「多様性が当たり前」な時代の教室の在り方とは?先進事例から学ぶ
日本の学校は、多様性にあふれている
議論のスタートとして、現在子どもたちが過ごしている教室の様子を、「子どもたちの目線」から紹介している資料があります。
みなさんが過ごした教室との違いはありますか?
上の図からも明らかですが、教室には認識されている「違い」だけでも多く存在しています。この図には”まだ”ない隠れている「違い」も多くあるのかもしれません。
多様な「違い」が存在している場で既存の価値基準にそって対応されてしまうことは、誰かが不当に評価されたり、学びの機会を奪われることにつながってしまう場合があります。そうではなく、「違い」があるからこそ新たな発見や気づきがうまれるような豊かな学びの環境を、どのようにつくっていけるかということをテーマに、本連載をはじめることにしました。
1つめの記事となる今回は、「マイノリティ性を巻き込み、誰一人取り残さない」教室の先進事例とその背景にある考え方を、私たちなりの考察を踏まえてまとめています。文化的な視点での話が中心とはなりますが、「マイノリティ性」はテーマが異なればだれもが持っているものだと思います。ぜひ、自分の視点、隣の人の視点、気になるあの子の視点、いろいろな視点からこの記事を読んでいただければ幸いです。
関わり方のちょっとした工夫が誰一人取り残さない教室を作る
生徒らを取り巻く社会的背景を活かし、全ての生徒を巻き込み学びにつなげる工夫を下の図にまとめてみました。
1. 複合的なアイデンティティを前提としたコミュニケーション
「人のアイデンティティは複合的である(1つだけでも、一定でも、固定でもない)」という前提を持って生徒と向き合う
ここで読者のみなさんに1つ問いかけです。
🤔「あなたのことがわかるような、自己紹介をしてください。ただし、伝える情報は1つだけです」
と言われたら、どのように自分を説明しようとしますか?
国籍・年齢・仕事・価値観・過去の経験・好きなこと...
「わたし」(のアイデンティティ)を構成する要素はたくさんあって、どれか1つだけでは表現できないと思います。
逆に、あなたが他人からどれか1つの要素で判断されたり「あなたはこういう人」と決められてしまったら、「自分のことをわかってもらえていない」と感じてしまうかもしれません。
また、たくさんあるあなたのアイデンティティの要素は、すべて同じくらいに大切というわけではなく、「自分にとってこれが大切」「これはあまり意識していない」と思うものがあり、そもそも日々変わるものだと思います。
ロン・ブラウン高校の「Culturally Responsive Teaching(文化レスポンシブ教授法)」では、大人が「人のアイデンティティは複合的である(1つだけでも、一定でも、固定でもない)」という前提を持って生徒と向き合うことを重視しています。
例えば、生徒の社会的背景(マイノリティ性、貧困層、移民であること等)を、生徒のすべてに当てはまるカテゴリーとするのではなく、たくさん特徴があるうちの一部と捉えています。それによってはじめて、支援者は、自分が予想した以上の生徒の気づきを促し、生徒から学びの種が出てくるような問いかけができるようになります。反対に、生徒の一面だけを見ることは、生徒の学びの可能性を、大人が制限してしまうことにつながってしまうこともあるようです。
生徒の「見えにくい要素」を含めた、生徒の全体像や可能性に意識を向ける、教室を大人も含めてそれぞれが複合的なアイデンティティを持つ人々の集まりと捉えること、子どもも大人もお互いの視点を拡大しながら関わり合っていくという意識が、違いを認めて活かす豊かな学びのスタートポイントになりそうです。
2. 先生は、生徒が自分の学びの「線をつなぐ」ための仕掛けをつくる
学習内容を生徒にいかに身近に捉えてもらうか
みなさんは、「自分に関係があること」と「自分に関係がないこと」を学ぶなら、どちらが取り組みやすく、成果をあげやすいでしょうか?「すでに少し知っていると感じること」と「現状、全く知らないと感じること」なら、どうでしょうか。
おそらく、「自分に関係がある」「すでに少し知っていると感じる」ことを学ぶ方が、取り組みやすく成果をあげやすい、と答えると思います。反対に、大人でも「自分に関係がない」「現状、全く知らないと感じる」ことを学ばないといけないときは、意欲を保つことが難しかったり苦痛に感じてしまうと思います。
個人的な見解になりますが、私たちは何かを学ぶときに、「学ぶ内容」と「自分」との関係性・距離感を無意識にはかっています。自分から遠いところ(身近ではないこと)ではそのテーマに向き合う意欲はうすくなり、「自分」との距離感が近くて関係が濃ければ、意欲は濃くなります。
現場を運営する中で、社会的マイノリティの生徒は、マジョリティの生徒と同じ前提を持たない(学習する準備が整っていない)ものと決めつけられ、大人からの期待をかけられることが少ないと感じることがあります。期待されていないことは生徒自身にも伝わり、学校で教わる内容は自分に関係がないという意識を持ってしまうケースも少なくありません。本人の能力や努力に関係なく、環境として意欲を保つ困難さが存在していると感じています。
題材にしているロン・ブラウン高校では、生徒に期待の言葉をかけることに限らず、生徒が学習内容を身近に感じられるような仕掛けを行っています。ただし、大人は仕掛けをつくるだけで、学習内容と自分自身を関連づけるのは生徒本人です。それが学習内容の定着や応用につながるとTravis Bouldin氏は話します。
別の高校になりますが、近しい具体的な実践として、アメリカ・ニューヨーク大学発信の文化レスポンシブ教育を取り上げた動画(現役教師と元教師が、教室内外で実践した文化レスポンシブ教育についての経験を共有するインタビュー集)で取り上げられている理科の授業実践を紹介します。
3. 先生は、生徒の色々なアウトプット・表現を尊重し、評価する
生徒たち自身が自分の言葉で説明することは、生徒自身が、自分と学習内容に関連を見出すことにつながる
この授業のひとコマから伝わると思いますが、この学校では生徒が自由に考えるためのアウトプットや表現を選ぶことを教師がしかけ、評価をすることが大切にされています。学びを「自分ごと」として捉えたことによって生徒の意欲が高まり、実際の学びにつながっている実感があるとインタビューの中でも語られています。
こうした教室での工夫は、日本でもすでにたくさんの教室で行われています。「文化の多様性」という軸では、外国の方が多く住んでいる地域に集中して事例が蓄積されてきましたが、そうした事例も今後Rootsプロジェクトでは見える化(紹介)し、これから外国につながる子ども若者もいっしょに社会をつくっていきたいという学校や先生方、企業や地域の方々に届けていけたらと考えています。
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今回は、マイノリティ性を巻き込んだ教室づくりのための、環境整備やきっかけづくりについての事例を紹介しました。
次回、今回のキーワードでもある「Culturally Responsive Teaching(文化レスポンシブ教授法)」を取り入れた学校において、こうした環境整備や日々の声掛けや工夫の積み重ねが、実際に生徒にどのような変化をもたらすのかについて、エビデンスとともに紹介したいと思います。
お読みくださりありがとうございました!