『夢見通りの人々』宮本輝著(新潮文庫):図書館司書の読書感想
夢見通りという美しい名前に似つかわしくない、生々しい生活を送る住民たちの場面場面を切り取りまとめた連作短編小説集。
激しい夫婦喧嘩を繰り広げる中華料理屋夫妻や、物を盗まずにおれない時計屋の息子、若く綺麗な男を使用人に雇い、自分のものとしようとするスナックの女主人などなど、一癖も二癖もある人々の中にあって、特に注目したいのは、元やくざの肉屋と、平々凡々な生活を送る詩人志望の三十男。
昔悪いことをした人が改心し、真面目に働くようになると、普通の人が普通に真面目に働くよりも偉く見えてしまう。
元やくざの肉屋についても、それが言える。
彼は、女性を拉致し、乱暴したかどで三年間刑務所に入り、その後背中から肘にかけて刺青を彫り込んだ本物のやくざになってしまう。
そんな彼が、美容師見習いの女性から、「刺青を取って下さい」と言われる。
取ってくれたら結婚も考える、と。
そこで彼は、その身から刺青を無くし、彼女と結ばれることを夢見るようになる。
一方の平凡な勤め人である三十男の彼が恋した女性は、その美容師見習いの彼女だった。
彼は、元やくざの肉屋から刺青を取る方法はないかと相談され、また、美容師の女性が元やくざに心を傾けさせつつあるのを知り、眩暈を感じる。
更に、彼は男色家であるカメラ屋の主人と語らった後、一人物思いに耽り、一つの決断をする。
それまでに、詩集出版のために貯めたお金を、離れて暮らしていた母と共に暮らすために使おうと決めたのだ。
彼の夢はここで終わる。
夢に向かう元やくざの肉屋と、夢を捨てた平凡な三十男。
一時的に心を強く打つのは、元やくざの真人間になりたいという夢。
その後、しみじみと心に残響として感じられてくるのは、三十男の夢からの卒業。
夢見通りには、この二人以外に濃厚な人生を送る人々はいる。
けれど、私の頭には彼ら二人の生き様が、夢に向かう人、夢から旅立つ人という対比される形で、最も強く印象に残った。