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『「介護時間」の光景』(139)「会話」。1.9。

 いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年1月9日」のことです。終盤に、今日、「2023年1月9日」のことを書いています。


(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

2002年の頃

 個人的なことですが、1999年から母親の介護を始めて、その途中で、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり2000年の夏には母親に入院してもらいました。

 私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。

 自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。

 この病院に来る前、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。

 そういう気持ちは、新しい病院に移り、1年半経って、少しずつ病院を信頼するように変わっていたのが、この2002年の1月頃だったかもしれません。

 そのころの記録です。

2002年1月9日

『結局、かぜをひいて、2〜3日ぐずぐずしていて、過剰に騒音が気になったりもして、午前5時頃まで眠れない日が続いている。

 目が覚めたとき、犯罪をしなくてよかった、と思った。
 夢の中のことなのに、そんなことを思う。

 冬なので、母の病室での綿毛布を探して、なくて、あきらめて午後4時20分頃にバスに乗る。途中で、かなり渋滞をして、いつもよりも遅く午後5時30分頃に、やっと病院に着く。

 母に「来ないかと思った。かぜかと思って、心配した」と言われるが、この2日ほど、来れなかったことを分かっていたのかどうかは、よく分からない。

 午後5時半頃から夕食で、午後6時10分に食事が終わって、母はすぐトイレに行く。

 年賀状の気にしかたが変だった。年末に書いて、出している人に、また書いている。病室に置いてあった年賀ハガキが減っていて、「10枚足りない」と言っていた。

 そして、メモには、弟に対して「カレンダーを、トイレのそばに貼ってくれ」と書いてある。

 カレンダーのことを、聞いてみたら「この前、捨てちゃったのよ」という答えで、よく分からなくなった。探しても、見つからない。

 午後6時50分に、またトイレに行く。

 今日は、いつもよりも遅いので、いつもより長くいることにした。

 それも、しばらくぶりだった。

 看護師長と話をして、減額制度があるということを伝えられて、ありがたい気持ちになる。

 午後7時25分に、またトイレに行く。

 ただ、伏せて死んだような日々が、ここまで続いていたのだけど、さっきの話によって、道に転がって死んだと思われていたような自分が、少しだけ動いて、立ちあがろうとするイメージがわいた。

 こんな少しでもプラスになるような気持ちには、ここ何年かで初めてなった。

 1月6日の出初式のことが、カレンダーに書いてあって、それに対して、「見られなかった」といった話を母が、してくれた。「そのとき、カラオケをやっていて、呼びにきてくれなかったのよ」と寂しげな感じで言っていて、それに対して「残念だったね」といった話をしたのだけど、それが、どんなことなのか、よく分からないままだった。

 それでも、1月に初詣を予定していて、そのことを覚えていてくれたし、病院に行くのが2日あいただけで、母は心細げな顔をしているのを見ると、やっぱり、あまりあけずに病院にきて、このペースを守りつつも、みんなが幸せになれないだろうか。

 まだ、ほとんど永遠に、この時間が続くとしか思えないけれど、母がトイレに行く回数がもっと多い時に比べると、少し落ち着いてきたし、今年は立ち上がる年にしようと思った。それは、おととしは、死にそうになったのだから、まあ、いいほうだろう、と思うようにしよう。

 暖かそうな、冬用のスリッパを、この前持って行ったのを、喜んでもらえて、よかった。

 午後7時30分過ぎに、病院を出る』

会話

 久しぶりに、少し遅くなって帰りに普通の路線バスに乗る。なんだか夜の車内がすごく広く感じて、同時に車内が暗いと思う。ただ、乗っている人たちが若い。

 2人がけの席に若いカップルが座った。大学生かもしれない。私は一番後ろなので、ちょっと前の席。女性がメールを見ている。小さいが、携帯の画面が明るく光っている。男性の携帯のメールもチェックしていたのかもしれない。

 バスが走っている時も、二人の会話が時々聞こえてくる。内容が分からないのに、男性の話し方で、なんとなく言い訳をしているのが分かる。

「ナルシストなんだよ」。

 若い女性の、そんな言葉がハッキリ聞こえた。

                        (2002年1月9日)


 この生活はそれからも続き、本当に永遠に終わらないのではないか、と感じたこともあったのだけど、2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。

 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2023年1月9日

 今日は祝日で、成人式だと知った。
 1月15日に固定されたイメージがまだ抜けない。

 その上で、真冬で、場所によっては、雪が降って、「式」をおこなうには難しい時期に、どうして成人式をするのだろう、といった疑問がずっと残ったままだけど、やっぱり自分の成人式のことを思い出す。その日は、地元で開催された「式」には出席せずに、競技場でビールなどを販売する売り子のバイトをしていた。

 そのお金で、ささやかだけど、両親に近所のお店でウナギをご馳走したのは、確か、別の日だった。

 どちらにしても、随分と昔の話だった。

寒さ

 毎年、この季節は気温が低く、さらに、木造の古い家はすき間も多く、かなり寒い。

 起きてから、かなり厚着をして、マフラーも巻く。
 しばらく着ていた普段着を洗おうとして、新しい服を引き出しから出していたら、フリース素材の帽子のようなものを見つけ、そういえば、妻が、頭を温めると違う、といっていたことを思い出し、久しぶりにそれを被ってみた。

 その姿を見て、妻は、笑っていた。

 やっぱり、ちょっと暖かい気もする。

柿の実

 天気がいいので、洗濯を始める。

 空は青く、庭の柿の木は、すっかり葉は落ちていて、だけど、いつもと同じような話で申し訳ないのだけど、柿の実がまだ、かなり残っている。

 渋柿とはいえ、いつもはもっと早い時期に鳥がやってきて、ついばみ、なくなっている印象があるので、例年よりたくさん実ったけれど、渋さがとれないのか。
 それとも、柿の実は多いけれど、垂れ下がるように柿の実がついているので、枝に止まって、くちばしでつつくことが意外と難しいのか、という話を妻ともしていた。

 それでも、今日は、鳥がやってきて、柿の実をつついている。

配信

 今日は、配信の動画に申し込んでいた。比較的、よく聞いているラジオのイベントだった。

 アーカイブで見ることもできるのだけど、できたら、ライブで見たいので、妻にお願いして、少し昼食を早くしてもらって、準備をした。

 午後1時を、少しすぎて、配信が開始される。

 2022年の年末に予定されていたのだけど、主演者がコロナに感染し、延期され、年の始めに、昨年を振り返る、という企画になっていた。

 2022年の1月のニュースから始めたけれど、話は真っ直ぐに進まず、それもあって時間が過ぎていき、予定の午後3時には終わりそうもないので、途中で、コンピュータを移動させて、妻の筋トレの補助をしながら、さらに視聴を続けた。

 そして、終わったのは午後4時を過ぎていた。話されていた内容は、深刻な表情だけで語られていないけれど、シリアスな内容も多く、とても新年に希望が持てるとは思えなかった。

 それでも、この配信はラジオ番組を通して、一種のコミュニティを作ろうとする試みにも思えた。

 全部ではないけれど、妻も一緒に見て、面白かった、と言ってくれたのが、私にとっては、うれしいことだった。

図書館

 配信が終わってから、自転車に乗って、だんだん暗くなっていく道を通って、図書館に向かう。借りている本を返して、予約していた本が、今日までが取り置き期限だったので、また借りようという予定だった。

 最後は坂道を登り、図書館に着いた。本は全部で十冊以上はあるから、それなりに重かったのだけど、また新しく本も借りることができるのは、ありがたかった。

 気持ちはバタバタと図書館に寄って、それから帰り道にはスーパーにも行った。

 店の棚を見てまわったら、新年のためか、いつもよりも少しだけ安くなっている商品があって、だから、妻に渡されたメモに書いてあるものだけではなく、ビスケットや、ドリンクなども買ったら、思った以上に、値段も、量もかさばってしまった。

 それでも、そこから家に戻る。

 すっかり暗くなった。

 平穏な1日を、家にいる分には過ごすことができた。


 それは、幸運なことだとは思う。





(他にも、介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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