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『すべて真夜中の恋人たち』(川上未映子)を語りたい
長めの帰省中で仕事がてら図書館に行く機会が増え、気になった本を何冊か借りてみた。その1冊が川上未映子さんの小説『すべて真夜中の恋人たち』だった。
ちなみに私は恥ずかしながら川上未映子さんの作品を読んだのは初めてで、他の作品についても詳しくは知らない。
念の為簡単なあらすじを述べると、フリーランス校閲者の主人公・34歳の冬子は人と関わるのが苦手で、友達は取引相手で性格が正反対の聖だけ。そんな中、50代の男性・三束さんと出会い、心惹かれていくというお話。
最初の印象は、読みやすいのか読みにくいのか判断が難しい文章だなと感じた。あくまで印象だがところどころ稚拙なような、でも綺麗で、そんな文体が主人公の内面を表現しているのかもと思いながらも、それは他の作品も読んでみないとわからない。ただ世界観が文体で伝わるような印象だった。
読み進めるが、私はどうも冬子に感情移入ができなかった。酒に依存するところもあまり好きになれない。私は冬子と仲良くならないだろうなという印象だった。だから冬子にとことん優しい三束さんの気持ちも、理解できないわけではないが、わからなかった。
冬子を見ていると、過去にお互いよく知らずに付き合って、早めに別れた元恋人を思い出した。こういうことはリアルでは絶対に言わないが匿名だから書いてみる。
その元恋人は悪い人ではなかったし思い出は美化されているが、彼女は自分の言葉を持たず、考えが浅いと感じさせる言動が多かった。聖の言葉を借りるなら「全て引用で生きている」ように感じていたのかもしれない。
ただ、冬子は発言がおぼつかないが、考え方は美しい。心の中で唱える言葉はとても綺麗だった。光や真夜中に対する考え方などは私にない美しい感性だった。私が気づけなかっただけで、例の元恋人にももしかしたらそういう部分があったのかもしれない。
半分ほど読み進めた辺りで冬子の過去が語られた。そこで私は衝撃を受ける。回想では冬子が受けた酷い出来事が語られる。
そこで冬子に対してひどいことをした人物が、私のように思えたからだ(※同じような行動・発言を過去誰かにしたという意味ではない)。私は心のどこかで冬子を小馬鹿にしていたことを突きつけられた。
そして、話は現代に戻るが、冬子は昔仲が良かった同級生の典子や終盤の聖などから、心ない言葉を浴びせられる。そのどれもが私のように感じられるのだ。
内心「自分だったら冬子にイラついてしまいそう」と思っていた。冬子はこんなに美しい感性を持っているのに、なんとなく下に見てしまっていたことをむざむざと感じさせられてしまった。自分がいかにくだらない人間かと思い、感情を抉られた。
そんな中、三束さんと冬子が急接近する。この頃には冬子を応援する気持ちになっている。
人間とは本当に浅はかだ。こんな感想が出てくることもそうだが「全て引用で生きている」のは誰でもなく自分だった。途中で聖の悪口を言う元同僚が出てくるが、その同僚曰く「聖は自分より下の人間を囲いこむことで顕示欲を満たしているのだそうだ」。
読んでいる最中は「お前もそうじゃないのか」と思ったが、私がそうだった。
ネタバレになるが、冬子と三束さんは結ばれずに物語は終わる。三束さんも冬子の内面の美しさと、自分の醜さのギャップに耐えきれなかったのかもしれない。その後の冬子も美しかった。人を好きになる過程と忘れるまでの過程を、ここまで美しく文字だけで描けるのかと感嘆した。
『星の王子さま』を大人になってから改めて読んだ時のことを思い出した。初めて読んだ小学生の頃、なんだか難しくて内容はよくわからなかったが、王子様が宇宙を旅するところだけはワクワクして読めた。
大人になって読むと、あのいくつかの星に出てくる大人たちは、子どもの頃に誰しもが抱いていた大切な心を忘れた大人の象徴であることに気づいた。最後まで読んだ時には、金銭や地位、他人の目を気にする、自分がひどくくだらない大人になってしまったような気がして涙が止まらなかった。
『すべて真夜中の恋人たち』もあまりに綺麗な物語で冬子の美しい心に触れ、自分の愚かさを痛感した。美しい水面に映る自分の姿があまりに醜いような、そんな感覚がした。その言葉も何かの引用かもしれないと、自分の言葉すべてが浅はかに感じてしまう。
途中で二度生々しい性描写があったからだが、読み進めている最中「最後には三束さんと性行為が行われるんだろう」と思っていた。私が考えていたことは、まるで終盤に聖が冬子にぶつけた痛々しい言葉達に似ていた。
それに気付かされたとき、この物語はそんな次元のお話ではなく、自分がいかに愚かな読者だったかと痛感する。
冬子は人と関わることが苦手で、光が最も輝く真夜中に生きることを好んだ。そこで出会った三束さんと向き合うことで、真夜中に光を差すように自分の人生と向き合った。三束さんは光のように消えていったが、今の冬子には本気で向き合うことで得られた友達がいる。
そして世界の半分は真夜中で、その向こうには誰かがいること、同じような思いを抱える恋人たちが無数にいることを知った。それこそ光を構成する粒子のように。そして粒子は一つひとつが粒になっているのではなく、紐のように繋がっているかもしれないことも。
読了後に1ページ目を読み返すと、文章があまりにも美しいことに涙が溢れる。
「冬子の真夜中に新しい光が差しますように」
真夜中、一人の部屋で都合の良い大人になった私は、引用のような言葉でそう願うのだった。