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『「介護時間」の光景』(164)「ゴン」。7.11.

 いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、「2002年7月11日」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年7月11日」のことです。終盤に、今日、「2023年7月11日」のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。

2002年の頃


 とても個人的なことですが、1999年から母親の介護を始めて、その途中で、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり2000年の夏には母親に入院してもらいました。
 私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。
 自分が、母のいる病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。

 この病院に来る前、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。

 そういう気持ちは、新しい病院に移り、2年が経つ頃には、病院を信頼するように変わっていたのが、この2002年の7月頃だったように記憶しています。

 そのころの記録です。

2002年7月11日

『いろいろ買って、花も買って、午後4時のバスに乗る。

 母は横になっている。
 台風のことを、しゃべる。

 母の病院での友人と同室の人が一人いない。

「〇〇さんよ。肩の骨を折ったみたい」。
 ただ、それは違う人のようだった。

 母は、何か、ぼんやりしている。最初よりも、しゃべるほど、なんだか、内容がぼんやりしていると思う。

 夕食50分。

 いつも「帰りたい」と繰り返す人が、歩いてやってくる。

 母と話をしていて、昔のことを、今日は、何かちゃんと聞けない。
 あまりにも遠い気がする。

 そして、午後7時。

 みのもんたが司会の「ミリオネラー」が母は好きなので、それが始まって、病院を出る。

「バナナあるうちは、来ないで大丈夫」と言ってくれる。気をつかってくれるのはありがたい』。

ゴン

 ノースリーブ、スリットの入ったスカート。細身で色白。目も大きくて、おだやかな美人といっていい人が電車の座席に座り、少したつと、眠り始める。

 体がいろいろな方向へグワングワンと激しく揺れながら、寝ていた。隣の中年女性へ思いっきり寄っかかったり、後ろへ揺れると、「ゴン!」とけっこう大きな音をたててガラス窓にぶつかり、少し目をさまし、また眠って、また「ゴン!」と音を出す。

 それを、何度も繰り返す。

 頭にひびが入るんじゃないか、ガラスが割れるんじゃないか、とあり得ないことを思うほど、大きな重い音だった。
                        (2002年7月11日)


 この生活はそれからも続き、本当に永遠に終わらないのではないか、と感じたこともあったのだけど、2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。

 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、在宅で、妻と二人で介護をしていた義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。

2023年7月11日。

 気温が30度くらいだと、時々、冷房を入れる程度でなんとかなるくらい、基本的に寒がりの夫婦なのだけど、35度を超えると、冷房を29・5度に設定して、一時間くらいはスイッチを入れるようになる。

 猛暑日、という名前には意味があると思う。

洗濯

 ただ、暑くて、風もあるので、洗濯物はよく乾くのは、ありがたい。

 シーツを替えて、少し洗う機会がなかったけれど、それだけでなく、タオルケットも洗えて、なんとか干せた。

 やっぱりうれしかった。

ひまわり

 家のまえの道路の並木の下。

 とても小さいスペースだけど、そこに、ご近所からもらったひまわりの種を、妻が植えてくれていた。

 そのひまわりが、咲き始めた。

 小さくて、背の低いひまわりは、なんだか可愛くて、写真に撮っていく人もいるらしかった。

図書館

 図書館に本などを借りると、二週間で返却期限になるが、それ以前に、予約していた本が入ることも少なくない。だから、その二週間の期限の前に、その本を取りに行かなくてはいけなくなる。

 それは、手間がかかるけれど、無料で貸してくれる、とてもありがたく、必要なシステムなので、いつ、その予約した本がやってくるか分からないけれど、だから、予定よりも早く本が入ったときは、手元にある本は、なるべく早く読んで、メモをとって、返却をして、そして、新しく入った本を借りにいくことになる。

 今日は、とても暑いので、いつもよりも遅めの午後4時半頃に出かけて、本を返して、また借りて、それからスーパーで買い物をしたら、かなり重くなったけれど、自転車だから、帰って来られた。

 午後6時近くだけど、まだ明るい。

第9波

 また夏が来る。

 「第9波」に入ったか入らないかの議論がされているけれど、検査が義務にならなくなったら、数字上は、感染者はそれほど増えないのは予想できるから、医師会の「第9波」の見解が、より正確だと思われるので、自衛するしかないのだろう。

 いつ感染しても、適切に素早く、誰でも必要な治療が受けられる本当の「ウィズコロナ」の体制に早くなってくれないだろうか、とこの3年間思ってきたけれど、こうした政府関係者の見解↑を見ていると、やっぱり無理かもしれない、と気持ちは重くなる。

 外出をなるべく減らし、出かけるときは、感染予防に気を付ける。という原則を、やるべきことをやりながら、継続するしかないと思うと、ちょっとしんどい。




(他にも、介護に関することを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。

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