こんにちは。南野薔子です。 先頃出版された『五行歌百人一首』(鮫島龍三郎氏選・市井社)について、思ったことなど少々。この本の制作に当たっては栢瑚の水源純さんカエデさんも大活躍だった由。 ******* 『五行歌百人一首』が刊行された。五行歌の会が立ち上がってから30年、その間に出された月刊「五行歌」誌全冊に加え、個人歌集なども読んでこの集を編まれた、その作業はとても大変なことであったと思う。敬意を表したい。また、私の歌も入れていただき恐縮している。 以下、文中では
こんにちは。南野薔子です。 先日栢瑚の水源純さんが『五行歌と随筆 トリトメ』という本を出しましたので紹介を兼ねて感想など。 ******* 以前「五行歌+文章の魅力」という記事を書いて、純さんが五行歌と文章の組み合わせの作品でアンソロジーに参加していることを紹介したが、ついに、五行歌と随筆、という個人本ができた。文庫サイズで28ページ。控えめな真珠光沢の表紙に、見返り美人のワカケホンセイインコの写真はご子息水源カエデさんによるもの。 トリトメ、というタイトルは
こんにちは。南野薔子です。 五行歌を書くための技術ってなんだろう、どうやったら培えるんだろう、みたいなことについてなんとなく思っていることを。 ******* 五行歌界隈の一部では、私が羽生結弦選手のファンであることは知られているのだが、その羽生選手の言葉の中で私が好きなものの一つが下記である。平昌で五輪二連覇した後の会見の中で。 ----------- 芸術というのは、明らかに、正しい技術、徹底された基礎によって裏付けされた表現力、芸術であって、それが足りない
こんにちは。南野薔子です。 五行歌の歌集を作る場合のタイトルのつけ方についてふわっと考えたことなど。 ******* きっかけは、水源純さんのこのツイート(ポスト)だった。 それに私は、個人でやっているアカウントでこうリツイート(リポスト)した。 ちなみに透明塔は五行歌ではなく詩の方(筆名:塔野夏子)でかつて出した『透明塔より』(絶版)という本を指している。硝子離宮は五行歌集『硝子離宮』である。 で、それでふと思ったのだが、なぜこうも私はタイトルが建造
こんにちは。南野薔子です。 栢瑚メンバーの水源純さんが、ここのところあいついで、文芸関係の企画に五行歌と文章の組み合わせでの作品を出しました。ひとつは『招文堂の文芸アンソロジーおまねきvol.2 纏 まつわる』で、水源さんは「鰤を食す」という五行歌+エッセイを出しています。もうひとつは『ブックハンターセンダイ制作・もりのアンソロジー ななつの森からとどいた小函』で、水源さんは「イチとナナ」という五行歌+物語を出しています。 どちらの本も、水源さん以外にもさまざまな方がそ
こんにちは、水源純です。 ブクハンターセンダイのイベント向けに編まれたアンソロジー 『ななつの森からとどいた小箱』 こちらに参加するまでの経緯などつらつらと、そしてこの本の紹介をしたいと思います。 とりあえず申し込む! 今年6月ごろ、ツイッター上で、もりとハントをテーマにしたお話の書き手を募っているのを見つけて、なんだか素敵な企画だなぁと思ったのがはじまりです。 necoen.さんという宮城のアート作家さんの絵と、7名の書き手さんのお話で編むコラボ作品とのこと。もりと
こんにちは、水源純です。私は「五行歌の会」の事務所ではたらいていますが、そこでの、とある日の、なんとはない光景の話です。 ☆ 事務所のソファでは草壁先生がときどき、新聞の五行歌欄の選をしている。季節柄、投稿歌が金木犀の歌ばかりだったようで、「そういえばまだ金木犀の匂い、嗅いでないな」と呟いていた。 スタッフの女性陣が「すぐそこにありますよ」と、事務所を出て20メートルくらいのところに咲いているとおしえてあげると、早速見に行っていた。 5分くらいして戻ってきた先生は「歌
こんにちは。南野薔子です。 以前、風風子さん名義で二冊の私家版五行歌集を出された腰越広茂さんが三冊目の五行歌集を出しました。その感想です。 一冊目『道の草』についてはこちらをどうぞ。 二冊目『宙の月』についてはこちらをどうぞ。 ******* 今回もまた、命のめぐり、時のめぐりといった大きな流れがあり、そのめぐりの中で、人としての命を持つ自分、自分の罪、傷、そして他者のそれぞれの命(生物も非生物も含めて)を見つめ、また他者との関わりの中での思いをじっくりと噛
こんにちは。南野薔子です。 先日出版された大島健志さんの第二五行歌集『オールライト』(市井社)についての感想です。市井社の紹介ページはこちら。 ******* この歌集は市井社「そらまめ文庫」シリーズの一冊だが、おもて表紙は従来のそらまめ文庫のフォーマットをぶっちぎった大胆なデザインだ。活力を感じさせるオレンジの上に大きく記された「オールライト」の文字が小気味いい。 こうやって、表題で思いっきり肯定的な感じを打ち出しつつ、こんな歌が入っていたりする。 甘っ
水源純です。連日失礼します。 北九州歌会の翌日のことになります。 九州国立博物館に行くひとの行った美術館や博物館の話なんて、さして面白くはないと思う。だって、そういう場所は自分で行って、自分の目で見てこそだもの。とはいえ、私のいまのこの感動のような心の中の液体はどうしたらいい。どうにか、カタチにしておきたい。 というわけで、お付き合いいただければ嬉しいです。 福岡へは何度も行っているくせに、ろくに観光をしたことがなかった。太宰府にすら行ってなかったのである。今回こそはと太
水源純です。 栢瑚を率いる白夜さんが、この夏、北九州歌会をふたたび始めるということで、「来ない?」とお誘いを受けたのが今春でした。「そこで少し話してくれる?」と講演を頼まれました。さて私に何が語れるでしょう。 五行歌の会のこと 五行歌の会は1994年4月に立ち上げられました。当時は全国にわずか30人ほどだったといいます。私が参加し始めたのは95年からになりますが、当時はもう100人くらいにはなっていたでしょうか。約30年、私たちは五行歌の歌友を増やし、全国各地に歌会ができ
こんにちは。南野薔子です。 『閑吟集』(岩波文庫)を読んで、五行歌との類似性について思ったことなどを書いてみます。 ******* 今年のはじめ頃に岩波文庫から『閑吟集』(真鍋昌弘校注)が出たのを買って、ちびりちびりと読んでいた。読む中で感じたのは、閑吟集に出てくる歌の感触は、五行歌に近い、ということだった。 といっても、閑吟集は主として小歌を集めており、巻末の解説には「『閑吟集』の小歌の多くは、広い意味の酒宴歌謡、酒盛りの場の小歌であったと見てよい」とあるか
水源純です。 先日(6/11)関門五行歌会主催で、唐戸周辺で吟行(即詠会)が行われたという。楽しそうだなぁ、いいなぁ、と思いながらこれまで自分が参加してきた即詠会のことを思い出したりしていた。 私は即詠会が好きだった。 <〆切時間>までの、あの切羽詰まった中で仕上げる感覚が堪らなかった。 創作している人はこの<〆切>というのがあるから作れるという人もいるだろう。原稿の〆切日は日単位だが、即詠のそれは時間単位である。ある意味、鍛錬にはなる。……何が鍛えられるのかは知らないが。
水源純です。 少し前にツイッターでも呟いたのですが、『あなたに贈る21の言葉』(ごま書房新社)の片隅に私の五行歌など載せて頂きました。 そんなご縁で読み始めた本です。 気づけば一気に読んでしまいました。 いろいろな人の人生や体験が、著者の水谷もりひと氏の親しみやすい筆致で綴られています。 21のストーリーの中には壮絶すぎる人生も少なくはなくて、 ドキュメンタリーをショートカットで味わえるような。 荒波を越えた先で語られる言葉を、水谷さんによって時折掬い上げられるのだけど、
水源純です。 南野薔子さんの五行歌集『万華鏡天象』について、感想文を寄せたいと思っていたので、書かせていただきました。 ⁂ 本が手元に届いて、<万華鏡天象>というタイトルを見たとき、造語というか独自の組み合わせと思うが、ああ、これぞ南野薔子さんだと思った。 南野さんの二冊目となる五行歌集である。 万華鏡にも本当に小さなものから巨大なものまであるらしいとはどこかで聞いたことがある。それでも私が万華鏡といって思い浮かべるのは、幼いころ手にした土産物屋にあるようなハンディなサ
こんにちは。南野薔子です。 だいぶ前に閉鎖した「五行歌サイト フラクタル」というのがあって、そこでの企画で一時期「五行歌人研究所」というのを開催していました。その話などを。 ******* 対談や座談会の記録を読むのは面白い。一人の人のインタヴューやエッセイを読むのとまた違った面白さがある。ありふれた比喩で云えば参加者どうしの化学反応という面白さだ。この場でこの組み合わせだから出たんだろうなというような話題、質問、そこからの展開、そういうのを感じるのが楽しい。