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自分には自信がないと、自信をなくす前に

 自らの判断に自信を持てない者に未来は描けないが、自らの未来への歩み方を決めるのもまた、自分である。自信がなくとも、曖昧でも、迷っていても、自分が生きていることを証明できるのは自分自身だけであり、実感できるのも自分だけだ。
 そう思えなければ、歩む人生というのはひどくつまらない。自信がないことはまだ良いけれど、自信がないことに無自覚なのは取り返しがつかない。誰かの言葉に背中を押されて、谷底へ落ちてしまうのは生を実感していないからこそ起こる。
 少なくとも自分は「このように生きているのだ」と自らに言えるのならば、いくら甘い他人の言葉であろうとも、自分ごとにしてから考えられる。そうしてはじめて、自信とか、自我とか、そういう話になるのである。

 自らの判断に自信を持てない者に未来は歩めない。しかしその自信とやらは、他人に決めてもらうことなどできないものだ。何が自らを奮い立たせ、何を目的とし、何に喜べるのか、そしてそのために何をすべきか。
 そういったことを「自らのもの」だと思えないほどまでに、人の自我は弱くはない。見つめるだけでいい。自信がないのなら、外の基準ではなく内の願望をこそ、実感すべきである。それは必ず存在するから。

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