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「介護時間」の光景㉕「火星」。9.9.

   介護をしている時、先のことが見えずに、というよりも、毎日、同じ日が続くことに疲れも恐さもあって、本当に見えるものが限られていました。でも、振り返れば、周囲の小さな変化みたいなものに、今より敏感だったような気がします。

2003年9月9日

  もう17年前の話になりますが、母親の入院する病院へ、毎日のように通う日々が続いていました。介護を始めて4年目、母親に病院に入ってもらって、そこへ「通い介護」(リンクあり)を始めてからは3年がたっていました。

 自宅に帰ってからは、妻と一緒に義母(妻の母親)の介護をして、私は夜中の担当でした。在宅の介護と、「通い介護」をしていて、家族介護者にこそ、心理的な支援が必要ではないか、と思うようになりました。ただ、まだ、自分が臨床心理士になり、支援をするようになるとまで(リンクあり)、思うようにはなっていませんでした。

 そうやって、毎日のように病院に通っていましたが、3年目になって、母親の症状が少し落ち着いてきたせいもあって、少し余裕があったのかもしれません。それでも、意志の疎通ができなくなったり、また戻っての繰り返しだったので、私が通っても同じかもしれませんが、もし、通わないことで、会話が成立しないような状況になり、さらに戻れなくなったら、と思うと、恐さが抜けず、それにひっぱられるように、病院に通っていました。

 母親は、入院当初は、私が誰だか分からないような状況もあったのですが、それから、何度も波があって、そのうち、何か書きたいのでノートが欲しいと言われて、病室へ持って行きました。

 そのノートが、1冊終わりそうになっていました。
 
 こうして文章を書けるようになるとは思いませんでしたが、いろいろなことを、その日に思ったことや、起こったことなど、片っ端から書いているみたいでした。今も、私が、昨日きたのか、一昨日来たのか分からなくなっているようでしたが、今日は、持っていったぜんざいを半分ずつ一緒に食べて、喜んでもらいました。

 母は、ノートには、とにかく忘れないように、必死で書いているようにも見えました。文字はもともとの達筆に戻りつつあるのは、分かりました。

 病室についてから、時間がたって、もうすぐ、面会時間終了の午後7時になりそうでした。夕食も無事に終わり、一緒にテレビを見たりしていました。

火星

 火星がもっとも地球に近づいています。
 というニュースを母の病室で見た。
 7時少し前、病室から月が丸く見えた。その左側の少し下に星があった。違うかもしれないけれど、ニュースで見たあとのせいか、火星のような気もしてきて、月とセットのようだった。
                          (2003年9月9日)


2020年9月9日。

 それから、17年がたちました。

 コロナ禍で、もう自衛するしかないと思ってから、外出自粛はずっと意識しながら、何ヶ月かたち、両親が亡くなって、今は空き家になっている実家に通う頻度も、少なくなっていました。それでも、あまり行かないと、家の内部の空気がこもったり、ポストがいっぱいになっているかもしれないし、庭の草木の伸び具合が気になったので、今日は行くことにしていました。

 都内の自宅からだと1時間弱。

 最寄りの駅で降りると、太陽の光は強く、ちょっと痛いくらいで、残暑という響きに抵抗を感じるような暑さでした。

 駅から、実家まで徒歩で約20分。

 途中で、国道があり、若い人が3人自転車で信号待ちをしていました。そこに、若い女性が押すベビーカーも揃って、それだけで、なんだかその場所に、エネルギーが集まってきている気がしました。信号が青になって、3台の自転車はスタートし、2台はペアで、右に曲り、一台は左へ行き、ベビーカーと私は右へ曲がりました。

部屋から見える空

 その道路を渡ってからは、ゆるい坂道を登って、5分くらいがたつと、実家が見えてきます。去年の台風の時に、屋根の上のテレビアンテナ が不安定になっていたので、撤去してもらいました。もうテレビは一切映りません。

 道路をはさんで、お向かいの家のインターフォンを押すと、出てきてくれた女性は、自分が学生時代から知っている人で、この前、実家のことで、お世話になったので、手土産を渡して、御礼を伝えました。しばらく世間話をしましたが、もう何十年も前から知っている人が住み続けてくれているのは、ありがたいと思いました。

 実家の、ほぼ全部の窓をあけ、空気を入れ替えます。
 2階の、晩年は母が使っていた部屋、その前は、私が高校生の時から使っていた6畳の和室の窓も開けます。外はベランダがあるのですが、空が見えます。

 学生時代から見えた景色は竹やぶと畑でしたが、今は住宅が立ち並ぶ場所になりました。それでも、今日は遠くに、夏の雲である積乱雲が大きくなりかかっていましたが、その空は、何十年か前に見た時も、母を一人で、実家で介護していた20年くらい前も、ある意味では、同じかと思うと、その時の、どうしようもないような気持ちまで、少し思い出しました。
 同じ空かと思うと、写真を撮りたくなりました。

シャトルラン

庭の草木の手入れをしていると、道路から、「こんにちは」というしっかりした大きい声が聞こえてきました。新しくお隣さんになったお宅の、お子さんです。若い父親と、小学生の男の子と、もう少し小さい女の子の3人家族が声をかけてくれました。

 少し前まで、男の子は、もっと人見知りで、もじもじしていた印象だったのに、今は、こちらがたじろぐぐらいのまっすぐなあいさつになりました。夏の頃には、コロナ禍での変則的な休みについて、大変だよね、みたいなことを伝えたら、大丈夫、今年はしかたがないし。と力みなく、ゆらぎがない答えが返ってきて、こちらが勝手に、子供はもっととまどっていると思い込んでいたことが、恥ずかしかったのも思い出しました。短い時間で、どんどん成長していて、たまにしか会いませんが、それは、やっぱりうれしいことでした。

 3人は、坂道で、それぞれの走力に合わせた場所で、バラバラのスタート地点について、そして、一斉に走り始めました。どうやら、ターンを繰り返して、前進していく、シャトルランのようでした。若いお父さんは、走るのも早く、そして、前はもっと小さかった女の子も、力強く走っていて、みんな楽しそうでした。ゴールは坂道の上でした。

 本当に、他人様の子供の成長は早いのだと思いました。

近道

 いろいろと用事をすませて、実家を出る時は、暗くなっていました。ゆるい坂道を降り、国道に出るために、昔からある金融機関のわきを通っていました。前を歩く、母親が高齢の、おそらく母娘の二人は、すっと右にそれて、駐車場を斜めに横切って行きました。

 私が歩く予定の、突き当たって、右に直角に曲がる道筋と、その母娘が歩いている道筋で、直角三角形ができるので、母娘のほうが三角形の一辺を歩いているから、わたしより「近道」になっているはずでした。

 案の定、その二人は先を歩いて行きました。

 地元に住んでいるとは、こういうことだと思い、自分も何十年か前は、その斜めのルートを、自転車で通っていたことも思い出しました。その駐車場の表面のアスファルトが新しくなったり、建物も建て替えているかもしれませんが、その金融機関は、この何十年も、ずっと、同じ場所にあり、そのことで、私の記憶まで保持してくれているようにさえ、感じました。



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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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