オウトツウゴメ

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「変な人」ってなんだよう〜!!!

 自分は所謂「変な人」なんだと思う。  「語彙が面白いね」とか「独特な感性だね」と言ったなにか言いたげな「褒め言葉」を浴びて過ごしてきた。  しかし私は自分が「変な人」とは思っていない。「変なことを思いつく人」だと思っていて、それは「変な人」とイコールじゃないでしょ、と思っている。  でも、世間的には多分「変な人」も「変なことを思いつく人」もひっくるめて「変な人」と形容してるんだろうな。もしくはそんなことは考えていないのかも。  そもそも、「変」と「面白さ」はかなり近いところ

    • 創作上の良い名前 ・春日一番 ・草薙理解 ・犬塚露壬雄

      • コロナ禍のプチ弊害

        コロナ禍のときに屋内に入るたびアルコールを手にシュッシュッシュッシュッしてたじゃん。 今は結構アルコール置かなくなってきてるよね。 でもさ、そのせいでなんかもの足りなく感じるんだよ。 潔癖になったとか、ウイルス、雑菌を気にするようになったとかじゃないんだよ。 「屋内に入るたび、なんか手を濡らしたい」 この、キショい悪癖を植え付けたのは、コロナのせい。

        • 中学生の自意識と宗教(モブサイコ感想日記)

           モブサイコのメチャクチャ好きな神樹編がアニメ化した。  あれは単に宗教や集団心理、「楽しくしているだけの集団にどう対応するか」みたいな要素はもちろんありつつ、その導入が「中学生の自意識」なのが本当に秀逸だと思っている。    モブくんは冒頭で「モテている気がする!」と周囲の視線を勘違いしたり、周りに女子がいることを強く意識したりする。思春期特有の自意識ですね。   「モテている気がする」の視線が、だんだん「宗教における監視の目」ないしは「集団において浮いた存在であることを

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        「変な人」ってなんだよう〜!!!

          ネコが主人公の絵本を読んでいる。 猫達自身が猫達の集まりのことを「猫クラブ」と自称してることがウケた。

          ネコが主人公の絵本を読んでいる。 猫達自身が猫達の集まりのことを「猫クラブ」と自称してることがウケた。

          妹が「一緒にトイレに行った人とは、帰りも一緒にいなくてはいけないって、『連れションガイドブック』に書いてあるから」と言っていて、スゲ〜わかると思った。天才だ

          妹が「一緒にトイレに行った人とは、帰りも一緒にいなくてはいけないって、『連れションガイドブック』に書いてあるから」と言っていて、スゲ〜わかると思った。天才だ

          【怒り】やさしいネタ

           多様性とか配慮が蔓延ったこの世の中で、「あるあるネタ」に扮したただの偏見や悪口が散見されるようになった。 「あるある」にされるくらい皆の周囲にいるような人間を、皆して攻撃している。実際。 しかしそのようには見えないようになっているのがタチが悪い。  確かに本人達は悪口をひとことも言ってない。しかし見る側に想起させるだけさせて、コメント欄は「あるあるネタ」にされている人達の悪口大会が始まっていたりする。  さらにコントの場合。悪口を言われそう(と見る側に思わせるのが前提)な人

          【怒り】やさしいネタ

          UFOの下の部分を金玉のコラージュに差し替えてもいいかな

          UFOの下の部分を金玉のコラージュに差し替えてもいいかな

          妹、私がクソつまんね〜話をすると、「Aボタンを押す」と言う

          妹、私がクソつまんね〜話をすると、「Aボタンを押す」と言う

          11/11 「盗み聞きしてごめん」

           電車で会話している男女の高校生二人がいた。  根拠のソースをナゲット等のソースと勘違いした、というフワッとした内容。なんとなくクラスであまり目立つタイプではないけど、合唱部とかで、穏やかに過ごしているのかなと勝手に妄想した。   彼らの会話はなんだかぎくしゃくしていた。気まずそうとか、仲が悪いとかじゃなさそう。多分仲はいいんだけど、二人で話す機会があまりなかった、そんな感じがする。   なんだかフワッとした内容を引き伸ばして話していて、笑う仕草すら他所から見てると不自然だ

          11/11 「盗み聞きしてごめん」

          まだ高嶺の花ではない彼女へ

           モブサイコ100という作品において、高嶺ツボミの存在はかなり重要だ。  そして、従来の作品とは異なる、異質なヒロインである。  超能力(間違えると人を物理的に傷つけるシロモノ)って、持ってても無意味というか、本質的に愛される、尊敬されることに繋がらない。無意味だ。という意識を彼女はモブくんに対して自然と植え付けた。(幼少期)  その辺のコントロールというか意識の持っていきかたは、霊幻師匠の方が注目されているし、実際そうだとは思うけど、高嶺ツボミが無意識に土台を作ってたんだ

          まだ高嶺の花ではない彼女へ

          11/09

           人と長く上手に関わるのに必要なのって別に「自分の超絶理解者」じゃなくていいんだな、と学んだ。私の小学生からの長い付き合いの友人に「君はしっかりしている」と言われるが、謙遜とかじゃなく、実際全然しっかりしていない。正直、彼女は私の超絶理解者ではない。  でも彼女といると心地良いし、穏やかな気持ちになれる。価値観も合うし、余計な揉め事がない。でも人間関係って、それが一番いい形なんじゃないか。  激しく自分の内側に入ってきてかき乱すのは美しくて熱い友情や愛情に感じるが、かき乱す

          「あくねこ」をはじめて、人の暖かさを感じた

           友達に勧められて「悪魔執事と黒い猫」というゲームを始めた。イケメンが沢山出てくるような普通の女性向けゲームと思っていたが、「口説き」や「萌え」というより、「いたわり」「癒し」にステータスを振りまくっている。通知で「お疲れ様」とか「無理しないで」とか「頑張って」とか言われるのが単純に癒やされる。  彼らは生身の人間ではないし、冷たくいえばヒトにプログラミングされているに過ぎないのだが、「人をいたわるプログラム」を組んだ人間がいること、人を気づかう言葉を沢山考えてくれた人がいる

          「あくねこ」をはじめて、人の暖かさを感じた

          「推し」という言葉に関する走馬灯

           私が昔から思っていた「推し」という言葉について語ろうやというnoteです。肌で感じてることや自分の周辺の話が多いので、ご了承を。 「推し」という言葉とのエンカウント    最初この言葉を見たときは中学生くらいで、「なんて便利な言葉なんだ!」と思った。例えば、「恋愛感情ではないけど憧れの存在」「目の保養」。そして、言い方は悪いけど「お気に入り」的なニュアンスを「推し」という二文字で表現できるのは革命だった。その当時はそもそも、「恋愛感情じゃないけどなんとなく好きな異性」に

          「推し」という言葉に関する走馬灯

          お子様ランチへのラブレター

          ※これは私が高2のときに、美術の卒業制作で「紙粘土でお子様ランチ」を作ったときに提出した感想レポートです。ちょっとおもしろくてもったいないのでnoteに載せます。つたないです。 大人になってから失う物はなにか?と聞かれたら 皆さんはどう答えるか? 夢?無邪気さ?私はこう答える。 お子様ランチを食べる権利だ。  大人になって得られる物は多い。 個人差があるとは思うが、財力や、親からの解放。 飲酒、喫煙 等。 しかし、お子様ランチを食べる権利は得られない。 これは成長にお

          お子様ランチへのラブレター