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「介護時間」の光景㉖「列」。9.19.

 個人的なことですが、1999年から、母親の介護を始めることになり、実家でみていたのですが、再び、症状が悪化し、病院に入院しました。ただ、そこでいろいろとあって、自分自身が心臓の発作も起こし、さらに、認知症専門の療養病院に転院することになりました。(リンクあり)

 2000年8月30日に、病院を変わりました。
 その日は、帰る時は夕方でした。いつもより、とても大きく熟れたトマトのようにやや崩れてみえた、とても赤い、沈んでいく太陽を見て、親を捨てた、という言葉が気持ちの中に浮かんだのを憶えています。

 それから、1ヶ月もたっていない頃です。2000年9月19日。


 まだ病院への不信感も抜けず、今の状況にもなじめず、母の症状は不安定で、だけど、行かないと、もっと不安定になる気がして、ただ、病院に通っていました。電車に乗って、駅で降りて、また、バスに乗ります。

 そんな時のことです。(その日のメモを一部、修正しています)。


 駅前のバス停に人が5人くらい並んでいて、前向きというか活気といっていいものがあったのに、そばのコンビニに入って病院へ持っていく飲み物とかいろいろ買って、また同じバス停に戻ったら、誰もいなくなっていた。

 ほんの数分で一人もいない。駅前で、このバス停でこれだけ人がいない事は珍しい。静かで寂しい空気まであるようだった。

                         (2000年9月19日)。

 気になる言葉が、変わってきたように思う。

 谷川俊太郎の言葉。
 「ボケた母。仕事をさしおいても、そばにいて安心させた方がよかったかも」。

 何かの絵本の言葉。
「宇宙人も生き物です。生き物は殺してはいけません」。

 病院に来るたびに、ゆっくりした認知症のご老人しかいない場所に肯定的な気持ちにはなれていない。
 

 駅から乗った行きのバスで、ベビーカーに小さい子供を乗せた若い母親が、ずっと一生懸命、いろいろと面倒をみている。その集中力はとても高い。
 それを見ていて、ああやって、自分も育てられたんだ、という気持ちになる。

 何か、気持ちが確実に変わってきている。

 病院に着いたら、看護師に、母が何かを言っている。
 電気つけて、と言って、つけてもらったら、母親は、今度は、明るすぎる、と文句を言っていたようだ。
 それも、すごく不安そうな顔をして。

 顔を合わせたら、夕食のこと。トイレのこと。それを繰り返し、繰り返し、言っている。トイレに行っても、戻ってきて、すぐにトイレのことを言っている。

 それでも、昨日よりも少し落ち着いたようだった。
 医師も、先週よりも落ち着いている、ということだった。

 午後7時半頃に、病院を出た。


それから、20年がたった。
2020年9月19日。

 コロナ禍で、世界がまったく変わってから、まだ半年くらいしかたっていないのに、すでに、それ以前の世界を思い出せなくなる、というよりも、それ以前の世界を見ると、違和感を憶えるようになってきた。

 今日から4連休になって、なんとなく、もうこの状況に慣れて、ここ何週間かでは、もっとも人手が多いように思う。

 そうした様子をみていると、再びの感染拡大の不安が大きくなるが、大きい荷物を持って、遠くへ行こうとしている人たちは、やっぱりちょっとうれしそうにも見える。


 電車の座席に若い父親と、その子供が、横に並んで、座っている。
 父親の荷物は、大きめのキャリーバッグを持っている。
 子供は、たぶん5歳になるかならないか、だと思う。

 座っているのに、ちょっとお尻がはねているような元気な感じで、その子に、父親が、お願いごとをしている。あまり聞いてない。視線は、正面を見ている。表情は、明るく、向いの窓の外に電車が走るたびに、男の子は、指をさして、おそらくその車両の名前を口にしている。

 そこに、また父親が、そうでないと、おうちに帰る?みたいな微妙な圧力をかけてもいるのだけど、なんだかまったく聞いてない感じなので、父親は、次は、小さめの黄色いバナナを出した。皮を向いて、差し出したら、子供はそれをすぐにとって、思ったよりも早く食べ終わった。
 そして、また、関心は、あちこちにいっている。

 父親は、その次は、電車の車両の小さいおもちゃを渡すと、子供は、黄色い新幹線を持って、笑っている。
 そして、父親から、お願いの話になるが、子供は、また窓の外を指差して、名前を言って、嬉しそうな顔をしている。

 
 父親の荷物の中から、もう一本バナナが出てくる。
 それも、手渡されてから、小ぶりとはいえ、子供は、食べるのが早い。

 元気で、明るそうで、お家に帰らなくちゃいけないような、お願いごとって、何だろう、と思った。あれこれと興味が向くものに、すぐに目がいって、声を出して、笑っているけれど、そんなに大声を張り上げることもなく、楽しそうだし、ずっと、父親の隣で、座席に座っていて、走り回ることもしないのに、何が足りないんだろう、と思っていた。

 父親がお願いをして、おうちに帰る?などと頼まないといけないよう事は、何もなさそうなのに、そのやりとりが続いて、子供はずっと電車に夢中のままだった。楽しそうだった。

 その結末を見届ける前に、電車を降りて、お願いごとを考えた。

マスクかもしれない。

 そう思ったら、バナナを食べていたし、電車のおもちゃをいじっていたし、指をさして、電車の名前を言っている口元には、マスクがなかったと思った。

 だけど、まだ小学生になる前くらいの子にまでマスクをさせなくてはいけないのは、やっぱり不自然だと思うけれど、電車内では、今日は親子連れが多かったけど、かなり小さい子供も、みんなマスクをしていたことも思い出した。

 すごく自然な光景になっていたけど、やっぱり不自然なことで、みんな小さい子供がマスクをしている、その光景の裏には、今日見た、バナナや電車のおもちゃを使いながら、何度も、何度も繰り返し、マスクをすることを伝えるような努力があるのかもしれない。

 あの、小さな子供まで、マスクをみんながしている光景は、それだけでも、とんでもない労力がかかっているんだと思った。



(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。クリックして読んでいただければ、ありがたく思います)。

「介護時間」の光景㉕「火星」。9.9.

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「介護books」 ① 介護未経験でも、介護者の気持ちを分かりたい人へ、おすすめの2冊



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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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