【愛着障害・うつ・AC】愛された記憶
コミュニケーションできないと、友情をはじめ仕事や人生全般に大きな損失をもたらすと痛感しています。
コミュ障だった私は、就職してからさまざまな困難に見舞われました。
会社は仕事をしに行くところで、仕事さえしていれば誰にも文句は言われないだろうと思っていました。
下を向いて一人黙々とやっていました。
報連相はしない、挨拶もろくにしない、口を真一文に結んで誰とも打ち解けない。
一日、誰とも話さなくても平気でした。
そんな私は上司からよく注意をされました。
「黙って仕事をしないで、みんなと仲間になること」
職場は人間関係だということが分からなかったのでした。
私がみんなと話せるように橋渡し役になろうとしてくれた先輩もいました。
いま振り返ると、繋がって来ようとしてくれた人たちを私が一方的に切り捨てていたことが分かります。
親とも親しく口を聞いたことの無いものですから、まったくコミュニケーションができない大人になり、社会に出てから苦労しました。
仲良くしようにも本音を言わないから、いつまで経っても関係は深まらないのでした。
子どもの頃、親しい人たちとこころの触れ合いを伴う感情のやりとりを経験してなかったから、私のコミュニケーションはまったく上辺だけのものでした。
そんなコミュ障の私が唯一、安心して話せる人がいました。
祖父です。
とても可愛がってくれ、よく面倒をみてくれました。
祖父は私にとって安全な人だったんです。
ですから、成人してからも祖父のような年配の男性にだけは警戒心なくリラックスして側にいることができました。
コミュニケーションがスムーズにできるには安心感があればこそ、なんでしょうね。
祖父は私が小学校一年のときに亡くなりましたが、成人するまで元気でいてくれたら私の人生ももう少し明るいものになっていたかもしれません。
いまでも祖父を思い出すたびに、こころに灯りがともります。
人は愛された記憶が多ければ多いほど世界への信頼になって、安心して世の中を渡っていけるのでしょう。
愛された記憶こそが幸せの礎になるのです。
子どもは愛情を注いでくれる大人に一人でも多く出会えるように、機能不全の核家族に閉じ込めないほうがいいように思います。
愛された子どもはコミュニケーションが上手くて関係づくりが上手な大人になるんでしょうね。
私も祖父の記憶を頼りに安心感をひろげて、コミュニケーションが楽々できるようになりたいものです。
安心感とコミュニケーションは、私の一生のテーマになりそうです。