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「家族介護者の方へ」④「介護負担が大きすぎる危機期」

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


(このシリーズをいつも読んでくださっている方は、「介護負担が大きすぎる場合」から読んでいただければ、繰り返しを避けられるかと思います)。

自己紹介

 元々、私は家族介護者でした。
 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 介護をしながら、学校へも通い、2014年には、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護者相談も続けることが出来ています。

「家族介護者の方へ」

 このnoteでは、これまでの私自身の経験や、見聞きしてきたこと、学んだ事なども統合して、できるだけ一般的な事として、伝えることができれば、と考えて書いてきました。

 さらに、家族介護者の当事者というよりは、どちらかといえば、支援者や介護者の助けになりたいと考えている周囲の方々向けを意識してきました。

 それは、実際に介護をされている方々は、とても大変な毎日を送っていらっしゃるのは間違いないので、こうしたnoteの記事を読んでいる時間や余裕がないかもしれない、と思っていたからでした。

 ただ、実際にnoteを始めてみて、読んでくださるのは、当初に想定していた介護の専門家の方々もいらっしゃっるのですが、それと並んで、実際に今も介護をされている方々が読んでくださり、コメントをいただいたりすることに、気がつきました。とてもありがたいことでした。

 家族介護者には、こうしたnoteの記事を読むような時間も余力もないのではないか、という私自身の想定が間違っていたのが分かりました。私自身に、その余裕がなかったのは事実ですが、私が介護を始めたのは20年前のことで、しかも、自分が携帯もスマホも持っていない状況に比べたら、今の家族介護者にとっては、こうしたSNSは、もっと身近なものだと思いました。


 こんな言い訳のようなことを書いて、失礼で申し訳ないのですが、やはり、実際に家族介護者の方へ直接伝える意識を持った記事も必要だと思うようになりました。

 これまでの記事と重複することも少なくないとは思うのですが、「介護の段階」によって、少しでも役に立つような記事を書いていこうと思っています。

 投稿するのは不定期になりそうですが、この「家族介護者の方へ」を新しいシリーズとして始めたいと思いました。

 4回目は、「介護負担が大きすぎる危機期」です。

 今回も、長くなり申し訳なかったのですが、ご自分に必要だと思う項目だけでも読んでいただければ、と思います。

介護負担が大きすぎる場合

 今回は、「介護負担が大きすぎる危機期」の方へ向けて、お伝えしようと思っていますが、それは、矛盾したことかもしれません。それだけ大変な時に、こうした記事を読む余裕がないかもしれないからです。それでも、もしかしたら間接的にでも、伝わるかもしれない、ということも含めて、書くことにしました。

介護負担が大きすぎる時期」というのは、どんな状況なのか?と考えると、外からの視点より、家族を介護をしている人が、どんな気持ちでいるか?ということで、考えた方がいいのでは、と思います。

 それは、介護の中にいる方以外には、誤解されやすい部分かもしれませんが、自分自身が「死にたい」とか、介護をしている人(要介護者)に対して「死んでほしい」。さらに追い詰められている時には「殺したい」と思ってしまうような時です。

 もしくは、気がついたら、憎くないのに、叩いてしまったり、叩きそうになったり、それが、自分でコントロールできない、といった状態になった場合も、「危機期」だと思います。

「死んでほしい」は、殺意ではない

 以前、この記事にまとめていますが、こういう気持ちになることは、決して、珍しいことでもなければ、自分自身が至らないとか、心が弱いわけではなく、「介護負担や介護負担感が大きすぎる」ためだと考えて、まずは、自分自身を責めることは避けてもらいたいと思います。

 それだけ、介護に関して正面から全力で取り組んでいる証拠だとも思います。

 それでも、「死にたい」などと思うこと自体が、「介護負担が大きすぎる」という何よりのサインであると思い、ですから、なるべく早く、介護負担や介護負担感を少しでも軽くすることを実行するか。もし、可能であれば、短い時間であっても、介護から離れることを考えるしかないと思います。

 その「危機」のままの状況で、介護を続けて、自分自身が虐待をしてしまったり、さらに不運が重なることによって、介護殺人や、介護心中につながるよりは、緊急避難として、そうした方法を選択することも、考えた方がいいと思います。

 もし、突然、介護を離れたりすると、周囲からは、おそらくは無責任などと責められるかもしれませんが、結果として、最悪のことを避けた勇気ある行動になる可能性もあります。

 ここまでの文章で、すでに、自分なりの方法を見つけられた方は、そのように動いていただけたら、と思っていますが、これだけでは足りないこともあるとも思いますので、もう少し詳しく説明を続けます。

どうやって、介護負担感を下げるか

 例えば、夜中でも、「死にたい」とか、「死んでほしい」といった、そんな気持ちに襲われたりしたら、可能であれば、誰かに話をしてもらえませんか。

 直接会うのが無理ならば、電話でもいいので、自分の、今のネガティブでもある思いを正直に話せて、それを他の誰かに話すようなことをしない相手に、聞いてもらえることで、少しですが、その時の負担感は減る可能性があります。

 当然ですが、何かが解決するわけではなくても、そのことで、死にたいや、死んでほしい、が少しでも減れば、と思います。

 もし、そうした相手がいらっしゃらない場合は、今までも紹介しているのですが、何かしらの相談窓口を利用するのは、どうでしょうか。

具体的に介護負担を減らすこと

 気持ちの面の負担を少しでも減らせたら、それを続けてもらうことに加えて、日常的な介護負担を、少しでも減らすことを、始めてもらえないでしょうか。

 今、介護サービスを利用しているのであれば、担当のケアマネージャーがいらっしゃると思いますので、その方に連絡をして、今の気持ちを伝えてください。その方への信頼の度合いによって、その話す内容の質や量を考えてもいいのですが、その余裕がない時は、正直に伝えたほうが、気持ちの負担も減ると思います。

 そのことで、今、ショートステイを利用していない場合は、なるべく早く、そのサービスを使って、介護から離れる時間を作るのは、どうでしょうか。

介護サービスを利用していない場合

 これまで、介護を一人で続けられてきたのであれば、その可能性は、かなり低いかもしれませんが、親戚や家族で、介護に関わってくれそうな人がいらっしゃれば、その方に頼むのも一つの方法だと思います。

 その依頼を拒否されて、かえって落ち込んでしまったら、申し訳ないのですが、それでも、もしかしたら、今後、介護環境に関して、何かしらの変化が起こり、それが、介護の負担を減らすきっかけになるかも、ぐらいの感じで、試されては、いかがでしょうか。


 今、介護サービスを利用されていない場合、もしかしたら、誰か他人の助けを借りることに抵抗があるのかもしれませんが、「死にたい」や「死んでほしい」と思うようになるまで、介護に取り組めば、もう十分以上だと思います。

 自分ではコントロールできないような怒りが出てきていたら、できたら、早めに、地域包括支援センターというところへ相談をして、介護サービスの利用を始めるは、どうでしょうか。

(「お住まいの地域名 地域包括支援センター」で、検索すれば近くのセンターがわかると思います)。

介護から強制的に離れること

 これは、「死んでほしいは、殺意ではない」の項目で、少し触れたのですが、「緊急避難」として「介護から離れる」という表現をした部分です。

「介護負担」や「負担感」を減らすために、誰にも相談できない。誰かに頼むのは、今は、どうしても嫌だ。誰に頼ったらいいか、わからない。だけど、「死にたい」や「死んでほしい」が止まらない時は、自分に対して、強制的に「介護から離れる」ことも、選択肢として考えるのは、いかがでしょうか。

 これは、実際に介護をされている家族介護者の方には、抵抗があるかもしれませんし、これを実行したら周囲の方々にも非難される可能性はあります。ただ、このまま介護を続けたら、虐待してしまうんではないか、最悪は事件になるかもしれない、といった危険性は、ご自分が一番わかると思います。その際は、実行した方がいいと思います。

 例えば、2〜3日、宿泊させてくれる方はいらっしゃいますか。もし、いらっしゃれば、その方に事情を説明した上で、介護から離れる時間を作るようにしてくださるといいと思います。

 もし、誰もいなかったら、どこか少し遠いところのビジネスホテルのような場所に、避難するように、やはり2〜3日、宿泊する方法もあります。

 そういった方法をとるのは、毎日、真面目に正面から取り組まれた方ほど、抵抗感があると思います。ただ、「死にたい」や「死んでほしい」といったことを思うまで追い込まれている場合は、その時は、限界のサインだとも思いますので、いったん離れてみるのは、どうでしょうか。

 それは、一種の軽い「失踪」かもしれません。でも、そこまで追い込まれたのは、介護者自身だけの責任ではありません。というよりも、誰が悪いわけでもなく、過酷な介護環境によって、そうなったのだと思います。その上、もし、反省するのであれば、自分もそうですが、周囲の専門家の支援が十分ではなかった、と考えるべきだと思っています。

 ただ、できれば「介護を離れる」時に、どなたかに、「介護が限界なので、2、3日、いなくなります」と連絡をした方がいいと思います。介護サービスを利用しているのであれば、ケアマネージャーに。サービスを使っていないときは、最も話しやすい親戚や友人の方に、電話でいいので、一言伝えた方が、必要以上の騒ぎにならないはずです。

 姿を消すようなことをして、かえって、色々な気遣いが増えるかもしれません。だけど、それは、必要な緊急避難です。最悪の事態を未然に防いでいるからです。

 少なくとも、本当に追い詰められたら、どこかへ姿を消してもいい、といったことを思っているだけでも、少し違うような気がします。

「介護うつ」について

 最近、それほど使われなくなっている印象がありますが「介護うつ」という言葉があります。私は医師ではないので、診断もできませんし、してはいけないのですが、一般的な知識として、介護うつ、という病名はありません。

 いわゆる「うつ」という病名はありますが、介護者がそうであれば、(医師ではなく)「介護うつ」と周囲の方からいわれるかもしれませんし、「介護うつ」にならないように、を目標にされている介護者の方もいらっしゃると思います。

 そのことを否定するわけではないのですが、個人的な感覚で言えば、介護に専念している人であれば、「うつ」かどうかを診察した場合、かなりの割合で、抑うつ傾向の強さは、指摘されると思っています。

 私自身が、介護に専念している頃も、間違いなく、そんなふうに診断されるのではないか、と思っていました。

 いつまで続くかわからない時間の中で、いつ何があっても対応できるような緊張感を絶やさないような毎日を続けていて、抑うつ傾向を低くする方が難しいと感じていました。

 ですから、問題は、それを前提として、「どうすれば介護負担や負担感を和らげられるかを考えるしかないのでは」と感じていましたが、それから、臨床心理士になり、介護者の心理的支援を仕事とするようになっても、その感覚は、基本的には変わっていません。

 それだけ、家族介護者は、大変な環境にいるのだと思っています。

診察について

 ただ、「死にたい」という気持ちが、とても強くなった場合は、それも「介護危機」であるのは間違いないので、抵抗感があるかもしれませんが、心療内科や精神科の診察を受けることを考えるのは、どうでしょうか。

 そこで、もし「うつ」の診断を受けて、薬を処方された場合は、その服薬も始めてもらえないでしょうか。こうした状態で、どうしても、介護の継続は無理でしたら、その時も介護を離れる方法もあります。もしくは、あまりにも介護環境が過酷で、うつの症状が重い場合は、入院することもありえます。

 その際は、介護を離れることで、少しでも負担や負担感を減らす機会だと思ってもらえませんか。

 また、もしも「うつ」と診断された場合でも、それは、その人が劣っていたり、弱かったりするわけではなくて、介護環境が厳しく、さらには、それにも関わらず、介護に正面から取り組んだためだと考えた方がいいと思います。

 その際は、気持ちとしては受け入れ難いかもしれませんが、どうぞ、可能な限り、休んでください。

 その後、介護を続けるか、それとも、介護から離れるか。場合によっては、施設入所などを検討する時期に来ているのかもしれません。

 どの将来を選んでも、ここまで、ご自分の心身を削るようにして、介護に取り組まれた事実は、変わりません。

 まだ、いろいろなことに区切りはついていませんが、ここまでの介護に関して、本当にお疲れ様でした、とお伝えしたいと思います。

介護危機は、いつ来るのか

 一般的には、ある程度以上の長い期間の介護をした後、このような危機を迎えるのではないか、というイメージがあるような気がします。

 それも、決して間違っていないと思います。長い期間の介護のため、抜けない疲労が蓄積し、そのために「死にたい」と思ったり、「死んでほしい」と願ってしまったりすることは、少なくないと思います。

 いくら経験が長くなっても、疲労感や疲労が抜けにくいのが介護だと考えれます。その上、要介護者の症状の変化などで、介護環境が変わる可能性があるので、そんな変化があると、急に「介護危機期」に突入する危険性は、常にあると思っています。

介護を始めたばかりの「介護危機期」

 その一方で、介護を始めたばかりの時に、「介護危機期」が訪れる可能性があることも、できたら忘れないで頂ければとも、考えています。

 介護が突然始まった時は、もし、それまで経験がなければ、表現は不適切かもしれませんんが、まるで災害に巻き込まれるような感覚に近い可能性まであります。

 何がなんだか分からないまま、しかも、介護を必要とする方(要介護者)の症状や状況によっては、特に最初の頃は、何が起きるか分からないような日々を過ごすことになり、ほとんど眠れないまま、二週間になれば、「介護危機」を迎えてもおかしくありません。

 その際は、ここまで述べたように、誰かに話を聞いてもらったり、相談機関に電話をしたり、介護の専門家の方と、すでに関わりがある場合は、その方に連絡をして、今の自分の混乱を伝え、力になってもらうことを考えた方がいいと思います。

 特に介護初期ほど、自分だけで乗り切りたい気持ちが生じてもおかしくありませんが、ここは自分のためにも、介護を必要とするご家族のためにも、誰かの手を借りて、介護の負担や負担感を少しでも減らすことをした方がいいのでは、と考えていますが、いかがでしょうか。

家族介護者の健康について

 介護をしていて、はっきりと「死にたい」とか「死んでほしい」と思わないとしても、疲労感が抜けなかったり、あまり眠れなくなったり、気持ちの動きが極端に減ってきたり、それまで好きなことに興味が薄くなってきたりした場合も、かなり気持ちが追い込まれていることがあります。

 その際は、気持ちの負担を減らすことや、具体的な介護負担を減少させることを考えてほしいのですが、それと同時に、体調のことに気をつけていただきたいと思います。

 介護をしている方は、どうしても、介護を必要としている人(要介護者)の体調などについて、とても敏感になり、それに対しての対応が続いているせいもあり、いつの間にか、自分の体調が二の次になってしまい、実は、健康を害しているような状況になっているのに、気がつきにくくなっていることが、想像以上に多いと思われます。

 ですので、なんだか、介護を始める前より、気持ちの持ち方や、体調がちょっと違ってきたな、と実感できるようであれば、健康診断を受けたり、もしくは、少しでも痛むとか、調子が悪いとき、「まだ大丈夫」と感じるレベルでも、病院に行くことで、悪くなる前に治療ができるのではないかと考えています。


 今回は、以上です。

 次回は、「⑤介護の場所がかわる転換期」の予定です。


 いずれにしても、心身に、思った以上の負担や負担感がかかるのが、介護ですので、ほんの短い時間でも、心身を労わる時間を持っていただければ、と思っています。

 また、疑問点やご意見などございましたら、お手数ですが、コメントをしていただけたら、とてもありがたく思います。よろしくお願いいたします。




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