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『「介護時間」の光景』(143)「バランス」。2.6.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで書き続けることができています。


 この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年2月6日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

自己紹介

 元々は、私は家族介護者でした。介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 ただ、そうした支援をしている専門家がいるか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。それは、分不相応かもしれませんが、介護をしながら、学校へも通い、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護相談も続けることが出来ています。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、しかも断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年2月6日」のことです。終盤に、今日、2023年2月6日のことを書いています。


(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)


2003年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。

 それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。

 その時の記録です。毎日のように、メモをとっていました。

2003年2月6日。

『午後5時頃、着く。
 母は、横になっていた。

 スイートピーを持っていく。
 母は、喜んでくれた。

 夕食は30分くらいで終わる。

 急に戦争の話になる。
「真珠湾攻撃のこと、ラジオで聞いて、びっくりしたのよ」。

 へえ、と聞くしかないような、歴史的な話でもあった。

 午後7時に病院を出る。

 日付や曜日の混乱は、変わらなかった。
 今日、月曜日?と聞かれた。

 それでも、全体的には、落ち着いていた。
 ありがたい。

 来週の外出の話は、よく覚えていた。そのお願いの書類のようなものを病院に出した。

 母の姉妹で、私のおばである2人も誘ってみようと思う。

 まだ寒いけれど、気持ちは、次の季節に移っている。』

バランス

 大きめの白い皿に、久しぶりに飲んだ紅茶のティーバッグを使ったのを置き放しにしたままコタツのテーブルの上に置いていた。

 紅茶の残った液体が少しこぼれて流れて、何時間かたった後だと、それが少し固まったりして、その少し赤めの色と白い皿と変にバランスがとれて、妙にキレイに見えた。

                      (2003年2月6日 自宅)


 その翌年、母親の肝臓にガンが見つかった。
 手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。

 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2023年2月6日

   このところ、近所の家の工事の音で目が覚める。

 長く住んでいた方が、引っ越して、更地になり、そこに木造の3階建てが建てられるらしい。

  そして、その工事は、今も続いていて、だけど、木造だから、ギューンといった金属的な音ではなく、文字にすれば、トンテンカンテン、に近い、どこか柔らかい音だったりする。

    天気がいい。

 洗濯物が少ないので、もう少したまってから、洗濯をすることにして、湯たんぽのお湯は、まだあったかいけれど、今日は、顔を洗うのに使った。

オウム

 今日は、午後から、地元の行政が開催する「区民大学」に、妻と二人で出かける予定だった。

 昼食を早めに食べて、家を出る。ご近所の鳥かごには、いつもオウムがいて、その前を通りかかる人が、こんにちは、と声をかけると、時々、コンニチワと返してくれて、近所の人気者だったのに、このところ姿を見ないね、という話をしながら、そのカゴの前を通った。

 それが、今日は、カラの鳥かごに小さな花束のようなものがさしてあって、近寄ると、「安らかに」という文字が見えた。どうやら、そのオウムは亡くなってしまったようだ。

「一大事じゃん」。

 妻は、明らかにショックを受けていた。

出張所

 それでも、「区民大学」の会場の出張所へ向けて、歩いていく。

 余裕を持っていたのに、少しグズグズしていたので、やっぱり時間がそれほどなくなり、ちょっと焦って、歩く。

 いつもとは違うルートで、私にとっては、初めて歩くような道を通った。
 
 前を女性が歩いていて、妻が、あの人も同じ場所にいくのでは?という話をして、少しあとをついていくような形になったけれど、確かに、同じ「区民大学」に向かっていたようだった。

 その途中も、電線に枯れたツルがからまっていたり、石垣のような壁にコケが生えていたり、そういうことだけでも新鮮だった。

 前をいく人のおかげで、間違えずに、現地に着けた。

区民大学

 自分が住んでいる地域をテーマに、週に1度、4回にわたっての講座になるけれど、そんな限定されたテーマで人が来るのだろうか、と思っていたけれど、会場の会議室は満席で、ちょっと安心もした。

 それから、2時間以上、講師の方が熱心に話をしてくれたおかげで、自分の住んでいる地域の歴史的なことも、初めて聞くことも多く、時間もオーバーしたものの、なんだか楽しかった。

 帰りは、隣町の病院に行こうとした。途中で、チョコパイを食べて、それ自体はおいしくて、よかったのだけど、そのために時間を過ぎて、残念だけど、病院は閉まってしまっていた。

 その後、夕方になったので、お弁当を買って、帰った。

 いつもとは違う1日で、少し充実した気持ちになった。





(他にも、介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。






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