腰越広茂さん五行歌集『光る風に戦ぐ影』
こんにちは。南野薔子です。
以前、風風子さん名義で二冊の私家版五行歌集を出された腰越広茂さんが三冊目の五行歌集を出しました。その感想です。
一冊目『道の草』についてはこちらをどうぞ。
二冊目『宙の月』についてはこちらをどうぞ。
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今回もまた、命のめぐり、時のめぐりといった大きな流れがあり、そのめぐりの中で、人としての命を持つ自分、自分の罪、傷、そして他者のそれぞれの命(生物も非生物も含めて)を見つめ、また他者との関わりの中での思いをじっくりと噛みしめつつ、自問自答を繰りかえしている広茂さんの姿が浮かんでくる。ひとめぐりごとに、少しずつ深いところへと進んでいるような。
この世界の中で、たまたまこういう自分として存在している自分、たまたまそのような存在として存在しているさまざまな他者、別々のようで、でもひとつの世界の中の違うあり方であるだけで実はつながっている、別々であることと、つながりがあることの両方を丹念に見つめているまなざしを感じる。
数首引用する。
月の光に
照らされる小石
私は今夜
命を洗う
落とし切れない傷を味わい
なるようになる
と思いたい。その時に
私のいないその世界で
あなたは自分の誕生日を
迎える
何の役目も無い
という
役目もある
適材適所なんだと
零がつぶやいた
こころの深い傷と共に
生きるね
この傷の深さは
いのちの深さと
つながっている
前二作でも印象的だった「小鬼」も顔を出す。
小鬼が言ったありがとうに
私は縁どりをして
「ありがとう」と返したら
小鬼と私は消えて
「ありがとう」がのこった
この歌集を流れる、しみいるような感覚は、広茂さんが自然のめぐりの中に身をおいて、そのあり方をじんわりと味わっているからということもあるだろう。
蜩の歌う
夕暮方に
西の空は 蒼く透けて
予感が
宙に解ける
※蜩=ひぐらし
そして、めぐりの中で「私」も「あなた」もさまざまな存在も少しずつ変化するから、同じ存在と再び出会ってもそれはまた新たな「初めまして」なのだということに歌集冒頭の歌で気づかされる。
肌をなぜて光るそよ風も
常に新しい
あなたも
初めての時を生きている
初めて また会えましたね
めぐるけれど、常に初めて。同じ歌でも、読むときにどんな状況にいるかで、見えてくるものが異なったりする。何度でもめぐりを繰り返し、そのたびに新しい。命とはそういうものであると、しみじみ感じさせてくれる時空が、この歌集に満ちている。
前二作同様、ごく少部数作成とのことだが、腰越広茂さんの五行歌は現代詩フォーラムの「こしごえ」さんのページで数首ずつまとめて発表されている。また「ひろ」さん名義のツイッタ@koe05As8でも時々発表されているのでぜひご覧ください。