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「介護うつ」という言葉を、改めて考える。

 いろいろなことには、流行があるようで、ある時期に盛んに言われても、急にあまり触れられなくなることも少なくありません。

 介護うつ。

 この言葉も一時期、かなり話題になり、そして、それは、とにかく避けるべきもの、としてしか語られていなかったように思います。

 本当は、「介護うつ」という診断名はなく、病院に行って診断を受けたとしても「うつ」と告げられ、そのための薬を処方されるはずです。

 ただ、今は、以前ほど多く「介護うつ」が語られなくなりました。

 もし、家族介護者の負担が減って「介護うつ」ということを考えなくなくても済むようになっていたらいいのですが、そういうわけでもないようです。

 これまでに書いてきたことの繰り返しになる部分もあるかと思いますが、いまだに誤解が多いようにも感じていますので、今回は、改めて「介護うつ」について考えたいと思います。

 私は、臨床心理士・公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
 よろしくお願いします。


介護殺人・介護心中

 家族介護者の負担が減るような状況にはなっていないことを示すように、今も、介護殺人や介護心中事件は減っていないようです。

 60歳以上の当事者が死亡し、介護疲れや将来への悲観などが原因とされる親族間での殺人や無理心中事件が2021年までの10年間で、全国で少なくとも計437件(死者443人)あったことが判明した。平均すると、8日に1件発生していることになる。

(『毎日新聞』より)

 こうした事件が減少傾向が見られないということは、支援で足りないことがある、ということだと思うのですが、家族介護者の支援の強化が、表立って議論され、しかも実現されるようなことは、この20年でもあまり聞いた記憶がありません。

 これは、2023年の事件です。

「刃物は傷をつけてかわいそうなので首を絞めようと思います」80歳の夫は携帯電話のメールにメッセージを残し、約30年間にわたり連れ添った85歳の妻の首に手をかけた。

 なぜ吉田被告は節子さんを殺害したのか。吉田被告は被告人質問で、当時の気持ちを振り返った。

 吉田被告「理路整然としてしっかりしている節子が、自分がやっていることがわからなくなってしまったことがすごいかわいそうに感じた」「殺せば節子が楽になると思った」

変わりゆく節子さんへの思いを口にした一方で、介護へのストレスについては──吉田被告「自分ではストレスを感じていた認識はありません」

“2人きりの家族なので介護するのは当たり前”だと話し、殺害の動機は、介護ストレスが原因ではないと話した。

 この自分ではストレスを感じていた認識はない、という言葉は、もっと詳細に尋ね、少しでも、この介護者でもある被告の理解に近づきたいところだとも思ってしまいます。

 吉田被告は節子さんを殺害した後、自殺しようとしたという。

 吉田被告「2人して死ぬよりほかないと考えていたと思う」「節子を送った以上、私が生きているのはあり得ないと思った」

(『日テレ NEWS』より)

 そして、判決には執行猶予がついた。

 検察側は懲役7年を求刑し弁護側は執行猶予付きの判決を求め結審した裁判員裁判。

 6月20日、東京地裁は判決で、「被告人が自覚のないまま疲労や疲弊感を蓄積させ、解決のための選択肢を持ち合わせない中で、視野を狭くして、犯行に及んだことは想像に難くない」として吉田被告に懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡した。

 判決の後、取材に応じた吉田被告は、「正直執行猶予が付くとは思っていなかった。本当にこれでいいのか。私だけが表で普通の生活をしていいのかなという複雑な気持ちがある」と涙ながらに話した。

(『日テレ NEWS』より)

 そして、この記事では、最後は「どうすれば防ぐことができたのか」といった視点の内容となった。

 老老介護の末の事件…防ぐことはできなかったのか。吉田被告は取材に対し“ある後悔”を口にした。

 「やはり7月25日に断ったのが“分岐点”だと今でも思っている。 なんでああいう判断をしてしまったのか今でも悔やまれる」

 吉田被告が“分岐点”と語るのは、去年7月25日。裁判の中でも語られたこの日は、節子さんが医師から2回目の往診を受ける予定だった日だ。

 しかし、1回目の往診で、うつ状態などと診断された節子さんが「私はおかしくない」と訴え、2回目の医師の往診を強く拒否。吉田被告は、2回目の往診をキャンセルし、医師の力を借りることを自ら手放してしまったのだ。

 法廷で吉田被告は、「本人が嫌がっていても私自身が強く節子を引っ張るくらいの気持ちでやるべきだった」「節子が嫌がっていても専門家のアドバイスは聞くべきだった」と悔やんだ。

(『日テレ NEWS』より)

 こうした後悔について、何かを言えることもできないのですが、それでも、こうした介護をしている人に、個人的な努力だけでは限界があるので、もう少し支援ができるようにならないのだろうか、とは思います。

 この事件でも、要介護者である妻・節子さんが「うつ状態」とは言われていて、介護者である被告も、この環境では「介護うつ」といった表現が出てもおかしくないとは思うのですが、そうした言葉は見当たりません。

 裁判官が「被告人が自覚のないまま疲労や疲弊感を蓄積させ、解決のための選択肢を持ち合わせない中で、視野を狭くして、犯行に及んだことは想像に難くない」と発言し、これは、介護者の状況への理解はあると思わせますし、「抑うつ状態」と言っていいとも思うのですが、そうした言葉は出てきていません。

 介護者がどのような心理状態にいるのか。精神科医の判断があれば、「うつ」という言葉は出てきてもおかしくないのですが、そのような専門家の関与もないため、「介護疲れ」や「介護ストレス」といった言葉が繰り返し使われているようです。

 ただ、今回は詳しく触れられませんが、「介護疲れ」も「介護ストレス」も実態はどういうものなのか。それを詳細に説明していることは、ほとんどないのが現状だと思います。

繰り返される言葉

 2006年なので、もう20年近く前になってしまいますから、すでに覚えていらっしゃる方も少なくなっていると思いますが、「地裁が泣いた介護殺人」といわれる事件がありました。

 2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。

 一家は両親と息子の3人家族だった。1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、「休職」を理由に認められなかった。

 母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、カードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった。長男は母親との心中を考えるようになる。

(『デイリー新調』より)

 ここまで追い詰められれば、心中を考えても仕方がないのでは、とも思える。

 裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

 判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。そして「お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください」との言葉には、長男が「ありがとうございます」と応え、涙をぬぐった。

(『デイリー新調』より)

 このときに裁判官から「介護制度のあり方も問われている」との発言があったのですが、それから20年近くが経ち、介護殺人や介護心中の件数が減少していないのですから、介護者を支援するシステムも含めて、介護制度のあり方は、改善していない、ということなのだと思います。

 それは、介護者支援の専門家になって10年が経つのですから、私自身の責任もあるのですが、本当に進んでいないとは思います。

 それだけが解決の方法ではないのですし、傲慢かもしれませんが、こうした事件の報道を目にするたび、少なくとも、介護者の相談窓口があれば、ここまで追い込まれなかったかもしれないとは、考えてしまいます。

 介護者への支援についても、もちろん、ずっと言われてきました。

 要介護者がうつ状態の場合,援助者はじっくり話を聞いたり,必要に応じて精神科医の診断を受けてもらったり,ケアの工夫をすることができる。一方,介護者のうつにはどう対応したらよいか。他の家族から精神科を受診するよう勧めてもらう,デイサービスやショートステイを増やし,介護負担の軽減を図るなどの方法が取られているが,それでは解決できないことも少なくない。

 岩手県花巻市では,市内の介護者の実態を明らかにする調査を行い,介護者が直面している困難を明らかにした上で,要介護者がいる家庭に行政職員を派遣し,介護者の状況を確認している。この取り組みは要介護者ではなく介護者を直接の対象にしており,行政職員が訪問するという点で注目すべきである。また,神奈川県相模原市では,2008年に起きた老老介護を苦にした無理心中事件をきっかけに,支援を要する高齢者がどこにいるのかを調べる戸別訪問を進めている。

 その他,2009年に福島県で起きた,将来を悲観した妻がALSの夫を道連れに心中しようとした事件をきっかけに,日本ALS協会の福島県支部が患者や家族を孤立させない仕組みを作ろうと「ALS等難病者支援研究会」を発足させた。このように過去に生じた事件をきっかけに,同様の事件の再発をいかに防止するのかを考える視点は重要である。

 これらの取り組みを全国的に広げ,支援が必要な介護者を早期に発見し,速やかに適切な対応を行える体制の構築が今,求められている。

(『医学書院』より)

 この記事は2011年ですが、「適切な対応を行える体制の構築」は、10年以上経っても出来ていないように思います。

 そうした支援体制が広がらないように、そのうちに「介護うつ」という言葉自体も、一般的には、あまり聞かれなくなりました。

専門家の言葉としての「介護うつ」と、「介護うつへの対策」

 その一方で、専門家の間では、介護に関して「うつ」という言葉はずっと言われてきたようです。

 悲惨な事件を防止し、介護者のストレスを軽減するためには、抑うつ状態にある介護者を早期に発見し、医療機関への受診につなげていくことが重要である。

 受診の必要があっても受診に至らない介護者への支援は、早急に解決すべき課題である。

(『精神科』第19巻第2号  湯原悦子 より)

 この記事は2011年なのですが、次の記事↓がアップされている2023年に至るまで、長く言われてきたようです。

https://www.minnanokaigo.com/news/kaigo-text/home-care/no375/
(『みんなの介護』 在宅介護 第375回)

 自分が介護うつかもしれないと感じたら、1日も早く病院を受診しましょう。早期に治療を受けることで、早い回復が期待できます。

 治療法は大きく3つあります。
1. 休養
2.薬による治療
3.精神療法

 まずは、家族に介護を代わってもらう、介護保険サービスを利用するなどで心と体を休めましょう。

 薬による治療や精神療法も有効で、精神療法の一つとして、「認知行動療法」があります。
 具体的にいうと、物事の受け取り方や考え方(認知)や行動を少しずつ良い方向に変えられるように働きかける方法です。
 考え方や行動が変わると、同じような状況でも受け止め方が変わってきます。その結果、精神的な負担も軽減されて、うつから回復しやすくなるのです。

(『みんなの介護』より)

 ただ、個人的な経験ですが、自分自身も介護をしてきたこともありますし、今は、家族介護者の心理的支援としての「介護者相談」も10年続けてきましたが、この記事↑で挙げられている介護が原因と考えられる「うつ」への対応は、やや非現実的な気もしました。

 もちろん、とても基本的な対応であるとは思います。

 ただ、休養として、すぐに「家族に介護を代わってもらう」ことができるような環境があるのならば、元々「介護うつ」になるような状況に追い込まれないと思います。介護保険サービスをすでに利用していても、「いつまで続くかわからない」介護環境の中では、さらに負担を減らすのが難しくなっている可能性も低くないと考えられます。

 また、精神科のクリニックなどへの受診は必要なのは間違いないのですが、まず通院のための時間をどう確保するのか、という問題もあります。デイサービスなどを利用していたとしても、その時間は少しでも体を休めたいはずで、その時に受診に行ってもらう動機づけをするのも難しいでしょうし、もしも、ずっと在宅介護をしている必要があれば、目を離せなくて、病院などに行くのは難しいという介護者もいるはずです。

 というよりは、こうした状況にいるから「介護うつ」と言われるほどになっているのだと思います。

 そして、もしも、それでも通院し受診し、「うつ」と診断され、薬が処方されたとすれば、場合によっては少しでも楽になり、それについては、有効だと思いますが、その後の認知行動療法については、やや疑問が残ります。

 私自身も認知行動療法は専門ではないので、詳細を語る資格はないのだと思いますが、基本的に環境調整が難しい介護環境で、どれだけ有効なのかと思ってしまいます。

 考え方がどれだけ変わっても、「いつまで続くかわからない介護時間」への負担感を減らすのは難しいでしょうし、無理をしないほうがいい、と行動の変容を促され、それについて自身が納得したとしても、要介護者が目の前にいる限り、介護を続けることに変わりはないはずです。

 ただ、それでも、こうして自分自身へのケアをできる機会を持てる介護者は恵まれているのでは、と思ってしまいます。

 こうした時間がないから、「うつ」に追い込まれてしまうのではないでしょうか。

 介護している家族は、二四時間拘束される精神的重圧のうえ、夜昼とない介護仕事の重荷を負わされる。それがどんなに辛いことかは、やってみないとわからない。
「一晩でいいからぐっすりと眠ってみたい」。これが痴呆性老人などを介護している家族共通の呻き声である

(『高齢者医療と福祉』より)

 これは、かなり以前の調査ですが、今も、同様な介護環境で介護をされている方々は少なくないと思います。

 こうした方々に、先ほどの「みんなの介護」であげられていた「休養」「薬による治療」「精神療法(認知行動療法)」という対策は、難しいのではないでしょうか。

「抑うつ状態」が自然であるかもしれない「介護環境」

 自分自身が仕事を辞めざるを得なくなって、介護に専念している頃に、「介護うつ」という言葉は広く言われるようになってきた記憶があります。

 それは、2000年代に入った頃ですが、介護に関心がある人からは「介護依存」や「介護うつ」という言葉を聞く機会が多くなり、特に「介護うつにならないように」と、善意からのアドバイスも聞かれるようになりました。

「…介護うつ、と言われても、毎日24時間で休みがなく、いつ終るか分からず、仕事もやめざるを得ないような状況で、明るくいられる人がいるのだろうか…」。

 介護うつ、といった言葉を聞くたびに、そうしたことを心の中で思っていました。

 その後、私自身は、介護を続けながら臨床心理士になろうとし、大学院に通い、改めて、家族介護者の方にインタビューをし、「いつまで続くか分からない」状況の中での生活が、どれだけ気持ちを追い込むも のか、を改めて知りました。

 その中で、自分自身もそうなのですが、介護を続けているとしたら、抑うつ状態が基本ではないか。そんなことを考えるようになりました。

 ですから、「うつ」かどうかを診断するのも、症状が重い場合は必要だとは考えますが、それだけの介護負担感の中で介護をしているのですから「抑うつ状態」を前提として、何しろ、介護者の心の支援を提供し続けることが必要だと考えるようになりました。

 そして、そのためにどうしたらいいのかを考え、できれば心理職による介護者相談が必要で、その実践と必要性を訴えることは10年以上続けてきました。

 さらには、外出が難しい介護者には、こちらから訪問して、「介護者相談」を行うことが必要だとも考えています。

 それを受け入れてもらうまでの困難さも想像しますし、実際に、訪問相談を実施するには、特に行政では、まだ実際に行う難しさがありますが、そうした相談が、各地域で日常的に行われるようになれば、「介護うつ」と言われるような介護者は、少しずつでも確実に減少すると考えています。

「介護うつ」と名指される気持ち

 ただ、「介護うつ」をめぐる言葉の中で、実際に「介護うつ」と言われてしまう家族介護者の気持ちのことは、あまり注目されてこなかったように思います。

 「介護うつ」かどうかに対して注目され、もしも「介護うつ」であれば、素早く通院に結びつけることが大事。などと周囲の「専門家」に見られているとしたら、それは監視されているような状況ですから、決して気持ちがいい状態ではないように思います。

 私の知見からすると、介護者が慢性的な悲哀を抱えていることが孤立の原因になります。そうした悲しみに恐れを感じて、人々が距離を置くのです。(中略)周囲は悲しみを鬱という名で片付け、孤立から楽にしてあげるような手は何も打たないことがよくあります。

(『認知症の人を愛すること』より)

 こうした見方は、かなり納得がいきます。悲しみの中にいる人を、あまり見たくない、というのは通常の感覚なので仕方がないとも思いますが、「介護うつ」と名付けて、病気として扱うだけでは、おそらくその孤立感が減少しない、ということに関しては、確かにその通りだと思います。

「家族に介護者適性テストを受けさせられました。夫のほうを何とかしないといけないのに、鬱病だと言われてしまいました」。彼女は自分の診断結果に深く傷ついていました。
 注意して彼女の話を聞いたところ、友人関係の人脈はとてつもなく広く、家族も社会的支援も彼女との繋がりを保っていますし、本人に活力があり、楽観とユーモアを忘れないことから、鬱状態には見えません。ただ、一つ言えるのは、彼女が悲しみ、悲嘆の状態にあるということです。

(『認知症の人を愛すること』より)

 これは、アメリカのことなので、介護者適性テストがあるようで、日本とは、やや事情は違うのですが、ただ、鬱病と言われたということは、日本では「介護うつ」と言われるような状況であるとは思います。そして、そう診断された介護者が、どんな気持ちになるのかに関しては、この通り↓だとも思います。

 彼女にとって、鬱病という診断は、自分の側に欠陥があることを意味しました。けれども、悲しみ、嘆いていると言われれば、自分は正常だと受け取れました。そうであれば納得できましたし、これからやって来ることに耐えるために、より強くなれる気がしました。

(『認知症の人を愛すること』より)

 そして、他の介護者も、似た感覚であるようです。

 多くの介護者が、「病気だ」と見なされるのは嫌だと語ってくれました。鬱病の診断を受けると、介護者は不本意だと感じることが多いのです。その診断によって、愛する人の世話が今までのようにできないかのように、自分を落伍者のように思ってしまうのです。

(『認知症の人を愛すること』より)

 この感覚は、おそらくは多くの家族介護者でも共通するもののように思います。そして、支援者であれば、「介護うつ」もしくは「うつ」と名指された人がどう思うのかも含めて、考えていく必要があるかと思います。

介護環境の特殊性

 では、厳しい介護を続けていると思われる家族介護者のことを、どのように考えればいいのでしょうか。

 この記事でも、家族介護者特有の介護環境について書きました。

「介護環境の3つの基本構造」
①介護は突然始まる。
②介護は、いつまで続くかわからない。
③介護の終わりは、要介護者の死である。

 あまり大変さや、過酷さばかりを強調するのは、実際に介護に取り組んでいる方々にとっては失礼かもしれませんが、この「3つの基本構造」のうち、一つでもかなりの精神的な負担になるのは間違いありません。

 それに、特に「いつまで続くか分からない」は、人間にとってもっとも過酷なことではないか、と指摘した一人にフランクルがいます。

 かつての収容所囚人の体験の報告や談話が一致して示していることは、収容所において最も重苦しいことは囚人がいつまで自分が収容所にいなければならないか全く知らないという事実であった。

(『夜と霧』より)

 もちろん介護者が収容所にいるわけではありませんが、この「いつまで続くか分からない」ということが、家族介護者の負担感をずっと継続させるのではないか、と想像してもらえれば、少しでも家族介護者の心理の理解へ近づけるように思います。

異常な状況においては異常な反応がまさに正常な行動である。

(『夜と霧』より)

 フランクルが使っているとはいえ、異常、という言葉を使いすぎるのは、介護者にとって不適切とは思うのですが、それでも日常的な生活とは質的に違った負担感の中で生活しているのは事実だと考えられます。

 その中では、抑うつ状態が「正常な行動」であるかもしれませんし、それが、「いつまで続くか分からない」介護への適応と言える可能性すらあるように思えています。

監視より見守り

 家族介護者が「介護うつ」になってしまうと、その後、介護殺人や心中につながる可能性が高くなる。だから、そこを早めに見極めて、診断につなげることが重要。

 専門家によっては、そのような見方が「常識」になっているかもしれません。

 ただ、こうした専門家と関わっている家族介護者は、まるで「監視」されているような気持ちになるので、なかなか素直に支援を受けられないかもしれませんし、もし、病院に行くことになり「うつ」と診断されたときは、まるで自分が介護者を失格したような気持ちになる可能性もあります。

 でも、同じようでも、少し違う視点での支援もあり得るのではないでしょうか。

 厳しい環境で介護を続ける人に対して、もちろん「抑うつ状態」が重く、希死念慮まで進んでしまった場合は、精神科の通院などをすすめるとしても、その際は「うつ」の可能性と怖さを伝え、その上で通院の時間ができるように介護環境の調節も行う。

 そして、もし「うつ」の診断が下されたとしても、それでも介護を継続するという意志がある場合は、医師の診断を確認の上(もちろん介護の継続が危険な場合は、在宅介護からいかに離れるかを優先させるべきですが)、どうすれば介護負担や負担感が減少するのかをテーマに、ケアプランなどを考え直す。それは、介護を続けていれば、抑うつ状態が「正常」なくらいであり、その中で「うつ」になる可能性もある。そういうことを前提として支援をすると、それは、おそらくは「見守り」になるのではないか、と思うのですが、いかがでしょうか。

 あまりにもシンプルすぎる分け方になっているかもしれませんが、やはり、支援であれば「監視」より「見守り」を目指してほしいとは勝手ながら思っています。

 そうであれば、基本的には、正式名称ではない「介護うつ」という言葉は、「介護うつにならないように」といった恐怖心をあおることに使われがちでもあるし、本当に抑うつ状態がひどくなり、通院し、医師の診断で「うつ」となった場合は、「うつ」と表現し、そこに適応するような支援をすればいいだけの話ではないでしょうか。

 ですので、個人的な思いかもしれませんが、「介護うつ」という言葉は必要ないように思いますが、どうでしょうか。

 今回の記事には、さまざまな見方ができる考えられますので、もし、よろしかったら、ご意見などをコメント欄などで、お伝えいただければ、ありがたいと思います。

 よろしくお願いいたします。







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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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