薬と精神医学(3): 精神科薬の歴史〜近代向精神薬の誕生:抗うつ剤の歴史~アンフェタミンからSSRIまで~
皆様、こんにちは鹿冶梟介(かやほうすけ)です!
先週は新シリーズ「薬と精神医学」の第二回目として、「精神科薬の歴史〜近代向精神薬の誕生:医学三大奇跡の一つ"クロルプロマジン"爆誕!」をご紹介しました。
近代向精神薬"クロルプロマジン"誕生にまつわる激熱エピソードでしたが、今週もこの勢いに乗って「抗うつ剤の歴史」について解説したいと思います!
「なぜ2週続けて?」と早くも食傷気味のあなた!🫵
...なぜ小生が2週続けて「薬と精神医学」を執筆したか、その訳を知りたいですよね!?(<=押し売り気味)
これには二つの理由があります。
実は今回の記事と前回の記事は「薬と精神医学(2)」として一緒に投稿しようと思っていましたが、文字数がかなり増えたため2回に分けようと思ったのが一つ目の理由です。
二つ目の理由は、クロルプロマジンが爆誕する時期と抗うつ剤が誕生する時期がとても近いことから、時間を空けずに紹介したいと思ったからなのです(キリッ🧐)。
要するに時代背景などが類似してるため、解説するなら2週連続の方が記憶に残りやすい...と勝手に配慮した次第です。
...ということで、今週も「薬と精神医学」について皆様とマニアックな情報をシェアしたいと思います!
↓先週の記事です!
【第一世代抗うつ剤、アンフェタミン】
精神医学の革命ともいえる薬剤クロルプロマジンの誕生は今から約70年前の出来事でしたが、同じころに抗うつ剤が2種類も誕生しました。
(本当にすごい時代です!)
しかしクロルプロマジンや近代抗うつ剤の誕生より少し前に、うつ病の治療薬として用いられた薬剤がありました。
それは覚醒剤として知られている「アンフェタミン」です。
アンフェタミンの開発に実は日本人が関わっております。
1885年に薬学者の長井長義が麻黄から気管支拡張剤エフェドリンの抽出に成功します。
そして1887年にこのエフェドリンをベースにドイツでラザール・エデレアヌ(Lazăr Edeleanu)がアンフェタミンを合成します。
アンフェタミンは当初スミス・クライン&フレンチ社から「ベンゼドリン」という商品名で充血除去剤(鼻詰まりを治す薬)として上市されますが(1933年)、すぐに覚醒作用があることがわかり1942年には「軽症うつ病に有効」と宣伝されはじめます。
その効果は目を見張るものがあり、調子に乗ったスミス・クライン&フレンチ社は「the antidepressant of choice(選ぶならこの抗うつ剤)!」と謳って販売いたしました。
1950年にはスミス・クライン社はアモバルビタールと呼ばれるバルビツール系薬剤とアンフェタミンの合剤「デキサミル(Dexamyl)」を販売しますが、これはアンフェタミン単剤よりもより強い抗うつ作用を認めました。
しかし、ご存知のようにアンフェタミンは依存性が強く、乱用が社会問題になったため抗うつ薬としてファーストチョイスの座を他剤に奪われることになります*。
【第二世代抗うつ剤、MAO阻害剤と三環系抗うつ剤の登場!】
ここからは、実質的に「近代抗うつ薬の誕生」と言える薬剤についてご説明いたします!
前述のアンフェタミンは、確かに大麻やケシといった天然向精神薬とは異なり、人の手によって合成された薬です。
しかし、その作用はうつ病の治療というよりは精神を賦活させて無理やり底上げする"ドーピング"のようなものでした。
それにアンフェタミンは抗うつ作用はあるものの依存性が強く、多くの人を廃人に追い込む重篤な副作用もありました。
ところが、アンフェタミンが登場して間もなく、現代でも使われている2種類の抗うつ剤が誕生いたします。
このパートでは、その新しい抗うつ薬2剤の誕生にまつわる物語をご紹介します。
<第二次世界大戦の置き土産>
時は第二次世界大戦から数年…。
大戦後、食料を含むさまざまな物資が不足する一方、武器や弾薬は余剰状態となり、貯蔵庫を無駄に占拠しました。
V2ロケットの燃料の成分ヒドラジンもそのひとつでした。
この"潤沢"なヒドラジンを多くの科学者たちが活用し、様々な化合物を作りはじめます。
その中にイソニアジドとイプロニアジドがありました。
1952年イソニアジドおよびイプロニアジドに抗結核作用があるとわかると、多くの結核患者に投与されるようになります。
しかし驚くべきことに、これらの薬を用いた治療を受けた患者に、ある「副作用」が現れました。
ニュージャージーのパターソンクリニックに勤務していたIrving Selikoff(アーヴィング・セリコフ)は、米国医学会雑誌JAMAに"イプロニアジドが引き起こす「多幸感」"を報告し、当初この副作用は薬物の毒性の一つと考えられました(ちなみにセリコフは抗結核薬の開発への貢献が評価されラスカー賞を受賞したそうです)。
またセリコフに同調した精神科医のGorge E Crane(ジョージ・E・クレイン)も、この多幸感を「問題のある副作用」と述べ、イプロニアジドは”問題あり”な抗結核剤というイメージが広まります。
しかし、この考えに疑問をもつ一人の男がおりました。
それは精神科医のNathan S Klineは(ネーサン・S・クライン)です。
クラインは、「多幸感」という副作用をうつ病の治療に応用できないかと考えたのです。
そして、1956年にイプロニアジドをうつ病患者に投与し、抗うつ効果を確認しました。
翌年、クラインらはニューヨーク州立大学で行われた学会でこの結果を報告し、同年、「Psychiatric Research Reports」という雑誌にその成果を発表しました。
後に判明したことですが、イプロニアジドはモノアミン酸化酵素阻害剤(MAOI)であり、この作用については1952年にバーゼル大学のエルンスト・アルベルト・ツェラー(Ernst Albert Zeller)がすでに生化学的に証明していました(ただし、この証明はあくまで実験室レベルにとどまっていました)。
イプロニアジドは肝機能障害を引き起こすため、最終的には臨床での使用が中止されましたが、その後、多くのMAO阻害剤が開発されました。
さらに、MAO阻害が抗うつ作用を持つという発見は、うつ病の病態にモノアミン(セロトニンやドパミン)が関与しているという「モノアミン仮説」の誕生へとつながったのです。
<ローランド・クーンの不屈の精神!>
クロルプロマジン(先週のnote記事をご参照ください)が開発された後、スイスの製薬会社ガイギー社は「二匹目のドジョウ」を狙い、統合失調症治療薬としてフェノチアジン系薬剤から様々な化合物を生成しました。
その中に開発コード"G22355"という薬剤がありました。
ガイギー社は、この薬がクロルプロマジンと同等の抗精神病作用を持つと信じ、G22355の統合失調症への試験投与を多くの精神科医に依頼しました。
その中に、スイスの精神医学者Roland Kuhn(ローランド・クーン)がいました。
当時ガイギー社が提示した実験プロトコールは以下の通りです。
300人以上の患者を対象に試験が行われましたが、G22355に切り替えた患者の多くが症状を悪化させました。
中には、病院を脱走する者、大声で歌いながら自転車を乗り回す者まで現れる事態に…。
この結果を受け、ガイギー社は実験の中止を決断しましたが、クーンの見解は違っていました。
クロルプロマジンと明らかに違う薬効を感じたクーンは、G22355はむしろ精神を賦活させる作用をもつ"陶酔薬"と考えたのです。
この直感に基づきクーンが実験対象としたのは統合失調症ではなく、重度の鬱病患者(生気的うつ病)でした。
1955年から、約100名のうつ病患者に対してG22355の投与実験を行った結果、抗うつ効果が確認されました。
クーンとともに働いていた看護師のアンナ・ケラー(Anna Keller)によると、実験開始から6日後、患者の表情や振る舞い、全体の様子から「うつ病が完全に寛解した」と感じたそうです。
G22355…、後に”イミプラミン”とよばれる物質の抗うつ効果が誕生した瞬間でした。
しかし、現実は甘くありませんでした。
クーンは意気揚々と第2回世界精神医学会でイミプラミンの効果を発表しましたが、聴衆はわずか12名…。
当時の精神科医たちは、イミプラミンの重要性にほとんど関心を示しませんでした。
しかし、クーンは諦めませんでした。
その後、症例数を増やし3年間でイミプラミンにより500名以上の患者をイミプラミンで治療しました。
詳細な観察の結果、クーンはイミプラミンの特徴を以下のようにまとめました。
1957年、イミプラミンはトフラニール®という商品名で上市されますが、販売元のガイギー社はそれほど売れるとは思っていなかったそうです。
ところが、運命の転機が訪れます。
1958年、ガイギー社主催の第1回国際神経薬理学会が予定されていましたが、当初クーンの名前は講演者リストにありませんでした
しかし、どうしてもイミプラミンの効果を広めたいと考えたクーンは、ガイギー社のオーナーであるロベルト・ベーリンガー(Robert Boehringer)に直接交渉しました!
クーンの直談判後、家族にうつ病患者がいたベーリンガーはイミプラミンをこっそり持ち帰り、藁にもすがる思いでその家族に投与してみました...。
投与から1週間後、家族の回復を目の当たりにしたベーリンガーは、このことを会社の首脳陣に報告し、クーンの提案を受け入れイミプラミンを世界中で販売することを決定します。
イミプラミンの販売は成功を収め、多くの製薬会社が類似の抗うつ剤の開発に乗り出しました
その結果、三環系抗うつ剤だけでなく、より副作用の少ない四環系抗うつ剤(mianserin、maprotiline)も開発されました。
こうしてローランド・クーンの不屈の精神が新規抗うつ剤を誕生させたのです!
【第三世代抗うつ剤、SSRIの登場!】
第一世代のアンフェタミン、第二世代のMAO阻害剤および三環系抗うつ薬の誕生について解説してきましたが、最後のご紹介するのは現在のうつ病治療薬のファーストチョイスであるSSRIの誕生についてご説明いたします。
SSRIとは選択的セロトニン再取り込み阻害剤(Selective Serotonin Reuptake Inhibitor)の略語であり、シナプスに放出されたセロトニンが再び細胞内に回収されることを防ぐことによりシナプス間隙のセロトニン濃度を高め抗うつ効果を発揮する...という薬理作用を持っています(図1)。
SSRIが開発された経緯としては1967年、うつ病による自殺症例ではセロトニン濃度が低下するという研究報告があり、この結果を踏まえ製薬会社Eli Lilly社がシナプス間隙のセロトニン濃度を高める薬剤の開発に着手いたします。
その結果1974年に記念すべき世界初のSSRIであるLY110140が開発されます。
同剤はのちに「フルオキセチン」と呼ばれるようになります。
フルオキサチンは1987年にFDAに承認されると、翌年の1988年にはプロザック®という商標名で上市されます。
しかし、開発から発売まで何と14年も経過しており、その間にAstraAB社が別のSSRIであるジメルジン(Zelmid)を1982年に発売いたします...。
何とも可哀そうな話なのですが、実はここからがちょっと面白いことになります。
急いで開発・臨床試験を行ったジメルジンですが、発売後に筋肉痛、頭痛、肝機能障害、ギランバレー症候群など重篤な副作用が相次いだため、上市からわずか1年で欧州市場から撤退します。
一方のフルオキセチンは臨床試験を7年以上も費やし、効果や副作用を十分確認した上で販売されたのです。
ジメルジンとフルオキセチンを見比べると、なんだかウサギと亀のエピソードみたいですね。
【鹿冶の考察】
今回の記事、いかがだったでしょうか?
今回は抗うつ剤の歴史について紹介いたしましたが、かなりマニアックな内容でしたね。
本当はSNRIや最近のSSRIについても解説しようと思っておりましたが、調べてみてもあまり面白いエピソードがないため割愛しました😅
「もう少し初学者向けに」というコンセプトで本シリーズをはじめましたが、やっぱりドラマチックな話のほうが頭に残りやすいですよね!
最近の抗うつ剤等については歴史ではなく、また別の形でご紹介したいと思います。
<本シリーズの今後>
シリーズ「薬と精神医学」ですが、実は小生の大好物&得意分野であります!
その理由は小生の大学院時代の専門が生物精神医学〜バイオロジーであったこともありますが、大学生時代から薬理学系の話は大好きでその手の本を読み漁っていたことにあります。
この知識を皆様とシェアしたいと常々思っておりましたが、読み返してみるとやっぱり実臨床では役に立たない内容が大半ですね...😖
...ということで、「初学者向け」「教科書的」と謳いながらもやっぱりマニアック路線で攻めたいと思っている今日この頃です(やっぱり小生は教師には向いてないかもしれないですね...)😅
【まとめ】
【参考文献】
1.A brief history of the development of antidepressant drugs: From monoamines to glutamate. Hillhouse TM and Porter JH, Exp Clin Psychopharmacol, 2016
2.精神医学歴史辞典. エドワード・ショーター. みすず書房, 2016
3.抗うつ薬の時代. デーヴィッド・ヒーリー. 星和書店, 2004
4.ヒーリー精神科治療薬ガイド. デーヴィッド・ヒーリー.みすず書房, 2009
5.Nathan S. Kline: wikipedia
6.Roland Kuhn: wikipedia
7.Zemelidine: wikipedia