読書記録「ロボット・イン・ザ・ガーデン」
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今回読んだのは、デボラ・インストール 松原葉子訳「ロボット・イン・ザ・ガーデン」小学館 (2016) です!
・あらすじ
その旧式のロボットは、いつの間にかうちの庭にいた。
高さ130センチ弱、金属製の四角い胴体と頭、手足は排水ホースのようなもので構成されている。まるで図工の工作作品のようなロボットだ。
もっとも、一家に一台アンドロイドが家事を手伝っている現代において、動くロボットなど珍しくもなんともない。
ただ見た目があまりにも「レトロ」過ぎて、目を引くけれども。
それはさておき、どうしてロボットがうちの庭にいるのか、それが分からない。妻は「早く粗大ゴミとして捨ててしまって」と言う。
なんと厄介なことか。ただでさえ両親を失ったショックから立ち直れていないのに(6年前のことだが)、すでに妻は僕に愛想を尽かしている。
名前を聞くと、「アクリッド・タング」と答える。しかしどこから来たのか、どうしてここに来たのかを聞いても、要領を得ない。
だけど僕(ベン・チェンバース)は、どうしてかこのロボットに愛着を感じてしまう。アンドロイドとは違う、特別な何かがある。
少しづつ話をしている内に、内部のシリンダーに傷が入っていることに気づく。これが破損したら、タングは「止まる」のだと。
僕はタングを修理してやらねばと思い立ち、バックパックを背負い、のちに地球を半周することになる旅に出たのだ。
以前noterさんの読書記録を拝見した際に、「そう言えば気になっていたけれども、読んでいなかった1冊」として紐解いた次第。
まるで幼い子どものように振る舞うタングの愛くるしさ、全身で喜びや悲しみを表現する姿に、思わず頬が緩んでしまう。
とは言え、物語ではすでに高性能アンドロイドが、家事や仕事をしている近未来。
それゆえに、「役に立たない」ロボットは蔑ろにされていた。
ふと以前紐解いた、LOVOT 開発者の林 要さんの「温かいテクノロジー」ライツ社を思い出した。
LOVOTは利便性を追求したロボットではない。皿洗いもしないし、自動翻訳機能もない(LOVOT特有の言語を喋るらしい)。
ただ家族の一員のように、慈しみや癒やしの対象として存在する。それ自体がLOVOTの役割であり、価値なのだと。
タングにもそんな価値を感じる。飛行機ではプレミアムに乗りたがるし、金属製なのにダイビングがしたいと駄々をこねる頑固なところはあっても、どこか「守ってやらねば」と思うような慈しみを感じるのだ。
機械やAIは感情を持たないかもしれない。
映画「ベイマックス」では、「君は大きなマシュマロみたいだね」というヒロに対して、「私はロボット。感情を害したりしません」と言うように。
感情あると思っているのはいつだって人間側の解釈であり、実際に作中に登場するアンドロイドには、感情を持つものはいない。
それは人間の複雑な感情を表現することが技術的に困難というのもあるが、意図的にそう設定しているかもしれない。
ベンは世界中を旅していく中で、タングやロボットに対して様々な価値観を持っていることを知る。
タングのことを貨物に乗せる荷物と思う人もいれば、「カワイイ!」と言って写真を撮りたがる人もいる。
どちらかと言えば、機械やAIに対しても、後者のような捉え方をしたい。
手短なケースだと、動作が重たいパソコンに対して「頑張れ〜」という感じにね。それではまた次回!