉しく、ありがたい気持ちにもなれました。
改めて、感謝しています。ありがとうございました。
無力感
ただ、相変わらず臨床心理学の分野での反応はあまりなく、仕事としての「介護相談」は増えたという話をほとんど聞いたこともなく、ここ何年かでは、伝統のある介護の電話相談が活動を停止するということさえあって、やはり無力感を覚えることも少なくありませんでした。
そんなとき、9ヶ月続けてきたnoteが、コンピューターの急な不調により、それこそ自分のスキル不足のために復旧が遅れることがありました(その節は、いつも読んでくださっている方々には、申し訳ありませんでした)。
その時は、約2週間、投稿も出来なかったのですが、自分の力不足にも関わらず、何かいくら努力しても、介護者支援の理解や、これ以上の支援が増えることはないのではないか。元々、その必要性を伝えることは無理ではないか。そういう表れとして、こうしてnoteへの投稿に関して、継続も出来ないようなことが起こるのではないか。そんな無力感に襲われ、何をやっても無駄になってしまうのではないか、といったような気持ちにすらなったのです。
それは、情けない話なのは分かっていても、でも、10年間、自分なりに色々とやってきて、それほどの成果が上がらないことに対して、どうしたらいいのか、分からなくなって、投げやりな気持ちになりそうでした。
心理士としての姿勢
そういう時、いつも壁に貼ってある紙が、改めて目に留まりました。
村瀬 この道を志し、歩み入ったならば、自分の中の知見(これはただの暗記でなく、自分の経験と知識に照合し、自分の中を潜らせて、自分のものとして納得し、使いこなせるものになっている)を豊かにするべく不断に努め、安易に自分の生の感情に自分を委ねるのではなく、考える、その結果生じる感情を大切にする、という態度を磨いていくことが求められていると思われるのです。
これは、日本臨床心理士協会の会長でもあった村瀬嘉代子先生(講義も受けたことがありますし、素直にすごい心理士だと思っていますので、すみませんが、先生という言葉を使わせてください)の言葉です。
これは仕事が少ないとしても、どんな状況だとしても、毎日の過ごし方によって、心理士としての質を少しでも上げていこうとする姿勢だと思っています。
このことを忘れないために、この文章を壁に貼ってあるのですが、改めて、環境や状況がどうあれ、やれることはあるし、やるべきことはある、ということを思い出し、投げやりになりそうになった自分が、少し恥ずかしくなりました。
家族介護者の相談が、増えないとしても、それが難しいとしても、まずは、自分が相談者として本当に適しているのか。といったことは考え続けなくてはいけないし、どんな場合でも、臨床心理士として、公認心理師として、常に能力をあげる努力はしなくてはいけない、といった原則を、無力感のあとに、改めて確認出来ました。
こうしたことは、どんな時でも忘れてはいけないことですから、気持ちが腐りそうになること自体は恥ずかしいことですが、それでも再確認できたことは、よかったと思いました。
家族介護者の心理的支援について、改めて考える
それでも、これを機会に改めて、なぜ家族介護者に心理的支援が必要なのか?その支援の場所を増やしていくには、どうしたらいのか?といったことを、改めて考えていきたいと思いました。
どちらにしても、自分ひとりでは、これから先も、行き詰まりそうな感じもしていますから、できるだけ広くお伝えして、お知恵をお借りしたいとも考えています。
専門家の方や家族介護者の方も、読んでくださっていると思います。このシリーズは何回か続けていきたいと考えていますので、よろしかったら、ご意見を聞かせていただければ、とてもありがたく思います。
よろしくお願いします。
(他にもいろいろと介護について書いています↓。読んでいただければ、ありがたく思います)。
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この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。 よろしくお願いいたします。