読書記録「おいしいごはんが食べられますように」
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今回読んだのは、高瀬隼子さんの「おいしいごはんが食べられますように」講談社 (2022) です!
・あらすじ
一日三食カップ麺だけ食べて、健康に生きれれば良いのに。食事なんてただでさえ面倒くさいのに、腹が満たせれば、何を食ったっていいではないか。
わざわざ時間を掛けてまで、「美味しいご飯」なるものを食べねばならない理屈が、二谷にはわからなかった。
二谷は同じ支店に勤める芦川さんと付き合っている。週末などは彼女が夕飯を作ってくれることもあるが、正直うざったい。
なぜ彼女が作ったものを、当たり前のように「美味しい」と言わねばならないのだろうか。
それよりかは、同じ営業部の後輩 押尾さんと飲みに行くほうが気が楽である。話も合う気がするし、何よりお互い、芦川さんが苦手である。
押尾にとって芦川さんは1年先輩ではあるが、尊敬できる人ではない。社員のくせにパートタイマーと同じ時間に帰宅するし、片頭痛がするから早退するなど、正直言って嫌いである。
なのに支店の人たちは、芦川さんを守ってあげねばならないという風潮なのも嫌だった。
なぜ仕事ができない人が守られて、その穴埋めを頑張らざるを得ない人が、つらい思いをしなければならないのかと。
本当、人間関係ってままならないよなってのを描く物語。
たまには話題作が読みたい気分。何度か読書会でも話題に上がっていたのを、この度紐解いた次第。
食事なんて腹が満たせればなんでいいだろうって考え方を読んだ時、ふと村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を思い出した。彼女は食事のことをエサと捉えていたし。
子どもの頃から、19時に家族揃って食事を取る川口家。レトルトがあまり好きでない祖母の影響もあってか、作りたてのご飯が並ぶのが我が家では普通だった。
一人暮らしを始めてからは、流石にレトルトや惣菜も多いけれども、やっぱり自分で調理して、できたてのご飯を食べるほうが美味しいと思うタイプ。むしろカップ麺はたまに食べたくなる贅沢品。
ゆえに、二谷の考え方がそこまで共感できなかった。何だかんだ言っても、美味しいもの食べたいじゃんってのが先行する。
でもそれも、まともな時間に帰宅して、家に帰っても食事を作る余裕があるからなんだと思う。
もし私が終電ギリギリまで仕事して、休日出勤も当たり前の状況だとしたら、流石にカップ麺やコンビニのおにぎりだけで済まそうと思うかもしれない。
それだって、たまには温かい味噌汁とか飲みたくなるし、何だかんだレンチンやカップ麺以外のご飯を食べたいって思うんじゃないかなぁ。ここまで極端には、流石にならないと私は思う。
そう言えば会社にも、今年は仕事しながら、きちんと料理もできるようになると語っていた人がいた。遅くまで仕事が忙しくなれば、飯作る余裕もなくなるのだろう。
それを踏まえると、飯食う時間があるなら、少しでも残って仕事しろやって考える人もいるかもしれない。んな時間があるなら、アポでも取ってこいやって。
食事も同じ。向き合い方、考え方は様々である。
仕事しながら食事を済ます人もいれば、わざわざ外行ってランチを取る人もいる。だとしたら、腹が満たせればなんでも良いという人も、私が知らないだけで、少なくはないのかもしれない。
みんなで食べるのが良いと思う人もいれば、一人で済ます方が楽だと思う人もいる。ちなみに私は後者。ランチミーティングとか午後の仕事に支障が出る。眠くて。
あと会社の研修終わりとか、みんなで飯食いにいくって流れも嫌。当たり前のように、団体行動を強いられるあの空気感ね。
あ、なるほど。でもその一方で、常時誰かとつるんでいる方が良いと考える人もいる。そう言うことなんだろうな。
会社という組織で生きる以上、時には妥協せねばならないときもあるのよね。それがじれったいときもあるけれどもさ…。
そんなじれったさを、人間関係のままならなさを、誰しも抱えているんだろうな。うん。それではまた次回!