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本は買うだけでも良いのです。
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
1冊読み終わる頃には、3冊欲しい本が増えている自称読書家。部屋の積読を解消できるビジョンが、見えていないでいる。
床置きの本は自然繁殖するわ、古本屋さんで割引券を貰うわ。単純な話、買わなきゃ済む話なのに、つい書店を訪れてしまう。
そんな矢先、かの大先生 京極夏彦さんは、「本は、買うだけでもいい」とコメントする記事を見つけた次第。
読まない本を持つのは時間や空間のムダだという論がありますが、とんでもない話です。本は、買うだけでいい。読もうが読むまいが、いいと思った本を手元に置いておくだけで人生は豊かになります。
本というものは、読まずともすでにその役割を果たしている。
その本を入手している、手元にある、いつでも紐解けるという心理的余裕は、本好きならば誰しも思う効用であろう。
そりゃ買ったからには早く読んだ方が良いかもしれない。紐解いてこそ価値があるのは大前提あるにせよ、本が部屋にあること自体が「豊かさ」につながるのだ。
また、積読をいつの日か解消しようと思えるだけでも、日々の生活にメリハリを与える。
題名を読んで中身を想像すれば感情は動く。「いつか読もう」と思えば、目も頭も大切にして、長生きしようと努力するかもしれないじゃないですか。
神保町の澤口書店で大人買いしてしまった、プルーストの「失われた時を求めて」然り。
新橋駅前の古本市にて、森見登美彦さんの「熱帯」を読んだ影響でつい買ってしまったバートン版「千夜一夜物語」然り。
今すぐ読めずとも、いつの日か全て読み終えたいと待っている本がいくつもある。その日のために、頭も目も健康でありたい。
なお、鈍器本とも揶揄されるほど長い作品を書く京極夏彦さん自らも、本の取り扱いに関してユーモラスな回答をしている。
僕の著作には「読み切れない」と思われそうな分厚い本もありますが、ご心配なく。枕にも踏み台にもなるし、読むだけで筋トレになります(笑)
つまるところ、本は「読む」以外にも様々な用途があって良いのである。
それこそ筋トレのダンベル代わりに使おうとも、(著者が認めるならば)構わないのだ。
だから私は積読を増やす。京極夏彦先生の有難いお言葉に従って。それではまた次回!
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