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noteを書き続ける心得

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

仕事終わりは、会社の図書スペースにてnoteを執筆するのが習慣。

何だかんだ昨日の投稿で666日目。ヨハネの黙示録だと「悪魔の数字」らしいが、気にせず(飽きもせず)書き続けている。

まぁ連続投稿が4桁に到達している方と比べたらまだまだだけど、何だかんだ1000日連続投稿もあと1年くらいと思うと感慨深い。

先日、会社の先輩もnoteをはじめたらしく、かれこれ2ヶ月近く書き続けたと伺った(かたくなに記事は見せてくれなかったが)。

だけど、2ヶ月(50日)くらい書き続けて、急に書けなくなったらしい。どうしても、誰かが読んでいると思うと、ちゃんとしたことを書かねばと思ってしまったと。

確かに、インキュベートの法則からして、何事も習慣化するには21日(3週間)は必要とされるらしい。

実際、私自身も最初の3週間を越えるまでが結構辛かったけれども、それを越えると、結構安定して書けるようになっている。

ただ、書き続けること自体は、習慣化してしまえば問題ないけれども、50日くらいを過ぎると、別の問題が襲いかかる。

それは、「記事を書くからには、読者にメリット・価値のある文章を書くべきではないか」という点である。

最初の時点では、とにかく書くことが目的であって、誰かに読まれると言う意識は少なかったはず。

でも、何人かフォロワーやスキが増えて、図らずも次の記事を楽しみにしてくれる人がいると思うと、「書くからには何か良いことを書きたい」という気持ちが湧いてしまう。

そうなると、困ったことに、こんなことを書いても、読む価値がないと思ってしまう。書き続ける意味や価値すら見失う。

私自身も、最初は何人かの友達と一緒に更新していた。みんなで100日投稿を目指そうと励まし合った。

けれども、同じく50日くらいで投稿が途切れた人が出て、将棋倒しのようにみんな連続投稿をやめてしまった。

まぁ私の場合は「暇だから(他にすることがないから)」続いたのもある。仕事とかで忙しい友人たちと比べて、書くことくらいしかすることがないから続いたのもある。

そんな事言っても、まぁ666日も欠かさず書き続けているのだから、それなりに継続力はあるかもしれない。

それで、いよいよ本題になるけれども、最近ようやくnoteを書き続ける心得として、1つ気づいたことがある。

それは、誰も良い教訓や何か学ぼうとして、私の記事を読んでいないことだ。

なぜなら、所詮私はただの自称読書家であって、書店に本が並んだことも、マスメディアに登場したことのない、誇れる実績もない、ただの(善良な)一般人だからだ。

だって最近伸びた記事は、独り暮らしの成人男性がパスタ茹でるだけの記事とか、連休初日に園芸センターでお花を買った記事よ(笑)

ちなみに、自分でも読み返して面白い記事を書いたなって思うのは、大抵お酒を飲んでほろ酔い状態の時。

お酒飲んだ方が肩の力が抜けて、ダーツが上手くなるのと似た感覚。感覚的になった方が、おもろい記事が書ける気がする。

本当に何かを学びたくてnoteを読んでいるならば、私の記事よりももっと有益な情報や権威性のある方の記事を読むだろう。

つまるところ、私は私の記事を書くように、あなたもあなたの記事を書くことだ。

かつて見た「水曜日どうでしょう」の再放送にて、藤村さんが言っていたように「コンセプト "誰も見てない"」で良いのだ。

あなたの着飾らない文章を読みたくて 、みんな記事を楽しみにしているのだから。

さて、今日の記事はどっちでしょう。それではまた次回!

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川口 竜也 / 川口市出身の自称読書家
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