真ん中にいたいのならばお覚悟を
意見、思想、考え、表明、支持…それらにおいて真ん中にいようとするのなら、全力を傾けるべきだ。中途半端な気持ちで、しかし真ん中にいることがいいような気がするという程度の、いわば自己保身でしかない考えによる「真ん中」に意味はない。
その真ん中は幻想だ。そこにいる限り、あなたは偏った者の攻撃に耐えられるはずがない。真ん中からはすぐに追い出されてしまう。そしてそのことによって、あなたの真ん中はそうではなかったことが白日のもとにさらされ、2度とその中途半端な自己満足はできなくなる。
真ん中とはある意味、最も難しい立場である。
そのことを知らなかったり、知ろうとしなかったり、理解が及ばない内は、真ん中にこだわるのをやめるべきだ。どうあれそれは中途半端になる。真ん中にいることは、メリットでもデメリットでもない。道徳的でも不道徳的でもない。それが無条件にいいことだと思うのならば、あなたは真ん中に向いていない。
真ん中とは、どちらでもないということではなく、もちろん、どちらでもあるということでもない。真ん中という立場の曖昧さは、態度の曖昧さに似ていると思われがちだ。どちらかに決められないから、どちらにも寄らないということと、真ん中にいようとすることは違うのに。
真ん中にいるには「私は真ん中にいるのだ」という確固たる信念が不可欠である。なんとなくでそこにいられるほど、真ん中は甘いものではない。そのような動機ならばむしろ、どちらかに偏った立場にいるほうがずっと楽で賢い。そして誠実だ。なぜなら人は普通、真ん中になどいられないからである。あらゆるジャンルにおいて、それぞれの立つ位置というものがある。人生によって。経験や認知によって。そうして多様な社会が作られており、回っている。
そのことを思うと、真ん中とはいかに浮世離れしているかがわかるだろう。それはある種の理想であり、ファンタジーであり、はぐらかしだ。
そう思われる立場として、真ん中はある。だからそこに居続けようと一度でもするのなら、相応の覚悟と理由と意味を持たねばならない。
真ん中の立場、意見、考え…それらには全力でなければいられない。持てない。言えない。ただなんとなくでは、そうしてはだめだ。真ん中という無害そうなイメージを信じずに、きちんと真ん中であることの真実を自らの中で固めた者のみ、真ん中にいることが正しい立場となる。
それ以外のいかなる中途半端も、真ん中は許さない。だから真ん中とは、偏るよりもずっとずっと、難しい。
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