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家族介護者の支援について、改めて考える④「認知症カフェ」と、「個別支援」。

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 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。   

 私は、1999年に家族の介護を始め、いろいろなことが重なり、仕事もやめることになり、介護に専念する年月の中で、家族介護者には心理的な支援が必要ではないか、と思うようになりました。  

 微力ながら、自分でも支援が少しでもできれば、と考え、介護を続けながら学校へ通い、臨床心理士の資格をとりました。その後、公認心理師の資格も取得しました。

家族介護者の支援について、改めて考える

 家族介護者への心理的なサポートが、この10年、社会に少しでも広がるように、自分なりに努力はしてきたのですが、それがなかなか広がっていかず、自分の力不足もありながらも、無力感に襲われたことを書いたのが、このシリーズの、第1回目の記事でした。

 それは、お恥ずかしいことでもあるのですが、それでも、「家族介護者への個別な心理的支援の必要性」については、実は、まだそれほど理解されていないのではないだろうか、とも思いました。

 そこで、これまでの繰り返しになるのかもしれませんが、改めて伝えた方がいいのでは、と考えました。

 それも、家族介護者支援「先人」である「家族会」や、「認知症カフェ」や「地域包括支援センター」と、何が違って、なぜ「個別での心理的支援が必要なのか?」といったことを再考していこうと思っています。

 前回は、「家族会」について、改めて考えました。


 今回は、主に「認知症カフェ」と、「個別支援」のことを考えていきたいと思います。 

認知症カフェ

 認知症カフェ、ということが盛んに言われるようになったのは、多分、ここ10年くらいだと思います。ご存知だとは思うのですが、カフェ、といっても、飲食店というよりは、集まる場所としての「カフェ」で、大事なことは、飲食ではなく、人が気軽に集まれる場所、ということになっていると思います。

 認知症カフェは、福祉先進国であるオランダの「アルツハイマーカフェ」をモデルに誕生しました。2015年(平成27)に厚生労働省が定めた認知症施策推進総合戦略(通称:新オレンジプラン)で認知症地域支援推進員の役割として明記されたことで、その数を増やすと共に認知症高齢者とその家族にも広く知られるようになりました。

 さらには、2019年には、東京都の町田市で、新しいタイプの「認知症カフェ」もスタートしています。

 2019年4月、町田市(東京都)は大手コーヒーチェーンのスターバックスコーヒージャパンと連携協定を結び、市内の同店舗で定期的に出張認知症カフェを開いています。この協定締結によって、同社は従業員に認知症サポーター養成講座の受検を推進し、認知症カフェのほか高齢者の見守りや来店する客への普及啓発を進めるとしています。

「家族会」があり、この「認知症カフェ」があれば、家族介護者の支援は十分ではないだろうか。そんな風に考えていらっしゃる専門家の方も少なくないかもしれません。また、今、読んでくださっている方も、そう感じられるかもしれません。

 そして、専門家の中には、この「認知症カフェ」が、地域に、どのくらいの数があるかを重視する方もいらっしゃるように思います。

 今は、「認知症カフェ」という名前だけでなく、「Dカフェ」。もしくは、「オレンジカフェ」という呼び方の方が増えているような印象もあります。

「認知症カフェ」の実際

 例えば、個人的なスケールで申し訳ないのですが、地元の東京都大田区の「認知症カフェ」について、確認してみます。

 2021年現在では、24カ所。ほぼ全てが、月に1度程度の開催。地域包括支援センターや、出張所や、特養などの施設の一角を使う場合が多いようです。

 また、場所によっては、医師などの専門家による認知症に関する「ミニ講座」を開催する場所も少なくありません。

 認知症に関しての啓蒙的な役割もあり、認知症の方や、その介護をする家族の方だけではなく、様々な方に開かれた場所として機能しているし、機能させようとする場所のように思います。

 「家族会」が主に「自助グループ」としての機能を持つとすれば、「認知症カフェ」は、もう少し開かれた場所として、また認知症のことを知りたい、といった方々も参加可能な場所ですし、参加しやすくなっていると思います。

 東京都町田市のように、スターバックスなどで開かれていると、よりオープンな印象が強まるように思います。

 全国的に「認知症カフェ」の詳細は、お恥ずかしながら分からないのですが、おそらくは「認知症の啓発」ということにも、大きな役割を果たしているように感じていると思われます。

「認知症カフェ」への参加

 自分が住んでいる場所に一番近い「認知症カフェ」は、地域包括支援センターが主催していて、特養の施設の一部を使っています。

 まだ自分も介護をして、今のようなコロナ禍の前だったのですが、月に1度の日程に、自分の都合が合わず、その「認知症カフェ」には、行くことができませんでした。

 ただ、1度は行ってみたいと思っていたので、少し調べたら、歩いて少し遠いのですが、ちょうど行ける場所を見つけて、行ってみました。

 そこは、高齢者に詳しい医師も参加して、ミニ講座もしてもらえる上に、個別の相談にものってもらえるということなので、ありがたい気持ちがしました。

 その場所へ到着したら、テーブルがいくつもあって、たぶん全部で40人くらいの参加者がいらっしゃるようでした。「認知症カフェ」という名前ですが、私が見た範囲では、かなり症状が進まれた認知症の当事者の方はいらっしゃらないように思いました。

 テーブルは、指定された番号があって、そこに座ると、そこで折り紙をすることになりました。自分自身はとても苦手なので、失礼ですが、早く始まらないかな、と思いながらも、近くの方々と少しは話ができました。全体的に、元気な空気感でした。

 それから、本格的に会が始まり、さらにメニューが進むと、一緒に歌を歌ったり、そのうちにフィジカルの専門家の方がいらして、話もテンポよく体操を始めました。

 途中で、医師に個別相談を申し込んでいたので、会場の隅で話ができました。
 その時に、介護をしている100歳を超える義母の状態についての、家に帰って、具体的に対応できる方法を教えてもらったので、とてもありがたく思いました。

 お礼を伝えて、またしばらく「認知症カフェ」に参加して、一応は最後までそこにいて、帰ってきました。

 それから、参加する機会はありませんでした。

ポジティブな空気

 その場所は月に1度開催されていると聞きました。

 参加者の中には「元気な」高齢者が多くいたように見えました。歌を歌ったり、体操をしたり、折り紙もしたり、とアクティブなメニューも目立ち、専門医による「ミニ講座」は、とても参考になりましたが、ここには元気な人ばかりがいて、でも、それがいいのではないか、と思い、それでいて、次からは、私は行けるような気がしませんでした。

 それは、家族介護者としての私との単純に相性の問題であって、参加してみて、特に要支援や、自立と判定された高齢者が参加して、それこそ、居場所として、楽しみとして、この「認知症カフェ」を利用するのが一番「正解」のように思えていました。

 デイサービスには抵抗があっても、この「認知症カフェ」の方がオープンな空気もありましたし、ここから始めて、介護サービスへの利用へ誘導する、ということも可能なように思いました。

 ただ、一回だけしか参加していないので、本当に理解はしていないでしょうし、「認知症カフェ」によっては、随分とカラーが違うので、こんなわずかな経験で、一概には言えないのでしょうけれど、家族介護者にとっては、そこに知り合いがいたりする場合は別とすると、初見で参加して、継続的にさらに参加し続けるのは、かなりハードルが高いように思いました。

 それは、その場の「ポジティブな空気」に飲まれていたのだと思います。

家族介護者の気持ち

 私だけかもしれませんが、もっと介護が厳しかった時は、おそらく、この「認知症カフェ」に出られなかったと思います。あまり人と会いたい気持ちも湧かず、会って話をしたとしても理解を得られず、さらに社会のリズムで生きている人と会うことに怖さも感じていました。

「認知症カフェ」は、もちろん一ヶ所だけでは分かりませんが、やはり、介護で最も厳しい時には、参加しづらいような気がするのは、介護が厳しい時は、日常的な場合にはプラスである、ポジティブな空気には馴染みにくいからだと、思います。


 介護作業に二十四時間追い回されている人は、新聞を読み、テレビを見る気力さえなくなる。
 だから、社会的な連帯の声が挙げられない。同じ悩みを持っている人同士でも、なかなか情報交換できない。
 私も新聞のお知らせなどで、相談や家族の会があることには気づいていた。が、それに出席する時間が作れるなら、その分眠っていたかった。(新聞記者・柳博雄 氏)
重い障害者の介護は、二四時間必要なことも多い。この場合、介護している家族は、二四時間拘束される精神的重圧のうえ、夜昼とない介護仕事の重荷を負わされる。それがどんなに辛いことかは、やってみないとわからない。「一晩でいいからぐっすりと眠ってみたい」。これが痴呆性老人などを介護している家族共通の呻き声である。

 私だけでなく、やはり、介護状況が厳しい場合には、「認知症カフェ」を利用するのは難しいと思わせる描写です。


 私もそうだったように、正しいことを言われても励まされても、体験談を聞かされても、何の役にも立ちませんよね。認知症の人だけでなく、介護者の心のことをもっとよく知ってもらいたいですよね。そっとつらい胸の内を話せる安全な場所と信頼しあえる仲間がほしいですよね。レスパイトもいいけれど、ただ話を聞いてもらいたいですよね」(大阪府・女性・47歳)。

 これも、「認知症カフェ」でも「家族会」でも、「安全な場所と信頼し合える仲間」であれば、可能かもしれません。でも、「ただ話を聞く」のは、とても難しいことなので、その役割を、同じ家族介護者に担わせるのは、返って負担がかかってしまうようにも思います。


 もしかしたら、偏った見方に思えるかもしれませんが、厳しい環境にいる家族介護者は、最も支援が必要にも関わらず、最も支援につながりにくいという矛盾があるのは事実だと考えられます。

 集団の中にやってくるのは、やはりハードルが高いでしょうし、その状況の人の話を受け止めるのは当然ながら難しいと思われますし、厳しい状況の話を、きちんと受け止めるほど、その受け止める側の負担も大きくなります。

 厳しい介護環境にいらっしゃる家族介護者が、支援に繋がるのは難しいと思いますが、それでも集団よりも、個別支援の方が、少しでも支援できる可能性があるように思いますが、いかがでしょうか。

厳しい介護環境での言葉

 前回、「家族会」、今回、「認知症カフェ」、さらには、「地域包括センターでの介護相談」にも触れてきて、それぞれの特性があり、しかも、どれも介護支援ということを考えたら、不可欠な支援であることに疑いはありませんし、まだ数が少ないとも思っています。

 ただ、それだけではカバーしきれないのが家族介護者の支援で、そのためには、個別で心理的な支援が必要なのに、今はまだあまりにも少ない、ということを感じています。



 (認知症の人と家族の会)「愛知県支部代表の尾之内直美さんは
「介護をしてきた人なら、誰もが一度は『殺そう』『死のう』と思った瞬間があるはず」。

 例えば、こうした言葉↑に接して、どう思われるでしょうか。
 
 介護者へのアンケートなどでも、こうしたことを思ったことがあると答えるのは、3割くらいの結果が出ることが多いでしょうから、この話は、大げさではないか。私が知っている家族の方々は、もっと明るく前向きで、といったことを思われる介護の専門家も少なくないのかもしれません。

 ただ、これも個人的な狭い世界の見方に過ぎないのですが、私自身は、この「誰もが一度は『殺そう』『死のう』と思った瞬間がある」という言葉に、どこか納得感があります。自分自身がそうだった、というだけでなく、この20年間の実感としても、そんなことを思います。

 例えば、仕事もやめて介護に専念していた家族介護者の頃、医師に対しては、家族が入院している時には、「人質をとられているようなものだから」と、半分は冗談ですが、本当に思ったことは言えないと、家族介護者同士で、話すことは少なくありませんでした。

 専門家に対して、またアンケートに対して、家族介護者が、どこまで本当に思ったことを伝えているかについては、やはり、分からないのだと思っています。

地域包括支援センターでの介護相談

 殺したい、もしくは、死んで欲しい。

 こうした気持ちを受け止めるのは、一般的には、集団での支援に向かないと思われますし(少人数の家族会で可能かもしれませんが)、そうした話が、「地域包括センター」の「介護相談」でされた時には、介護のプロであるほど「虐待の危険性」を考えてしまうと思います。

 確かに最悪の事態を避けるのが最優先事項ではあると思いますが、相談員の思いが、最初に、そこに至ってしまう「介護相談」は、特に厳しい介護環境にある家族介護者にとっては、支援となるかどうか、と考えると、難しいと思います。

 ただ、それは、「地域包括支援センター」の「介護相談」が、基本的には「要介護者」のためにある以上、当然のことだとも思います。

介護サービスを使わない介護

 さらには、デイサービスやショートステイ、さらには訪問介護や看護など、介護サービスだけでなく、医療の制度も使えない場合では、どうでしょうか。

 確かに、そこから介護サービスを利用できるように誘導できるのが、介護の支援のプロだとも思いますし、それが必要な場合もあります。
 でも、どうしても要介護者が、そうしたサービスを利用するのを拒否する。どれだけ家族が勧めても無理な場合は、介護サービスを使おうとして、要介護者と話し合うこと自体が、家族介護者に負担となることも少なくないと考えられます。要介護者の思いを尊重し、サービスを使わずに介護を続けようとする家族介護者も、思った以上に多いのかもしれません。

 こうした場合は、まずは、そのままの状況が続くことを前提として、それでも家族介護者をどう支えるか?が大事になるのではと思います。

心理的支援の必要性

 その場合には、環境調整が難しいままです。

 そして、そうしたことは、実は少なくない事だと、介護の専門家ほどご存知だと思うのですが、こうした家族介護者への支援には、個別で心理的な支援が、やはり有効になると考えられます。


 次の「家族介護者の支援について、改めて考える⑤」は、この2回で分けてお伝えしても、まだ説明が不十分だと思いますので、改めて、「家族介護者への個別で心理的支援の必要性と、その実践」をテーマとして、もう少しお伝えしたいと思います。


 最後に繰り返しになり、申し訳なのですが、前回も、今回も、「家族会」「認知症カフェ」、さらには「地域包括センターでの介護相談」は、本当に重要で必要不可欠なのは間違いないことを、お伝えしてきたつもりです。

 その上で、「家族介護者への個別の心理的支援」も、もう少しでも増やした方がいいのではないか、という考えを書いてきたと思っています。

 今回は、以上です。

 疑問点や、ご意見などございましたら、コメントをいただければ、とても嬉しく、ありがたく思います。よろしくお願いいたします。

 次回は、改めて「家族介護者への個別の心理的支援の必要性と、その実践」について、書く予定です。





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