読書記録「舞姫」(川端康成)
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今回読んだのは、川端康成の「舞姫」新潮社 (1951)です!
・あらすじ
波子は恐れていた。竹原との逢引きを夫の矢木に見つかるのではないかと。
波子は戦前からバレエを始めており、娘の品子にも習わせている。だが戦争で踊りどころではなく、舞台の夢を諦めていた。
竹原も既に結婚していたが、波子を諦めきれていなかった。戦争で焼けた母屋を改築してバレエ教室を起こそうか悩んでいる波子を、資金的に、精神的にも支えようとしていた。
終戦で過去の当たり前が徐々に変わりつつあるこのご時世。だが、波子が矢木を選び、竹原が他の女性と結婚してから、あまりにも歳月が経ちすぎていた。
そんなある日、京都にいたはずの矢木が急に東京に戻ってくる。矢木は仏教に関して造詣が深く、中でも観音のような「美女仏」の研究をしていた。
波子が竹原と逢引きしていたのがほんの数日前。不吉な予感を感じながらも、また家族揃っての生活が始まる。
矢木と別れる決心の着かない波子、20年も"傷つけられた"と語る矢木、そんな両親を見守る娘 品子と息子 高男。
敗戦後、徐々に崩壊過程をたどる日本の"家"と、無気力な現代人の悲劇とを描きだして異様な現実感をもつ作品(巻末より)。
先日読了した太宰治の「斜陽」のように、敗戦後の人々を描く作品であったが、共通して思ったのは、戦前と戦後で当たり前と思っていたものが変わったことである。
作中でも、「戦争さえなければ」と漏らす場面は多い。「戦争さえなければ、今ごろ海外のバレエ教室に行っていたかも」、波子は矢木に対して疑心暗鬼にいなることもなかっただろう、と。
私自身戦争を体験したことがないし、歴史に詳しいわけではない。当時の人達が何を考えていたかはわからない。
だが、「斜陽」にもあったように、古い道徳が失われつつあったのかもしれない。
それは、新しい価値観や考え方を生み出すことでもあるのだが、その時流に乗ることができず、徐々に崩れ落ちるのを止めることができなかった人たちが大勢いたのだろう。
物語の後半、「仏界、入り易く、魔界、入り難し」という言葉が出てくる。善人は仏界に入り、悪人は魔界に入る(だから魔界に入るのは難しい)や、南無阿弥陀仏を唱えれば誰でも仏界に入れると様々な解釈がある。
物事には必ず裏表がある。光があれば影があるように。世界は陰と陽で成り立つという話も聞いたことがある。生きる世界が陽ならば、死後の世界は陰であるなど。
娘の品子は矢木に対して、「この魔界は、人間の世界のことか」と尋ねる。何をもって、父はこの言葉をいつも眺めているのか、と。
悲しみを感じない世界が魔界であるならば、矢木は魔界を選ぶという。でもそれは、喜びや幸せを感じることのない世界でもある。
そこから思うに、矢木には現世に対する未練や、家族に対する愛情というものを失っていたのだろう。
そのような無気力さが蔓延している世の中だったのかもしれない。
誰か解説求む。それではまた次回!