湯豆腐の流儀
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
秋も深まり「霜降」の時分。断熱性の低い賃貸のアパートは、早速お布団から出るのが億劫になる。
先日、神保町で一人お酒を飲んでいたら、隣の方が「湯豆腐」を注文されていた。
そうね、もうおでんやお鍋を美味しく食べられる季節よねと、その時は頼まなかったけれども、やはり湯豆腐が頭から離れず。
そんなわけで、「今日の晩酌は湯豆腐にしよう」と、朝から張り切って仕事をしていた。
とは言うものの、湯豆腐というものは、ただ単に豆腐を鍋に入れて火にかければいいというわけではない。
優れた芸術家であり、美食家でもあった北大路魯山人は、湯豆腐に関して趣深い作品を残している。
美味い湯豆腐を食べるには、まず美味い豆腐を選ぶこと。
スーパーの1丁70円の豆腐が悪いわけではないが、美味い湯豆腐を食べるには、食材から美味いものを選ぶのは基本中の基本である。
できれば、昔ながらのお豆腐屋さんで豆腐を買いたいものであるが、残念ながら、仕事終わりに開いている豆腐屋はなく、百貨店地下の食品売り場へ向かう。
ではそもそも、何を基準に「美味い豆腐」とやらを買えば良いだろうか。
当時の時代背景などもあるが、魯山人曰く、京都の豆腐が絶品なのだという。
確かに、京都一人旅で訪れたグルメシティ北山店にて、1丁数十円の豆腐と並んで、おこしやすという顔で京豆腐が並んでいた。
それを宿泊先で冷奴にして食べた時、やはり京都の豆腐は一味違うなと、分かったようなこと言ったことを覚えている。
無論、洛中の人が全員、毎日京豆腐を食べているわけではないだろうけれども、こんな美味い豆腐がいつでもどこでも買えるのも、京都の良いところである。
そんなこんな、京都の豆腐を買おうと意気込んでいたのだが、残念ながら京都の豆腐は仕入れていないそうだ。
もっとも、京都から東京までくしゃみをすれば届く距離とは言え、運搬する間に味も落ちてしまうだろう。やはり京都の豆腐は京都で食べるに限ると言うべきか。
代わりに、埼玉で有名らしいお豆腐を買って帰った(埼玉県の民として、誇らしいことではあるのだけれども)。
さて、肝心な湯豆腐である。
前出の「美味い豆腐の話」によると、豆腐以外にも、土鍋・杉箸・だし昆布・薬味・しょうゆが必要である。
土鍋なんてないです。一人暮らしの賃貸アパートはクッキングヒーターゆえに、そもそも土鍋を使う機会がない(IH対応の土鍋もあるそうだが)。
杉箸、、、は百均の菜箸ではだめだろうか?
とは言え、薬味やだし昆布はなんとかなる。上質とは言えないが、醤油もある。嘘、醤油ではなくポン酢である。
いよいよ、湯豆腐を作るとき。だが早まってはいけない。
腹が減っているとは言え、一度にたくさん豆腐を入れてはならぬ。
腹を満たすためならば、豆腐やタラなどを大量に火にかけてしまえばよろしい。
例えば、食べ放題のしゃぶしゃぶみたいに、しゃぶしゃぶするのが面倒くさくなって後半鍋にしてしまう人は多いだろう。
しかし、しゃぶしゃぶ屋に来たからには、最初から最期までしゃぶしゃぶで行くのが流儀ってものであろう。
だから私も魯山人と同じく、湯豆腐というものを、ゆっくり味わうことにする。
いい感じの煮え加減。たまたま(本当に偶然)百貨店で購入したカップの日本酒とともに、熱々の湯豆腐を頂く。
うま~い (*´∇`*)
湯豆腐と日本酒で一人晩酌する至福の時間。これを幸せと呼ばずして何と呼ぶ…。
振り返ってみれば、北大路魯山人の語っていたことの、半分も出来ていないものである。
豆腐屋の豆腐でもなければ、京都の豆腐でもなく。土鍋もなければ、上質な醤油もない。
しかし、誰よりも、湯豆腐が出来上がる時間そのものを味わっているのは事実である。
たまたま帰り道の牛丼屋にて、「タイパが求められる時代に!モバイルオーダー導入!」とデカデカと広告が付けられていた。
中には、「家に帰ったら1時間以内に寝たい」という人もいる。風呂入って、歯を磨いたら、飯を食う余裕なく1時間が過ぎてしまうのではないかと思ったほど。
タイパ(タイムパフォーマンス)やら生産性が求められる時代、早くエネルギー補給する方が好まれるかもしれない。
だけど、それだけだと味気無いではないか。
ムダを楽しむのも「贅沢」の1つである。
毎日とはいかなくても、週に1度くらい、いやせめて月に1度くらい、食事を楽しむ余裕ってものを持っても良いかもしれぬ。
それが豆腐を火にかけただけの、「湯豆腐」だとしてもね。それではまた次回!